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【神奈川県鎌倉市】円覚寺と東慶寺は、やっぱり梅が素敵

北鎌倉の円覚寺と東慶寺に行ってきました。
円覚寺には用事で行きましたが、ちょうど梅の季節なので、東慶寺にも寄らなければなりません。

円覚寺の梅は、盛りを過ぎている感じでした。

が、とてもいい香りがします。

円覚寺では、2011年東日本大震災の復興市も開催されていました。三陸のワカメを購入して、東慶寺へ。

東慶寺は、さすが梅の名所として名高いお寺だけあって、境内一円が梅の香りに満ちています。

梅の盛り。濃密な香り。

苔の緑に、梅の白がよく映えます。

かわいらしい。

東慶寺には、西田幾多郎、鈴木大拙、和辻哲郎など、私の研究テーマである「人格」について重厚な研究を残した先哲たちのお墓があります。先哲たちの霊に掌を合わせ、研究を頑張ろうと意を新たにしてきました。

ところで円覚寺では、横田南嶺老師の説教の後、小学生の時に震災で母親を亡くし、今は高校に通っている男の子の話を聞きました。被災者の話は、何度聞いても胸が詰まります。円覚寺からは彼に奨学金が出ています。数学と理科が好きで、将来は被災地で活躍するロボットを作りたいと話していました。とても頼もしいです。
円覚寺からの帰り際に、追悼と復興祈願の蝋燭を購入しました。夜、ローソクナイトの呼びかけに応じ、電気を消して蝋燭の明かりを灯しました。7年前は、「計画停電」でうちの電気も止まったんですよね。ローソクナイトとは、鎌倉宗教者会議(宗派を超えて神社・寺・教会が作った団体)が提唱している、東日本大震災復興のための試みです。蝋燭に描かれている模様は、三宗派を象徴する榊と蓮と百合が組み合わさったデザインになっています。
宗教家たちは、自分たちにできることをしっかり行動に移しています。蝋燭の炎の揺らめきを眺めつつ、教育にできることは何かと考えた時間になりました。
(2018年3/11訪問)

【千葉県木更津市】証誠寺のタヌキ、請西藩陣屋跡は強者どもが夢の跡

千葉県木更津市に行ってきました。
木更津までは、東京湾アクアラインができてからは新宿や東京からの高速バスが便利ではあるんですが、土日は新宿から「特急さざなみ」が直通しているので、今回は電車で。自由席でも座って行けます。

新宿から75分で木更津着。特急は速いですね。
で、駅を降りたとたん、やたらとタヌキ推しでした。マンホールの蓋も、タヌキ。証誠寺(しょじょじ)を観光の目玉として推しているようです。

駅前に据えられたタヌキのモニュメント。

木更津港の近くにある海鮮バーベキューの店頭にも、タヌキ。セルフサービスのバーベキューで、サザエとアワビをいただいてきました。

隣のみやげもの屋さんにも、大量のタヌキ。

港にも、タヌキ。

さらに海岸通りにもタヌキ。特産の貝と観光名物のタヌキを合体させたのは分かるけど、それにしてもビーナスの誕生て。どれだけタヌキ推しなんだ。

そんなわけで、証誠寺にやってきました。本堂脇の梅がほころび始めていて、とても清々しいです。

「証誠寺の狸囃子」は、明るく楽しい童謡だと思っていましたが。元の話は、なかなか悲しいことになっていますね。

境内にはタヌキを慰霊する「狸塚」がありました。

証誠寺を離脱して、駅の東側へ。
駅の東側の山の天辺には、歴史博物館があります。真里谷武田氏の動向とか、請西藩の幕末とか、上総掘りの展開とか、他の地域にはない展示が充実しています。目玉展示は、日本の古墳でここからしか見つかっていない金の鈴。たいへん立派なものでした。

山の上にはふるさと創生の一億円で作ったという展望台があったので、登ってみると、木更津市街を一望できる上に、はるか京浜工業地帯の工場群から立ち上る煙と東京湾を見渡すことができます。絶景。

博物館から1.5Kmほど南に行くと、請西藩陣屋跡があります。ここに来たかったんですよね。

請西藩陣屋跡には、現在は石碑が建っているだけで、跡形もありません。

案内板には、幕末の林忠崇の動向が少し説明されています。中公新書から出ている「脱藩大名の戊辰戦争―上総請西藩主・林忠崇の生涯 」という本がとても面白くて、興味を持ったのでした。昭和16年まで存命の、ラスト大名です。なかなかすごい人生。

案内板の裏には重機が入って、宅地造成大開発の真っ最中でした。真っ平らにされてしまって、当時を偲ぶよすがは、ほとんど残されていません。と思いきや。

陣屋跡の周りを探索していると、なかなか面白い地形にでくわします。たとえば上の写真は、虎口ぽい感じです。他にも、土塁の跡らしきものや、堀の形跡らしいものはたくさん見えました。これらも今後の大開発で消えていくんでしょうね。

陣屋跡から数百メートル北には、請西城の跡があるらしいのですが、行ってみてもほとんど形跡は残っていませんでした。上の写真は請西城の跡地周辺のはずですが、左側の断崖絶壁が要塞としての痕跡を残している他には、当時を偲ぶ手がかりは見つかりませんでした。

今回は真里谷城に行けていないので、また木更津には行きたいと思います。
(2018年2/3訪問)

【長野県松本市】松本城と犬甘城

松本城と犬甘城に行ってきました。

松本城は、何回訪れても、感動します。アルプスの山々を背景に聳え立つ黒い天守閣は、惚れ惚れとする美しさです。素晴らしい。今回は三が日だったので、松本城も謹賀新年モードでした。

下から天守閣を見上げる。かっこいい。

見る角度によって姿を変え、受ける印象が様々に変化するのも松本城天守閣の見所ですね。これは北西側から見た天守。個人的には、南西側から見る形が一番好きです。

続いて、犬甘城へ徒歩にて移動。

犬甘城は、松本城の北西1.5kmほどのところにあります。現在は「城山公園」となっています。

縄張の図。私は南側からまず六ノ郭に登って、尾根伝いに北に移動し、一の郭に出ました。城の西側は奈良井川が削った断崖絶壁になっていて、天然の要害になっています。

一の郭全景。写真では比高差があまりないように見えますが、私が写真を撮っている場所は袖郭になっているところで、そこまでたどり着くのがけっこう大変。全体の防御力はかなり高い城のように思います。

六の郭には展望台が立っていて、松本市街を見渡せるほか、アルプスの山並みを眺めることができます。なかなか爽やかな気持ちになれるところです。

犬甘城を後にして、東に400mくらいのところに、正麟寺があります。ここにはマタ・ハリやジャンヌ・ダルクとも呼ばれた川島芳子のお墓があります。若い頃の華麗な活躍と、処刑で命を落とすという非業の死に、思いを馳せます。

さらに500mほど東に行くと、旧開智学校。道なりに歩いて行って裏側に出ました。1/3は残念ながら休館日で、中には入れません。開智学校には、土方先生と一緒に資料調査に行ったことが思い出されます。貴重なのは建物だけでなく、明治時代の教案等、文書史料が数多く残されていて、宝の山です。

そんなわけで、信州蕎麦を美味しくいただいて松本を後にしたのでした。
(2018年1月3日訪問)

【東京都目黒区】目黒不動尊と大圓寺

目黒不動尊と大圓寺に行ってきました。

目黒不動尊は、正式名は瀧泉寺。東急目黒線の不動前駅から歩いて10分弱です。なかなか立派な仁王門に見えますが、コンクリート製なのがちょっと残念。

大本堂も鉄筋コンクリート製ではあるけれど、立派な面構え。階段を上って回廊を裏に回ると、四天王に囲まれた大日如来像があり、そこを抜けるとJR目黒駅方面の道に出ます。

瀧泉寺という名前の由来となった瀧と泉の中に立つ、水かけ不動明王。法善寺の水掛不動のように苔むしてはいませんけれども。西郷隆盛は実際にこの滝に打たれたようですが、我々凡人はこの不動明王さまに身代わりに水に打たれてもらいます。年末年始は込むんだろうけど、クリスマスは待ち時間なしで水をかけられました。

家光の行方不明になった鷹が留まったという松。ここから女坂を上がると、黒光りする役行者の像があります。なかなかエンターテインメントが凝縮された空間となっています。

仁王門の脇には、恵比寿神社。コンパクトですが、清潔感のある爽やかなスポットです。

サツマイモ栽培で有名な青木昆陽の墓。墓石には甘藷先生と刻まれています。

目黒不動からJR目黒駅の方に歩いて行くと、行人坂の入り口の紅葉が見所に。もう歳の暮れというのに紅葉の盛りとは、日当たりが良かったんですかね。

行人坂の途中には天台宗の寺院、大圓寺があります。行人坂という名前は、大圓寺から目黒不動尊まで修験者が修行に通った道ということに由来するようです。

境内左手にはびっしりと五百羅漢像があります。江戸三大大火の一つ、大圓寺出火の行人坂大火による一万数千人の犠牲者供養のために作られたようです。

大火でとろけてしまったお地蔵さん、「とろけ地蔵」は、名前に違わず、容赦なくとろけていました。
大圓寺は、目黒不動尊に比べたら知名度はないかもしれませんが、他に類例がないユニークなお寺です。JR目黒から大圓寺→行人坂→目黒雅叙園→目黒不動尊は、なかなか趣のある散歩道になると思います。
(2017年12/25訪問)

【東京都大田区】洗足池、勝海舟夫妻のお墓は改修終了

洗足池(せんぞくいけ)に散歩に行ってきました。東急池上線の洗足池駅から、横断歩道を渡ってすぐ洗足池です。

いい天気でぽかぽかしているからなのか、木の杭の上に、もれなく鴨が佇んで日向ぼっこしているのがおかしいです。

全ての木の杭の上に鴨が座っています。誰も飛びません。

もれなく座っています…

池の西側には、千束八幡神社が鎮座しています。頼朝が名馬池月を得た、ゆかりの神社のようです。

源頼朝が佐々木高綱に与え、義仲追討の宇治川の戦いで先陣を切った時に跨がっていたのが、池月。摺墨のライバルです。

2012年に訪問した時には、池月の立派な絵馬も飾ってありました。

池の北側には弁天様。

西側には勝海舟夫妻の墓や、西郷隆盛の句碑があります。2017年現在は改修工事中で入ることができません2018年に改修工事が終わりました。勝海舟は洗足池の畔に別邸を建て、遺言でここに墓を建てたようです。この写真は2012年に訪問した時のもの。

池の南東にある妙福寺は、日蓮聖人ゆかりのお寺です。終焉の地である池上本門寺にたどり着く前に、ここで休憩したようです。洗足池の名前は、ここで日蓮が足を洗ったことに由来するとか。

袈裟掛けの松。三代目。この脇の出入り口を抜けると洗足池図書館のテラスに出るので、少し不思議な感じがします。散歩するにはとてもいいところです。
(2017年12/25訪問)