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【要約と感想】クインティリアーヌス『弁論家の教育』

【要約】最強の弁論家を作るための教育をお見せしましょう。ちなみに最強の弁論家とは、道徳的に立派な弁論家です。道徳とは哲学の専売特許ではなく、雄弁術こそがまさに扱うべきものです。
 類書ではほとんどの著者が基礎教育を無視していますが、本書は幼年期の教育から丁寧に考察します。ちなみに地頭が良くないと優れた弁論家にはなれませんが、もちろん適切な教育が欠けてもダメです。教育は幼少期から始めるべきですが、もちろん発達段階を考慮して、遊びを適切に採り入れましょう。弁論家になるからといって言葉の勉強ばかりしていてはだめで、あらゆることを知っている必要があります。自発性や創造力を養うことが大事なので、子どもの自己肯定感を踏みにじるような叱責は厳禁ですし、体罰などもってのほかです。教師は学生個々の持ち味を見極め、適切な援助をしましょう。向いてないことをムリヤリやらせても時間の無駄だし、誰も幸福にしません。家庭教育ではなく、学校教育を推奨します。学校教育をディスる論者もいますが、学校に通ってダメになる程度の奴は、家庭教師をつけたところで大成しません。
 と書いたところで、将来有望と見込んでいた自慢の子供が死んでしまった。若くして死んだ妻のことも思い出した。うおおおおおお、辛すぎる。こうなったら学問に打ち込むしかない。
 話すことも書くこともたっぷり練習しましょう。良いお手本をたくさん読んで、暗唱しましょう。お手本としては特にキケロがお勧めです。座学だけでは立派な弁論家になれませんので、たくさん練習しましょう。

【感想】理想的な弁論家を教育するために必要な事項が思いつくままに羅列してあって、教育を実践する上で必要なことは一通り網羅されているような印象は受けるが、決して体系的・論理的な記述ではない。そういう意味ではローマっぽい(ギリシアではなく)と言えるのだろう。
 またルネサンス期にペトラルカからエラスムス、アグリコラ、ヴィーベス、あるいはモンテーニュに至るまで大きな影響を与えている一方で、啓蒙期を経てロック・ルソーあたりには射程が届いていないような感じも拭えない。産業革命と自然科学(コペルニクス・ニュートン)による断絶は超えられなかったと理解していいのだろう。雄弁術は所詮は蓋然性(如何様にもあり得る)について扱う技術であり、天文学やニュートン力学のように100%の確実性を扱う学問領域にはまったく噛み合わない。ラプラスの悪魔がリアリティを持って受け容れられる時代に、蓋然性の技術が顧みられなくなるのはまったく不思議ではない。だがその射程距離の限界も含めてマイルストーンとしての役割を期待できるような、人文主義的教育思想の起源の一つとして何度も立ち返って参照すべき教育学の古典であることは間違いない。

 しかし一方で想像力を逞しくしてみると、中世から近代への移行期に本書が重んじられたのは民主主義への離陸にとっては大きな意味を持つかもしれない。スコラ神学による階層的コスモロジーと身分制封建秩序が噛み合ったヨーロッパ中世では、一人の人間の雄弁の力によって世界を変えていくことはちょっとイメージしにくい。雄弁術自体、中世スコラ学の世界では単なる修辞学へと矮小化していた(あるいはクインティリアーヌスの生きた帝政ローマの時代に既に共和制を制度的な裏付けとする雄弁の精神は衰退していたわけだが)。しかし階層性ではなく多様性を基盤とする近代社会では、世界は如何様にもあり得るため、蓋然性をコントロールする技術である雄弁術が活躍する余地も生まれてくる。というか民主主義が公共的な対話の過程から立ちあがるものだとすれば、まさに雄弁術こそが民主主義を裏付ける技術となる(実際、福沢諭吉はそう理解していた)。また蓋然性をコントロールする雄弁術の試みの中から、特に人間と動物・人間と神との比較という主題(およびその練習)を通じて、「人間の尊厳」という観念が結晶化してくる。ピコ・デラ・ミランドラは、哲学に対する雄弁術の優位性を追求していたのではなかったか。はたしてルネサンス期に雄弁術が復活してくるのは、階層性秩序(キリスト教的・封建的)が崩壊する過程で何らかの蓋然性を確保しようという動機に裏付けられていたのかどうか。中世の秋における多様性と蓋然性という観念を補助線とすると、どうやら雄弁術というものが近代とは何かを考える上で重要な研究対象として浮かび上がってくる気がするし、そういう意味でクインティリアーヌスはなかなか侮れないのであった。

 読み物としては、亡くした子供と妻を嘆く第6章の特異っぷりが、意表を突かれて印象に残る。今も昔も変わらない人間性の本質が存分に表れた箇所と言うべきか。

【今後の研究のための備忘録】道徳性と普通教育
 まず本書で決定的に重要なことは、クインティリアーヌスが弁論家の教育の目的を単なる技術ではなく道徳性に置いていることだ。

「さて、ここでは完璧な弁論家を育てるのが目標なのですが、「よき品性の人」でなければそれたり得ないのです。それゆえ弁論家にはただ話す能力が卓越しているだけでなく、精神のあらゆる徳性を備えていることを要求するのです。」第1巻序文

 これが重要だというのは、本書の目指す教育がいわゆる「専門教育」ではなく「普通教育」の文脈で語られることになるからだ。単に技術を身につけることを目指すのであれば、弁論家という極めて限られたキャリアを志向する対象にしか当てはまらない。しかし道徳性の育成という普通教育の文脈に置かれると、全ての子どもたちを対象とした教育論として読むことが可能となる。本書が2000年の時間を超えて生き残ったのも、普通教育の書として読み継がれてきたからだ。
 ただし、本書全体を通覧した時、普通教育に関わる話は全体の2割以下の分量(特に全12巻のうちの第1巻)しか持たないことは踏まえておいた方がいいだろう。紙面の大半は弁論家を育成する専門教育の話に費やされている。(ラテン語の音韻変化や綴りの具体的な考察は、失礼ながら専門外の人間にとっては退屈ではある)
 普通教育に関わるトピックは、ルネサンス期の教育論に極めて大きな影響を与えている。たとえば幼少期の時分から教育をためらってはならない早期教育論はエラスムスなどにそのままそっくり引き継がれている。しかもしっかり発達段階を踏まえて、「遊び」を学びの手段として活用する論点も多くのルネサンス期教育論に引き継がれている。

「何にも増して避けるべきことは、まだ学業を愛することのできない年齢の子供がそれを嫌悪したり、一度味わってしまった苦い想い出のために幼児期が終った後までも学業をこわがってしまうようにさせてしまうことである、幼少の時の学習には遊びがなければならない。」第1巻第1章20

【今後の研究のための備忘録】体罰否定
 また特記しておくべきことは、明確な体罰の否定だ。

「勉学というものは強制され得ない学ぼうという意志にかかっているからである。」第1巻第3章8
学習するものを叩くということは一般に受け容れてもいるし、クリュシッポスもこれに反対していないとはいえ、私は少しも認める気にはならない。それは第一に、醜く奴隷的な扱いであり、疑いもなく(どの年齢にあてはめてもだとうすることであるが)一つの不正な侵害だからである。また第二に、その子供の心が叱責によっては矯正されないほどに〔自由民らしくなく〕下劣だとしたら、奴隷の中でさえ最も手に負えない者の場合と同様、たとえ笞に訴えても変わりはしないであろうからである。第三には、その子供の側について熱心に勉学を監督してやる者がいれば、こういう折檻さえ不必要となろうからである。」第1巻第3章14

 上げられている3つの理由が極めて明瞭で、一つめは自主性・自発性を阻害するという観点、二つめは教育可能性という観点、三つめは教育環境という観点だ。現代にも通用するかどうかは丁寧に検証する必要はあるが、2000年前から明確な理由と共に体罰が否定されていたという事実は踏まえておいて損はない。

【今後の教育のための備忘録】個性
 また繰り返し繰り返し、子どもの個性を把握してそれに適した方法を工夫するべきだという話が出てくる。

「教育を委ねられた子弟たちの才能の相違を周到に見分け、それぞれについて生来の傾向が主として何処に向っているかを知ることは、教師たる者の資質だと普通見做されているが、これはもっともなことである。実際生来の素質には信じ難いほどの多様性が見られ、体つきの違いにも優るとも劣らないほど色々な精神の型があるものだからである。」第2巻第8章1
「そのために、大抵の者には、個々の生徒を教えるには自然が授けた固有のものを、善き学問で育んでやり、生まれつきの才能をそれの傾く方へ向けて極力援助してやるのが有益だと思われたのである。」第2巻第8章3

 もちろん近代的な人権観念から個性を尊重しようという話ではなく効率や有効性の観点から語られているわけだが、教育の方法に関連づけられながら子どもの多様性が観察されていることは注意しておいていいだろう。そしてこの論点も、ルネサンス期教育論にそのまま引き継がれていく。むしろ啓蒙期以降の自然科学的な教育のほうが子どもの個性を度外視して進む傾向にあったりしないか。

 また、本文にも「個性」という言葉が登場する。

「アラトスは主題に盛り上がりが乏しく、その作品には変化も感情の起伏もなく、登場人物の個性も、どんな種類の弁論も見出されない。」第10巻第1章55

 原文のラテン語でどんな語が対応しているかは機会を見つけて確認しておこう。

クインティリアーヌス『弁論家の教育1』小林博英訳、明治図書世界教育学選集96、1981年
クインティリアーヌス『弁論家の教育2』小林博英訳、明治図書世界教育学選集97、1981年

【要約と感想】三好信浩『教育観の転換―よき仕事人を育てる―』

【要約】伝統的な講壇教育学は「教育」の目的を人格や教養という概念で語ってきましたが、それは現実と噛み合っておらず、様々な問題を引き起しています。江戸以来の日本人の仕事観を踏まえ、これまで傍系として軽視されてきた職業教育や産業教育を見直し、教育の目的を「よき仕事人を育てる」という観点から組み替えましょう。明治以降の工・農・商・医などの実業教育が担ってきた人作りの成果を踏まえ、現代の高等専門学校や専修学校や各種学校、あるいは企業内職業訓練等も含めて文科省管轄学校以外の人材育成機関が担っている大切な役割に改めて注目すると、現代の教育問題を解決するための様々な可能性が見えてきます。

【感想】著者御専門の教育史的事実を踏まえつつ、本来の守備範囲を大きく超えて現代教育の根本的な問題を突き、「教育」という概念そのものの規定に切り込んでいくことを企図している本だった。ところどころに自身の長年の仕事に対する誇りと責任を土台とした「教育学の徒」としての矜恃が垣間見えて、なかなか味わい深かった。
 気になるのは、職業教育とかキャリア教育に関して様々な研究を引用しているのだが、なぜか東大教育学(の史哲)を意図的にかどうなのか排除しているところだ。特にかつては乾彰夫先生(まさに「「学校から仕事へ」の変容と若者たち」という本を書いている)、近年では児美川先生が職業教育・あるいはキャリア教育についてなかなかの仕事をしているように思うのだが、まったく名前が出てこない。教育社会学系の本田由紀や苅谷剛彦の名前は出てくるので、東大系研究者を視野に入れていないというよりも、史哲系研究者を視野に入れていないという印象だ。まあパージの事実自体は特に構わないのだけれども、どういうことか理由は少々気になる。

【個人的な研究のための備忘録】人格
 私自身は、教育学の徒として、教育の中核概念である(と信じるところの)「人格」について歴史的・哲学的に研究を続けているわけだが、本書は「仕事」という観点で以て「人格」概念を外堀から埋めるような作業をしている。

「現今の教育、特に学校教育では、「学力」とか「学歴」とか「知力」とか「科学技術力」とか、果ては、「教養」とか「人格」とかが目標とされているが、それらの諸力は、ひとかたまりとなって「仕事」の中で開花し、一人一人の「個性」となり、「生き甲斐」となる。仕事こそが、人間の学習の到達すべき花園である。」3頁
「教育とは、「よき仕事人を育てる」という一語に尽きる。この一語の中には、教育界で大切な目標とされてきた、「人格」とか、「教養」とか、「道徳」とか、「学力」とか、「創造力」とか、「実践力」などの諸概念を包み込める気がする。しかも、産業だけでなく、人間の営むあらゆる職業の教育にまで拡張して適合するのではないかと考える。」10頁

 私なりに解釈すれば。日本近代における「人格」概念は、伝統的な共同体から身も心も「個人」を切り離すモメントとして作用した。その作用は親族内の労働集約を前提とした伝統的な働き方から近代的な雇用労働への転換に親和的だったはずだ。あるいは逆に、伝統的共同体から切り離された近代的な雇用労働が現実的に可能となって初めて「人格」という概念に説得力が生じたと言えようか。本書が現代教育の基礎概念としてあげている「学力」も「教養」も「道徳」も「創造力」も「実践力」も、伝統的共同体では必要がなく、すべて近代的な資本主義社会で生きる「個人」として必要なものだ。おそらく「仕事」の意義というものは、伝統的な共同体から「個人」が引き剥がされたところで初めて意識されたり追求されたりするものだろう。(そういう意味で、江戸時代をおもしろく感じるのは、おそらく西洋近代的な文脈と関係ないところで、純粋に日本社会が資本主義へと離陸する過程で「個人」が抽出されつつあり、それが「仕事」の意義と響き合う条件を整えていったからではないか)
 とするなら、高度経済成長を経て既存の共同体が破壊され、「人格」を形成する努力をするまでもなく「個人」が剥き出しにされてしまうような現代社会においては、「人格」を形成する努力に何の意味(あるいは力)があったかが見失われ、それに伴って単刀直入に「仕事の意義」を追求する動機や欲求が浮上した、ということになるのではないか。著者が揶揄する(ように私には読める)戦後教育学の素朴な「人格形成」への熱意というものは、いまだに「個人」が伝統的な共同体に埋没しているところから「個人」を抽出しようとする意図と欲望に由来し、そして60年代後半からそれが機能不全を起こしているように見えるのは、その意図と欲望を支えていた現実そのものが高度経済成長によって失われたからなのではないか。

三好信浩『教育観の転換―よき仕事人を育てる―』風間書房、2023年

【要約と感想】三好信浩『日本の産業教育―歴史からの展望』

【要約】明治期から昭和戦前期にかけての産業教育(工学・農学・商学)の全体像を、学校数や生徒数などの統計、時代背景、学校沿革史、校長などキーパーソンの教育思想などの分析を通じて多角的に示した上で、現代の産業教育(あるいは日本の教育全体)が抱える課題の核心と解決への見通しを示します。

【感想】さすがに長年の研究の蓄積があり、教育史的に細かいところまで丁寧に神経が行き届いているのはもちろん、本質的な概念規定についても射程距離が長く、とても勉強になった。概念規定に関しては、いわゆる「普通教育」と「専門教育(職業教育)」の関係に対する産業教育の観点からの異議申し立てにはなかなかの迫力を感じる。本書でも触れられているとおり、総合高校などの改革にも関わって極めて現代的な課題に触れているところだ。この問題をどう考えるにせよ、本書は必ず参照しなければならない仕事になっているだろう。

【個人的な研究に関する備忘録】人格
 個人的には「人格」概念の形成について調査を続けているわけだが、人格教育に偏る講壇教育学に対する産業教育思想からの逆照射はかなり参考になった。大雑把には、明治30年代以降は産業教育界でも「品性の陶冶」とか「人格形成」などが唱えられるようになった姿が描かれていたが、おそらくそれはヘルバルト主義の影響(本書ではヘルバルトの「へ」の字も出てこないが)で間違いないと思う。しかし昭和に入ると、「人格形成」という概念に対して疑義が呈せられるようになっていく。そして敗戦後はいったん「人格」が再浮上するわけだが、1970年代以降にまた説得力を失っていく。さて、この「人格」の浮沈をどう理解するか。

針塚長太郎(上田蚕業学校初代校長)『大日本蚕糸会報』第154号、1905年3月
「教育の期するところの主たる目的は、其業務に関する諸般の事項に就き綜合的知識を授け、業務経営の事に堪能ならしめ、兼て人格品性を育成し、以て社会に重きを致し、健全なる常識に富むみたる者を養成するにあり」

尾形作吉(県立広島工業学校初代校長)『産業と教育』第2巻10号、1935年10月
「産業と教育といふ題目は余りに大きな問題で、我々世間知らずに只教育といふ大きな様な小さな城郭に立籠つて人格陶冶や徳性涵養一点張りの駄法螺を吹いて居つた者の頭では到底消化し切れないことである。」

【個人的な研究に関する備忘録】instruction
 また、教育(education)と教授(instruction)に関して、ダイアーの言質を得られたのも収穫だった。

「私がまず第一に申したいことは、日本では教育の中心的目的がまだ明確に自覚されなかったことであります。それが単なる教授(instruction)と混同されることがしばしば見られます」(Veledictory Address to the Students of the Imperial College of Engineerting)ダイアー1882年の離別の演説。

 VeledictoryとあるのはValedictoryの誤植だろうか。ともかく、ここでダイアーが言う「教育」とは「education」のことだろう。本書では特にeducationとtrainingの違いに焦点を当てて話が進んだが、より理論的にはeducationとinstructionの違いが問題になるはずだ。ダイアーもそれを自覚していることが、この離別の演説から伺うことができる。乱暴に言えば、educationのほうは品性や倫理などを含めた全人的な発達を支える営みを意味するのに対して、instructionは人格と切り離された知識や技能の伝達を意味する。ダイアーの言う「教育=education」の意味は、もっと深掘りしたらおもしろそうだ。

【個人的な研究に関する備忘録】女子の産業教育
 そして女子の産業教育についても一章を設けて触れられていたが、全体的なトーンとしては盛り下がっている。

「これまでの日本の近代女子教育史の研究物は、高等女学校の教育を中心にしてきたうらみがある。しかし、産業教育の指導者たち、例えば工業教育の手島精一、農業教育の横井時敬、商業教育の渋沢栄一らは、高等女学校に不満を抱き、よりいっそう産業社会に密着した教育を求めてきた。」p.287
「日本の職業学校がこのように産業から遠ざかった理由は多々あるであろうが、その一つとして共立女子職業学校の先例がモデルにされたことも考えられる。同校は、一八八六(明治一九)年という早い時期に宮川保全を中心とする有志によって各種学校として設置された。岩本善治の『女学雑誌』のごときはその企図を美挙として逐一紹介記事を載せた。」pp.271-272
「日本の女子職業学校の先進校である共立女子職業学校が裁縫と並んで技芸を重視したこと、中等学校の裁縫科または裁縫手芸家の教員養成をしたことは、戦前期の女子の「職業」の範囲を区画したものと言えよう。」p.272

 どうだろう、問題の本質は学校の有り様どうこうというよりは、「裁縫」の技能が家庭内に収まるだけで産業として成立しなかったところにあるような気がするのだが。実際、学校の有り様如何にかかわりなく、ユニクロが栄えだしたら裁縫学校は衰えるのである。

三好信浩『日本の産業教育―歴史からの展望』名古屋大学出版会、2016年

【要約と感想】小河織衣『女子教育事始』

【要約】明治維新以後、様々な領域で女子に対する教育が盛んになりました。キリスト教、語学、教員養成、音楽・芸術、医術の領域で女子教育の興隆に関わった先覚者や卒業生の活躍を紹介します。

【感想】理論的な話や分析はほとんどなく、もっぱら事例の紹介に終始している。素材のポテンシャルが高いために内容自体はおもしろく読めるのだが、いかんせん誤字が多すぎて、閉口する。OCRに失敗したような誤字が多いのはどういうことか。
 そして近代的な裁縫教育事始については一切の言及がなく、渡辺辰五郎について深めることはできなかった。

小河織衣『女子教育事始』丸善ブックス、1995年

【要約と感想】アリソン・ブラウン『イタリア・ルネサンスの世界』

【要約】ルネサンスという概念は、研究が進むにつれ、かつてのような進歩性を剥ぎ取られ、プロパガンダの一種であることが明らかになってきましたが、しかしだからといって中世と一切変わらないというわけではなく、独特の心性が生まれつつあったのも確かです。ルネサンスという概念を一貫性をもちつつも包括的に描写するために、商業的な「交換」や「流通」という観点を盛り込んで、パトロネージの重要性や劇場の表象的な意味を浮き彫りにしました。

【感想】極端な見解(ルネサンスが西洋の近代化に決定的に重要だったとか、あるいはルネサンスなど何の価値もなかったなど)に偏ることなく、最新の研究成果を踏まえた上で、具体的な史料を提示しながら落ち着いた筆致で論を展開しており、大きな違和感もなくナルホドと思いながら読んだ。勉強になった。中世のイタリアは、ガリア(フランス)やゲルマン(ドイツ)とは異なり、古代ローマの共和制の衣鉢を継ぎつつ(政治的)、地中海貿易で蓄えた富とネットワークを背景に(経済的)、「自由」への感覚を独自に展開していったようだ。政治的な自由を確保しようと試みるとき、現在の為政者が支配権を獲得するよりも前の時代に遡って正統性を覆そうとするのは洋の東西を問わない普遍的な現象で、日本では武家政権を倒そうと試みた王政復古に見ることができる(あるいは天皇制を相対化しようと試みるときは、縄文にまで遡る)。イタリアでは王政や貴族制に対抗しようとするとき、古代ローマの共和制が呼び起こされる。この試みが経済的な利益と結びついて共振したとき、新しい時代に対応した新しい人間像(そして社会像)が説得力を持ち、それに応じた新しい教育(人文主義・リベラルアーツ)が生まれるのだろう。

 また本書を読んで意を強くしたのは、「新大陸発見」のインパクトだ。ルネサンスの王者エラスムスがほとんど新大陸発見に関心を寄せていないように見えることからどれほどのインパクトがあったかを推し量りかねていたものの、本書では新大陸発見のインパクトを(印刷術との関係も含めて)そうとう高く見積もっている。ルネサンスや宗教改革を考えるときは、それが同時に大航海時代でもあったことを忘れてはならないように思う。

【今後の研究のための備忘録】教育
 ルネサンス期の教育に関する言及がたくさんあった。

「ペトラルカの本に対する情熱は、次々と他の新たな熱狂をもたらした。その中でも最も重要であるのは、新たな指導カリキュラムを備えた新たな学校であった。彼自身は教師ではなかったが、彼が育んできた教科――歴史記述、詩や文学、手紙の書き方や個人と道徳の問題に関する自問自答――は全て人文主義、つまりはリベラルアーツにかかわるものである。これは中世の教育カリキュラムのより技能志向的な、あるいはより科学志向的な諸教科とは対照的なものである。芸術もペトラルカが育てた教科の一つである。」80頁
「学者たちはノウハウを提供した。まさに彼らが、古代の学校や往事の教育プログラムを当世に伝える古代の書物を復活させ、その内容を実践したのである。この新たな知識人階層が人文主義的教育に、制度的支援や生徒を提供した。これ無くしては何事も変わらなかっただろう。」80-81頁

 そして決定的に重要な本として、クインティリアヌス『弁論家の教育』とプルタルコス『子どもの教育について』を挙げ、「それらは共々に新たな学校と新たな教師の出現を促した」(81頁)と言う。まあ、ここまでは教育史の教科書でもお馴染みのところではあるが、具体的に職業軍人や新たな商人階級の子息に対する教育として機能したことは、なるほどと読んだ。

「ゴンザーガ家のような職業軍人やアルベルティ家のような商人銀行家にとって、この新たな教育の何が魅力的であったのか。表面上、ラテン語やギリシャ語やアーチェリーといったものは、軍人にとっても銀行家にとっても実用的な技能ではない。それらが急速に流行するようになった。(中略)歴史家は人文主義教育によって教えられる自由主義、共和主義の価値観は魅力的なものであったと考えている。なぜならそれらはイタリアの自治都市における政治生活に関わっており、中世の学校における聖職者養成教育に取って代わる、より世俗的かつ「人間的」な尺度を提供してくれるからであった。修辞学のようなコミュニケーション技術や言語、歴史は、市民が政治に積極的に参加する自治社会にとって明らかに有用な知識であった。」85頁

 しかしそれは一方で「旧スコラ哲学よりも自主性を抑制した」(86頁)とされ、「このカリキュラムは、自治市民というよりも忠実な官僚や廷臣を作ることに適合していた」(86-87頁)ということで、「つまり我々は、ルネサンスの教育を共和主義や個人主義と全く同一視すべきではない。」(88頁)と評価されている。

【今後の研究のための備忘録】ルクレーティウス
 ルクレーティウスはルネサンス期に再発見されることになり、個人的には後の社会契約論との関係が気になっているわけだが、本書でも言及されている。

「ネジェミーが述べているようにルネサンスは、ルクレティウスのそれの如き文献の発見とも相まって、それらの持つ恐怖と空想に形を与えることにより、新世界の発見がその克服の助けとなったような、人間の身体の「通常の生活」に関する「懸念の深さ」を思わず露呈させてしまっている。」187-188頁
「ルクレティウスのような古代の文献の再発見もまた、人間性に関するこの新たな「非文明的」視点に寄与した。なぜなら彼の評判は高いが危険な詩『事物の本性について』において、宗教的迷信を非難することによりルクレティウスは、心も魂もそれなしでは生きることはできないと肉体の重要性を強調するだけでなく、さらに重要なことに、人間の動物からの進化に関するダーウィンに先行する記述をも提供しているからである。」189頁

 本書はルネサンスの「野蛮さ」を強調する文脈でルクレティウスに言及しており、私が関心を持っている社会契約論との関係には一切触れていないものの、ルクレティウスがルネサンス期に大きなインパクトを与えていることは確認しておきたい。

アリソン・ブラウン『イタリア・ルネサンスの世界』石黒盛久・喜田いくみ訳、論創社、2021年