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【要約と感想】斉藤研一『子どもの中世史』

【要約】昔の子供は、今よりも過酷な環境に置かれていました。

【感想】「昔の子供はこうだった」などと安易かつ軽率に発言してしまう人たちがいるけれども。実際のところ、昔の子供がどういう生活を送っていたのか、総体的かつ包括的に理解して言及している人はほとんどいない。大半が自分の狭い経験と独断的な思い込みを最大限に理想化して垂れ流しているに過ぎない。

かくして、現実の子供問題を適切に判断するためにも、昔の子供が実際にどういう生活を送っていたのか、知識と教養として理解しておく必要がある。歴史的な深みを知ることで、さらに広い視野から現実問題を捉えることができるようになる。本書は個別的なテーマを掘り下げることで、中世の子供たちの現実の様相に様々な角度から光を当てている。

出産の時のおまじない、子供の安全を祈願する習俗、御守りなど、子供の健やかな成長と発達を願う事例に加えて、子供の人身売買、捨て子、子供の連続誘拐殺人事件の多発、子供の地獄など、昔の子供が過酷な状況に置かれていたことも明らかになる。事実を知るにつけ、「昔の子供は…」などとは、もはや安易には言えなくなっていく。

このような歴史学の成果を現実にどう活かしていくかは、教育学の仕事になる。がんばりましょう。

斉藤研一『子どもの中世史 (歴史文化セレクション)』吉川弘文館、2012年<2002年

【要約と感想】柴田純『日本幼児史』

【要約】昔、子供はそんなに大切には扱われていませんでした。

■確認したいことで、本書に書いてあったこと=江戸時代中期まで、日本人は子供の保護や教育にまるで関心を持っていなかった。道ばたに子供が捨てられて泣いていても、特に関心を持つ者などいなかった。人々の無関心のうちに、大量の子供が死んでいった。子供が死んでも正式に埋葬せず、袋に詰めて山に捨てていた。しかし江戸中期以降、子供の教育や福祉に対する関心が浮上してくる。子供に対する愛情が決して普遍的な感覚ではなく、歴史的に形成されたものだということを教えてくれる。

【感想】教育学研究者としては、「七つ前は神の内」というキャッチフレーズが、実は日本人の伝統的心性となんの関係もなく、近代以降に形成されたただの俗説だという説明に、かなり安心した。授業でアリエスなどを扱う際に日本の話に及ぶとき、この「七つ前は神の内」という言葉のせいで整合性が失われてしまうような違和感があったからだ。

説得力を感じたのは、7歳という境界線が、物忌みに対する合理的な判断に由来してるという説明だ。古代から中世にかけて、現在では考えられないほど「儀式」というものの重要性が高かった。そして物忌みに対する神経質なこだわりは、我々の想像を絶する(伝染病等に対する当時の合理的な対処であったかもしれないが)。しかし当時の子供の死亡率は極めて高かったため、子供が死ぬたびに物忌みを行っていたら、儀式の円滑な遂行が不可能になってしまう。儀式を滞りなく行うためには、子供を無視する必要があった。これは子供への愛情があったかどうかという問題ではなく、制度として子供の位置をどのように定めるかという問題である。勉強になった。

要確認事項=いっぽう、どうして江戸中期に子供へのまなざしが変化したかという説明には、多少の違和感は残る。本書では、「天道=人知を越えるもの」から「政治=人間の手で可能なこと」へという意識の変化が、子供への福祉への意識を高める結果となったと見ている。確かに同時代に起こった変化だろうが、それは相関関係であっても因果関係ではないような気がする。私の個人的な研究視点からすれば、商品経済の展開という下部構造が両者に共通する土台のような印象がある。

柴田純『日本幼児史―子どもへのまなざし』吉川弘文館、2013年

【要約と感想】ポルトマン『人間はどこまで動物か』

【要約】人間は他の動物に比べて圧倒的に能なしで生まれるけれど、だからこそ自由で個性的で、尊い。

【感想】「生理的早産」という概念とともに、しばしば教育学の教科書に登場する動物学の本。しかし現在、実際に読まれることは滅多にない本のような気もする。原著発行が70年前、翻訳も55年前の出版だ。本書に示された科学的知識は、特に遺伝子やサル学などの領域で、現代では遙かに凌駕されている。とはいえ、本書の持つ意義は衰えていないと思う。というのも、これは自然科学の本である以上に人間に関する思想の本であり、そして人間を扱う「学」の方法論に対する誠実な姿勢が時代を超えて意味を持っているからだ。

まず「生理的早産」とは、人間の「出産」に関する知見である。ポルトマンは他の動物(特に専門の鳥類)との「出産」を比較しながら、人間の人間としての特殊性を明らかにする。それによれば、本来なら人間はもう一年余分に胎内に留まってから生まれることが望ましいにもかかわらず、実際には一年早く「能なし」のままで生まれてきてしまう。他の高等哺乳類(ウマやクジラなど)であれば、子供はほとんど成体と同じようなプロポーションで誕生し、生まれてすぐに成体と同じような行動をとることができる。しかし人間の赤ん坊は、周囲の人間のサポートを期待できなければ、生きることさえできない。サルと比較しても、人間の赤ん坊の弱々しさは際立っている。

この一年早められた「子宮外の生活」が、まさに他の動物とは異なる人間の人間としての特殊性を形成する。もしも母の胎内にいれば、子供の成熟過程は「自然法則」に全面的に依存するので、個体同士の違いが生じる余地はあまりない。しかし子宮外での生活は、自然法則とは無関係な、「一回起性」の「出来事」の連続となる。それは「文化」の違いによってまったく異なる独特な経験を生じさせるだろう。これが人間がそれぞれの「個性」を形成する「歴史的」な環境となる。

そしてポルトマンは、人間に「個性」があり、「人格の尊厳」を持つことこそ、人間が他の動物と異なる決定的な人間の条件であるという信念を持っている。だからこそ、彼は自分自身が生物学者であるにもかかわらず、あるいはそれ故に、生物学=自然科学が踏み込むべきでない限界を厳しく設定しようとする。特に彼は、進化論の無節操な推論の拡張に、繰り返し警戒心と不信感を示している。生物学の成果を土台にすることは必要だとしても、しかし生物学の成果からの推論の積み重ねだけでは、人間というものの存在様式は決して理解できない。人間に特有の精神活動に関する知見が関わってくる必要がある。

個別的な研究の成果もさることながら、「人間学」に関する「方法論」に大きな感銘を受ける本だ。教科書的に「生理的早産」というキーワードだけで語られるのは、もったいない本である。

アドルフ・ポルトマン/高木正孝訳『人間はどこまで動物か―新しい人間像のために』岩波新書、1961年

【要約と感想】服藤早苗『平安朝の母と子』

【要約】平安時代中期、母親は子供を育てていなかったし、子供は大事にされていなかった。子供を捨てる母親が大量に存在していたのもさることながら、衝撃的な事例では、病気になった子供が道ばたに放逐されて犬に食われてしまうことすらあった。かわいそう。

というふうにまとめると身もふたもないけれども。「家族」というものの形や「子供」に対する意識が普遍的なものではなく、時代によって大きく変化するということを端的に示している。特に本書が扱う平安時代中期は、「家族」が根本的な変化を被った時代のようだ。

現在、「俺が考えた最強の家族のかたち」をデカい声で無責任に叫んでいる人たちが、いろんな立場でいるけれども。どの立場に立つにせよ、まずは日本にかつて存在した「家族」の形を客観的な事実として知ることから始めた方がいいのではないかな。我々が伝統的と思い込んでいる「家族」の形は、実はさほど伝統的でも日本的でもないかもしれない。

服藤早苗『平安朝の母と子―貴族と庶民の家族生活史』中公新書、1991年

【要約と感想】アリエス『〈子供〉の誕生』

【要約】むかし、子供はいませんでした。けっこう最近になってから誕生しました。

【感想】「中世の社会では、子供期という観念は存在していなかった。」(122頁)という主張で有名な歴史研究書。センセーショナルな衝撃でブームを巻き起こす一方で、迂闊な反論から緻密な反論まで大量に呼び寄せて、その後の「子ども史研究」の流れをの源流となった、いろいろな意味で必読の先行研究となっている。

 本書のタイトルは「子供の誕生」となっているけれど、丁寧に読んでみると、実際に描かれていることは、もっと根本的な事態だと分かる。アリエスが描いているのは人間世界の根源を揺るがす地殻変動全体であって、「子供」はその変化を最も象徴的に示している指標に過ぎない。

 たとえば「家族」。中世は、身分によって人間同士の関係が網の目のように密接に絡み合っていて、その網の目から明確に切り取られる「家族」という実態および感覚がそもそも考えられない。アリエスは建築様式の変化を辿りながら、「家族」を成立させるプライベートな空間自体が中世には物理的に存在していなかったことを示している。「家族」は特別な組織ではなく、網の目のように絡み合った人間関係の一部分に過ぎなかった。21世紀の現在であれば、「家族」は他の社会関係から切り離された、特別な親密圏としてイメージされる。法的にも、物理的にも、感覚的にも、愛情的にも。しかし家族が社会全体から隔離される条件がなかった中世においては、現在のような親密な感覚や愛情が育まれることなどあり得ない。
 (※現在の家族史研究においては、人口動態データを踏まえれば「核家族」の出現はアリエスの主張以上に早かったはずだ、というのが定説になっている。)

 それから、「労働」とその準備期間。中世においては、人々は労働のための準備期間を特別に設けることなく、いきなり現場に投入されて、実際に働くことで仕事に習熟していった。子供が学校に隔離されることなく、子供と大人が同じ空間(職場など)にいることは当り前の光景だった。中世の「学校」も、子供と大人が同時に存在する空間だった。

 あるいは「遊び」。中世では、大人も子供に混じって同じように遊んでいた。大人になったら「遊び」から卒業という感覚は存在していなかった。子供と大人が同じ空間で同じ仕事をしているために、大人が子供から区別されるべきという意識は生じない。他にも、階級意識とジェンダー規範についても、アリエスはかなりこだわって記述を進めている。このように、家族、労働、遊び、階級、ジェンダーに関わる根源的な地殻変動が記述の対象なのだ。

 ということで、アリエスが言う「子供がいなかった」という主張は、「社会から隔離された家族の中で、労働から解放されて、学校に囲い込まれ、健康と教育に関する細心の配慮がなされる愛情の対象としての子供」がいなかったという主張であって、もちろん物理的に子供がいなかったなどと言っているわけではない。「かつての子供は乳離れするとすぐに社会の網の目に組み込まれ、大人たちと一緒に働き、一緒に遊び、未成熟な家族という弱々しい組織には健康と教育に関する配慮を行う実力がない」という状態を、アリエスは「愛情がなかった」と見なしたのだ。それは「親としての愛」があったかどうかという問題ではない。ここを勘違いする人が多すぎる。まあ、アリエスの表現も軽率だったわけだが。
 (※1990年以降の研究においては、「家族の愛情」という家族内の文脈ではなく、幅広い社会的文脈の中で「子ども」を捉えようという流れが強くなっている。)

 だから、アリエスの仮説が正しいかどうかは、「家族」という組織が社会全体から隔離されて独立した機能を備えた島宇宙となっていく過程が丁寧に描けているかどうかにかかっている。この点に関して、後の研究はアリエスの見解を批判していくことになる。様々な史料が掘り起こされ、多角的な観点が示され、アリエスの主張そのものに対しては大きな修正が必要であることが、研究者の間では共通理解になっている。

 とはいえ、本書が掲げた課題の意義は現在でもまったく失われていないと思う。というか、子供や少年に関して根拠のない妄想と勘違いと思い込みだけで声をデカくしている軽率で迂闊なモラリストが増えてきている現在、本書の意義はますます重要になっているのではないか。教育学に関わる人間は、必読。

フィリップ・アリエス『〈子供〉の誕生―アンシァン・レジーム期の子供と家族生活』みすず書房、1980年

子ども史に関して他に参考になる本

【比較的最近の子供史研究】
カニンガム『概説子ども観の社会史』:アリエスの仕事を相対化する視点が得られる。

【日本の子供史研究】
柴田純『日本幼児史』:かつて日本では子供をあまり大事にしていなかったことが分かる。
斉藤研一『子どもの中世史』:かつて日本の子供が苛酷な環境で生きていたことがわかる。
河原和枝『子ども観の近代『赤い鳥』と「童心」の理想』:日本で近代的な子ども観が成立したのが大正時代と主張している。

【アリエスの研究の影響を踏まえた議論】
イヴァン・イリイチ『脱学校の社会』:学校制度が不必要であることの根拠として、「かつて子供はいなかった」というアリエスの知見を踏まえて「かつて学校制度などなかった」と主張する。