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【要約と感想】下斗米伸夫『新危機の20年―プーチン政治史』

【要約】ソ連崩壊後、エリツィンの後継者として登場したプーチンの20年にわたる内政と外交を振り返ります。内政については新興財閥(オリガルフ)の民営化路線との対決、外交ではNATOの東方拡大への対応を軸に検討します。2000年代には石油価格の高騰もあってロシアの経済危機を立て直すことに成功したものの、2007年リーマンショック等で石油価格が暴落して以降は、ジョージア危機・チェチェン紛争・クリミア併合・シリア介入等を通じてどんどん西欧諸国から孤立し、一方で中国や日本との結びつきを強めるなど東方シフトが明確になりました。

【感想】ロシアの近年の傾向については分かった気がしたので、少し射程を伸ばしてプーチンの功罪をおさらいしようと思って手に取ったのだが、読みにくい本だった。重複表現が多く、同じ内容を半分のページ数で言えそうな印象だ。ともかく、リーマンショックが実はロシアにも決定的な影響を与えているだろうことなど、いくつかの新しい視点を得ることはできた。

 本書が中心的に扱っているわけではないが、読んでいて常に気になったのはロシアのナショナリティ形成の問題だ。思い返してみればソ連時代には共産主義というイデオロギーが決定的に重要で、ロシアというナショナリティについてはそんなに真剣に考える必要はなかった。しかしソ連崩壊(1991年)によってロシアという国として独立した後は、nation(国民・民族)の形成が大きな課題となる。しかも国内に多量の少数民族を抱えている状況では、「ロシアとは何か?」というアイデンティティはますます重要になる。ただし90年代から00年代は経済の立て直しが急務で、アイデンティティ問題は後回しになっていたような様子だ。本書にもそういう話はほとんど出てこない。しかし2010年代に入ると、ロシア・アイデンティティの問題について度々言及されるようになる。形式的には言語(ロシア語)と宗教(ロシア正教)が重要な鍵を握っている印象で、それは日本も含めて他の国も抱えている普遍的な問題だ。とはいえ、ロシア特有の問題は根深いかもしれない。ロシアは古い国でもあるが、国民統合の原理が国民国家とはまったく異なる共産主義体制に長期間あったために、国民統合の原理としてのナショナリティについては「ウブ」であるような印象を持つ。日本が明治維新後に150年かけてナショナリティを形成してきたのに対し、ロシアはソ連崩壊後の30年で急速に形成する必要に迫られた(ウクライナもまた同じ)。国民統合の原理としては、日本やイギリスのように伝統的な王室に頼れない以上、一般的な国民国家と同様に言語と宗教を持ち出すしかない。

「ロシアの言語学者マックス・バインライヒ(1894-1969)は「国語というのは陸・海軍を持った方言だ」といったことがある。ウクライナ独立後の国語や公用語をめぐる争いはやむことがなかった。」213頁

 国語の問題はロシアとウクライナ間だけの問題ではない。ベルギーとオランダ、フランス語とオック語、アルザス語・ロレーヌ語、カタルーニャ語など、国民国家の境界線との絡みで普遍的な問題となっている。そして他の地域では長期間の紛争の間に様々な知恵が出てきている(必ずしも解決に結びつくわけではない)ものの、ロシア(あるいはプーチンの主張)はこの観点に関して相当ウブな印象を受ける。ワザとなのかどうかは分からないが。同じことはロシア正教との関わり方についても言える。
 ともかく理解したことは、ロシアによるウクライナ侵略は、単なる帝国主義的な野望というよりは、むしろ国民国家の原理に忠実に従って突き動かされているようだ、ということだ。そういう意味では、アメリカの行動原理とはまったく異なっているわけだ。「ロシアとは何か?」というロシアの自己認識のあり方は、ウクライナ侵略の結果がどうなるにせよ、問題として残り続けるのだろう。そしてそれは国民国家一般の問題として、おそらく日本にも跳ね返ってくる。「日本とは何か?」という自己認識が問題を引き起す時は、遅かれ早かれやってくる。

下斗米伸夫『新危機の20年―プーチン政治史』朝日新聞出版、2020年

【要約と感想】小泉悠『「帝国」ロシアの地政学―「勢力圏」で読むユーラシア戦略』

【要約】ロシアの行動原理を「勢力圏」と「主権」という観点から説き明かします。まず問題はプーチンが考える「ロシア」の範囲で、国境線の外にあるロシア語を話す人々が住む地域も射程に入っています。特に旧ソ連だった地域、なかでもウクライナとベラルーシについては、ほぼロシアだと見なしています。さらに「主権」の概念を、同盟国に防衛を頼る国家には与えられていないと考えるので、NATO加盟を目指すウクライナには主権が存在せず、「国家未満」の扱いでよいという理屈になります。そうなると、日米同盟に寄りかかる日本にも「主権」などないと見なされるので、北方領土に関する議論をする余地など一切ありません。

【感想】興味深く読んだ。もちろん昨今のウクライナ危機を理解しようという動機で手に取ったのだが、古くて新しい普遍的な問題を、具体的な事例を通じて浮き彫りにしてくれる本でもあった。
 普遍的な問題とは、「国民国家」の理念にまつわる問題だ。中世までの家産国家であれば考えるまでもなかったことが、ナポレオン以降の「国民nation=国家state」では決定的に重要な問題として浮上する。その問題とは、nation(民族)とstate(主権国家)の境界線は一致しているべきであり、一つのnationは一つのstateを持つべきだという民族自決権の理念だ。nationとstateの境界線が比較的一致しているように見える日本であっても、丁寧に見てみれば、実はその境界は不安定だ。たとえばアイヌや沖縄に対して攻撃的な言動を行う人の背後の世界観には、nation(日本人)=state(日本国)の理念が背景にある。そしてロシアの行動原理の背景にも、nation(ロシア人)とstate(主権国家)の境界が一致するべきだという理念があるわけだが、ただし大きな問題になるのは、nation(ロシア人)の範囲についても、state(主権国家)の範囲についても、ロシア人(あるいはプーチン)は独特の考えを持っているというところだ。

 まずnation(ロシア人)について、プーチンを始めとするロシア人権力者は、「ロシア語を話す人々」をロシア人だとみなしている。そして同時に彼らはウクライナ語を独自の言語と見なさず、ロシア語の一変種(いわゆる方言)と見なしている。ロシア人権力者から見れば、ウクライナ(あるいはベラルーシ)に住む人々は問題なくロシア人として扱うべきだという理屈になる。
 そしてさらにプーチンにとってのstate(主権国家)とは、他の国の干渉を受けずに自主自存できる権力体だけを意味する。他国からの干渉を余儀なくされている権力体には主権がなく、state(主権国家)の資格はない。この理屈が通るとすれば、NATO入りを目指すウクライナには主権などないし、同様に日米安保の庇護の下にある日本にも主権などない。
 こういうnationとstateについての特異な理解の下に、プーチンは国家戦略を積み上げてきた。その結果起こったのが、2008年のジョージア侵攻であり、2014年のクリミア併合であり、2022年のウクライナ侵攻ということになる。(逆にこの理屈から言えば、北海道への侵攻はあり得ないということになる。)

 ということで、それはあまりにもあまりな20世紀的思考だ。まあ19世紀的な帝国主義の論理に先祖返りしていることはないにしても、21世紀を切り拓く思考ではない。20世紀的な思考枠組みに固執している限り、遅かれ早かれ、破綻するだろう。
 とはいえ、原理的な観点から大局的に見れば、それはもちろんロシアだけが抱える問題ではない。nation-stateの理念に基づく原理的な問題はアメリカにも日本にもヨーロッパにも潜んでいるし、様々に具体的な形で表面化している(Brexitとか)。仮に2022年のウクライナ危機が何らかの形で収束するとしても、このnation-stateの問題はまたどこからか噴出するに決まっている。nation-stateを超える原理の模索は1990年代から様々な形で試みられてきて、多国籍企業とかインターネットなどに希望が見出されたこともあったが、今のところ説得力を持ちそうな気配はない。
 ソ連が崩壊して20世紀が早々と終わったような錯覚があった(いわゆる短い20世紀とは1917年ロシア革命から1991年のソ連崩壊まで)が、実は我々はまだ20世紀のまっただ中にいたということなのだった。個人的に思うところでは、1870年の普仏戦争(これに日本の明治維新を加えてもいい)を起点として、「長い20世紀」という観点から現代史を構想し直すと、今回のロシアの暴挙も含めて、nation-stateの理念を軸として問題点が整理できる、ような気もする。そして「主権」という概念は、問題を整理する上で極めて有効な補助線になるのだろう。

■小泉悠『「帝国」ロシアの地政学―「勢力圏」で読むユーラシア戦略』東京堂出版、2019年