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【感想】美の競演―静嘉堂の名宝―

静嘉堂文庫美術館で開催されている「美の競演―静嘉堂の名宝―」を観てきました。

一番の見どころは、急遽出展された「曜変天目(稲葉天目)」なんでしょう。折に触れて何回か見てはいますが、やはり圧倒的な感じがします。さすがの国宝です。油滴天目も出展されていて、見応えがありました。が、これでお茶を飲むと思うと、ちょっと不気味な気がしてしまうところでもあります。もちろん飲もうと思って飲めるものじゃありません。
今回個人的に一番良かったのは、野々村仁清の銹絵白鷺香炉です。かわいい。
しかしこういう大名家秘蔵の名品中の名品たちが、明治維新後に流れ流れて三菱家の倉に収まるというのは、諸行無常ではあります。この先、所蔵者が変わっても、名品は残っていただきたいものです。

【感想】明治錦絵×大正新版画―世界が愛した近代の木版画

神奈川県立歴史博物館で開催されている「明治錦絵×大正新版画―世界が愛した近代の木版画」を観てきました。素晴らしい展示でした。

明治期に入ってからの版画は、江戸時代の浮世絵の伝統を引き継ぎながらも、さらに西洋のエッセンスを吸収して進化して、凄いことになっています。パッと見で目につくのは、やっぱり色の鮮やかさですね。展覧会の副題でも「極彩色の新世界/日本標準」と謳っているとおりです。伝統的な岩絵具では出せなかったような鮮やかな発色が、文明開化による技術革新によって可能になったということなんでしょう。明治錦絵では、特にカーマイン調の「赤」が目立ちます。赤色の使い方が、惚れ惚れと素晴らしいです。江戸時代の赤は、いわばバーミリオンとかスカーレットで、「朱」なんですよね。

大正新版画は、一転、「青」がとても印象深い作品が多かったです。グラデーションの青が、深くて、吸い込まれそうです。なんとなく、新海誠の背景を思い浮かべます。もちろん新海誠と大正新版画の間には、透過光と反射光という技術的に越えられない壁が立ちはだかっています。が、全体的に高い彩度や、明度のコントラストの付け方や、色相選択の理念が、とても似ているように感じたのです。DNAが引き継がれているような印象を持ったというと、言い過ぎか。

ともかく、とても見応えのある展示会でした。新版画、一枚ほしいなあ。

【感想】ヨコハマトリエンナーレ2020AFTERGLOW

横浜美術館その他で開催中の「ヨコハマトリエンナーレ2020AFTERGLOW」に行ってきました。現代アートの展覧会です。

横浜美術館周辺の佇まい自体が、ランドマークタワーなども合わせて、現代的な感じでもあります。

しかしまあ、正直言うと、私個人はいわゆる「現代アート」というものに対する感受性が極めて低く、なにもかもがピンとこないというところです。会場内では違和感しか感じません。

何がしたいのか、サッパリわかりません。まあ、作っている方も、何がしたいのか分からずにやっているんじゃないでしょうか。とても居心地が悪いです。意味が分かりません。
(おそらくワークショップに参加するなど、体験型のアートだと違った感想を抱くこともあるでしょう。見るだけでは理解しがたいというのは、作家のせいだけではたぶんなく。)

まあ、とりあえずは、そういう意味が解体するような場の居心地の悪さを体感すること自体が重要なのだろうと思うしかありません。「わけわからんかったわ」と首を振りつつ会場を後にすると、目の前に巨大なランドマークタワーが聳え立っていて、その非現実的な存在感に圧倒される方がよっぽどシュールなように感じてしまうのでした。

【感想】画家が見たこども展(三菱一号館美術館)

三菱一号館美術館で開催されている「画家が見たこども展」を見てきました。ナビ派の画家(19世紀末から20世紀初頭にフランスで活躍したグループ)が描いた「子どもの絵」を中心とした企画展です。

教育学者という職業柄、「子どもの絵」と聞くと、どうしてもフィリップ・アリエスの研究を思い浮かべてしまいます。子どもに対する視線が、近代になってから決定的に変化したという話です。著書『〈子供〉の誕生』の表紙は、ブリューゲルが描いた「子どもの遊戯」でした。さて、この展覧会で扱う作品は19世紀から20世紀への変わり目、まさにエレン・ケイが『児童の世紀』を上梓して、人々が子どもに注視し始めた時代と重なります。
そういう教育学研究者視点を以て観覧に臨んだわけですが。まあ、正直言って、ポイントを掴み損ねた感じがします。よく分かりませんでした。
全体的な印象は、「あまり可愛くないなあ」というところです。岸田劉生「麗子」の可愛くなさともイメージがダブります。(岸田劉生とは、時代的にも微妙にカブっていますかね)。後ろ向きや横向きの絵も多く、焦点を合わせにくい感じもありました。まあ、あまり居心地は良くありません。ひょっとしたら、そういう掴み所のない、得体の知れない感じというものこそ重要ということなのかもしれません。

撮影OKのパネルがあったので。

「PETITS ANGES(可愛い天使たち)」と題された版画です。警察官が貧しい身なりの男を連行していく周りに子どもたちが集まって囃し立てている情景です。さすがに展覧会イチオシの絵に選ばれているだけあって、「居心地の悪さ」を端的に言語化するきっかけを与えてくれます。やはり不気味さを感じたのは、「学校化されたブルジョワの子どもばかり」というところだったのでしょう。同時期のヨーロッパでは、急激に資本主義が展開する過程で、まだまだ酷い児童労働が横行していました。解説等で「無垢」という言葉を見るたびに身を捩りたくなるような違和感を覚えざるを得なかったわけですが、そういう「人工的に作られたブルジョワ的な無垢」というものへの違和感をこの版画は表現してしまったのかもしれません。

まあ、居心地の悪さを体感すること自体は、悪い経験ではありません。これまで縁がなかった価値観に触れるチャンスだったということです。「子ども」という主題でなければナビ派の展覧会に興味を持つこともなかったでしょうから、これを機会に私自身の感受性や世界が広がればいいかなというところです。

【長野県上高井郡】小布施は、葛飾北斎と小林一茶と福島正則

長野県の小布施(おぶせ)に行ってきました。

長野駅から長野電鉄で約30分。町並みがとても美しく整備されていて、外国人観光客が非常に多い、インバウンドの町です。

観光の目玉は、まずはなんといっても葛飾北斎です。どれくらい北斎かというと、マンホールの蓋が以下のような感じ。神奈川沖浪裏の波濤ですね。

さて、メインは北斎館。このあたりの町並みは、本当に美しいです。外国人観光客でごったがえしております。さすが世界で最も名前が知られている日本人、葛飾北斎。

北斎は、80歳になってから、4度も小布施に通っています。パトロンの高井鴻山がいたというのが重要だったのでしょう。

北斎というと、一般的には浮世絵で有名です。しかし小布施時代には肉筆画を中心に活動していて、北斎館には貴重な作品がたくさん展示されています。
特に見物なのは、祭りの山車の天井に描かれた肉筆画です。龍と鳳凰、男波と女波、迫力満点で、実に見事です。この手の美術館で入館料1000円は、最初は多少高めに感じましたが、いやいや、ぜんぜん問題ありません。必見です。

そして北斎館から東へ2kmほど行ったところにあるのが、岩松院というお寺(曹洞宗)です。
ここが必見なのは、本堂の大間天井に、北斎の肉筆「八方睨み鳳凰図」が描かれているからです。

山を背負って、山門が構えています。
左右の仁王像が、なかなか愛嬌があります。

仁王様、八方睨みな感じ?

本堂入館料は300円。いやあ、大迫力の天井絵でした。89歳の筆になるものとは思えない迫力です。小布施に来たからには、絶対に寄るべきでしょう。

さて、岩松院には、他にも見所がたくさんあります。まずは福島正則霊廟。

福島正則は、広島藩改易後に信濃国高井野藩に国替えとなり、ここで波乱の生涯を閉じます。上の写真、石段を登ったところにあるのが霊廟です。

もう一つは、小林一茶の「やせ蛙まけるな一茶これにあり」の句で有名な、蛙が相撲をしていた池です。

一茶は文化13(西暦1816)年に岩松院を訪れ、例の句を詠んだということです。しかし最近は、小林一茶というと即座に精力絶倫を連想してしまうという…

さて、こんなふうに小布施に文化が花開いたのは、文化活動に熱心な大旦那たちがいたからです。そのなかでもきわめて重要なのが、高井鴻山です。町の中心部に記念館があります。入館料300円。

自らが文化人でもあった高井鴻山の書・詩・画が展示されています。見所は、愛嬌のある妖怪絵です。一つ目の妖怪がとてもかわいいです。

日本家屋にも入れ、二階にも上がれます。こぢんまりとしながらも、清潔感に溢れる、たいへん良い気分になる建物です。二階から見える景色が、実に「和」。

こういうパトロンたちが日本の文化を根底から支えていたことがよく分かる、たいへん良い博物館です。

小布施は、町の中も綺麗に整備されていて、とても気分が良くなるところです。小さくも丁寧に手入れされた庭園をいくつも回れます。路地の一つ一つの完成度が高いです。

美味しい栗のスイーツに舌鼓を打ちつつ、また訪れたいと思った、素敵な町でした。(2020年1/3訪問)