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【要約と感想】タキトゥス『ゲルマーニア』

【要約】ライン川の東、ドナウ川の北には、ゲルマーニー人たちが蠢いています。彼らは頽廃しつつあるローマの風習に染まらず、質実剛健な風習を維持しています。ローマは何度かゲルマーニア制圧を試みましたが、これまで失敗に終わっています。このままだと、ローマがやられるのもそう遠くない話でしょう。心配です。
ゲルマーニアの習俗と、代表的な部族の特徴について記します。

【感想】大雑把には、ヨーロッパの地政学として、ライン川とドナウ川が極めて重要だということを再認識した感じ。ローマ帝国としては当然この両大河を防衛ラインの基本に据えるよなあ。
しかしライン川がフランスとドイツを切り分ける分断のイメージが強いのに対し、ドナウ川は分断というよりは流域をつなぐ印象があったりする。南北に走るライン川と、東西に走るドナウ川ということで、縦と横の違いが地政学的に影響してたりするかどうか。(この南北/東西の切り分けに関する議論は、明治大正期の日本の地理を考える際にも大きなテーマになっていたりする。内村鑑三とか志賀重昂とか。)

本文よりも註の方のボリュームが多いタイプの本で、浩瀚な言語学的知識を土台とした議論にはクラクラする。すごい。註までも含めて味わおうとすると、そうとうの教養を必要とする手ごわい本であった。

【個人的な研究のための備忘録】
ゲルマン人の、いわゆる「成人式」に関わる記録が興味を引く。

「さて彼らは、公事と私事とを問わず、なにごとも、武装してでなければ行わない。しかし武器を帯びることは、その部族(市民)団体(civitas)が資格があると認めるまでは、一般に何ぴとにも許されない習いである。それが認められたとき、同じかの会議において、長老のうちのあるもの、あるいは〔その青年の〕父、または近縁のものが、楯とフラメアとをもって青年を飾る。これが彼らの間におけるトガであり、青年に与えられる最初の名誉である。これまで彼はただ家族集団の一部であった。今後は、すなわち市民社会(res publica)の正員と見なされる。」70頁

戦闘員として一人前になる(武装することを許される)ことがそのまま集団の正員と見なされる決定的な要因になることは、洋の東西を問わず普遍的な現象と考えてよいのかどうか。
またここでは註でも気合を入れて解説しているところではあるが、ローマ人(文明人)であるタキトゥスがゲルマーニー人(野蛮)に対してcivitasとかres publicaという言葉を適用しているところが気になる。日本語で言う「市民」という概念をどう理解するかにも深く関わってくる個別具体事例である。このケースではどちらかというと「市民」という日本語よりも「公民」という日本語のほうがより適切な感じもするけれど、どうなんだろう。(ここはラテン語と日本語の違い全体が絡んできて、議論はややこしくなりそうだ)

また、出産調整や、いわゆるマビキに関する証言が注意を引く。

「子の数をかぎり、あるいは〔遺言または嗣子がきめられた〕あとに生まれた子を殺すなどは、忌むべき行為とされ、そこにおいては良習俗が、よそにおける良法典よりも、有力なのである。」(92頁)

歴史学(子ども史)の研究では、かつて日本でも世界全体でも出産調整やマビキは日常茶飯事であったと言われるし、実証的な研究も積み重ねられてきているところである。が、ローマ帝政期において、ゲルマン人が出産調整やマビキを人倫に悖る行為と理解(少なくともそう伝文)し、タキトゥスがそれに共感を示しているのは記憶しておいていいだろう。逆に、ローマではかつて普通に行われていたということでもある(註では、既に行われなくなったとも指摘されている)。「子殺し」は人間にとって普遍的な行為なのか、あるいは歴史的な条件(たとえば家長権の肥大とか身分制による格差の拡大とか)の中で発生するものなのか、考えるための材料の一つである。

そして、物事が宴席で決まるという記述は、時節柄、ちょっとおもしろかった。

「しかしまた仇敵をたがいに和睦せしめ、婚姻を結び、首領たちを選立し、さらに平和につき、戦争について議するのも、また多く宴席においてである。あたかもこの時を除けば、他のいかなる時にも彼らの心が、単純な思考をめぐらす程度にさえ、ほぐれることはなく、偉大な思考に耐えるまでに熟する時がないかのごとくである。飾らず偽らざるこの民は、そのとき、自由に冗談をさえ言い放って胸の秘密を解き開き、こうして今や覆いを取られ、露わになった皆の考えは、次の日にふたたび審議される。したがって双方の機会のもつ効果は十分に量られ、発揮される。――すなわち、彼らは本心をいつわることが不可能なときに考量し、過つことができない時に決定するのである。」106頁

2000年後の日本では、総務省の役人がNTTや東北新社から宴席で接待を受けていたことが発覚した。はたして彼らは「本心をいつわることが不可能なときに考量」するために宴席を設けたのか、どうか。まあいずれにせよ、2000年前から人間は進歩していないということか。

タキトゥス/泉井久之助訳註『ゲルマーニア』岩波文庫、1979年