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【要約と感想】山田晶『アウグスティヌス講話』

【要約】カトリックの聖人アウグスティヌスを、近寄りがたい偉人としてではなく、具体的なエピソードを通じて身近な人間として捉えながら、煉獄と地獄、三位一体論、悪、終末、休日など、カトリックのトピックについての理解を深めます。

【感想】特に日本人が誤解しがちなトピックにターゲットを絞って、カトリックの教義を解説しているように読んだ。東洋思想との類似性を挿入しているのも、意図的なのだろう。カトリックとしての言い分はよく分かった気がする。が、言い分を理解したとして、納得するかどうかはまったく別の話なのだった。やはり私には、カトリックの言う神とは別の神がいるようだ。

【個人的な研究のための備忘録】三位一体
 本書は、カトリックの最重要奥義である「三位一体」について、非常に分かりやすく解説している。特に感心したのは、アウグスティヌスを媒介にして西方教会と東方教会の考え方の違いを極めて明快に打ち出すことで、三位一体教義と「ペルゾーン」の意味内容を浮き彫りにしているところだ。これで「人格」という日本語の意味内容がペルゾーンという原語と比較して圧倒的に貧弱であることも明確になる。勉強になった。「解説」では本書の中で最も困難だなどと書いてあったが、三位一体の奥義をこれ以上分かりやすく説明することはできないのではないか。

「たしかに「人格」はペルゾーンであるが、ペルゾーンはすべて「人格」であるとはいえない、と。というのは、人格だけがペルゾーンであるのではなくて、神もまたペルゾーンである。したがってペルゾーンは、神にも人間にも通じるもっと広い概念であるといわなければならない。」p.115
「この「ペルソナ」というラテン語を三位一体における御父、御子、聖霊にあてはめたのは、二世紀後半から三世紀前半にかけて活躍したアフリカの教父テルトゥリアヌスです。彼はもともと法律学を勉強した人です。ですから法律的な概念を三位一体の教義に適用したといえるでしょう。すなわち、御父、御子、聖霊はその本質は一なる神であるが、それぞれの役割において相互に区別される独立の主体であるという意味で、ペルソナなる名を三者に適用したのであると思われます。」pp.121-122

 私の興味関心に照らして、決定的に重要なポイントに触れている。ペルソナというラテン語(つまりローマ帝国首都の言葉)は、もともとローマ法の中で鍛えられた言葉だ。近代日本の法体系においても、ローマ法以来の伝統を引き継いで、「人格/物件」の厳密な峻別をいちばん根底の土台に据えている。この場合の「人格=ペルソナ」は、法的責任の主体という意味であって、禁治産者や奴隷や精神異常者など法的責任の主体たり得ない者には適用されない。だから単純な「人間」という意味ではない。共同体の中でしかるべき責任を取り得るような、「自由」と「責任」を持つ人間にだけ適用される言葉だ。
 で、著者によると、このローマ法以来の伝統を持つ言葉をテルトゥリアヌスが宗教用語に援用したということになる。ポイントは、「自由と責任」という概念と表裏一体の「ペルソナ」というラテン語を援用したのが西方教会(いわゆるカトリック)だけであって、東方教会では別の言葉(ギリシア語のヒュポスタシス)が使用されたという事実だ。このヒュポスタシスなるギリシア語は、英語ではsubstanceにあたり、日本語では「基体」とか「実体」などと呼ばれる。これも日本語では極めて分かりにくい概念ではあるが、さしあたっての要点は、このヒュポスタシスという言葉には「自由と責任」というイメージがつきまとわないというところだ。西方教会と東方教会で同じ三位一体の教義を説きながら、西方では「自由と責任」と密接な関連を持つペルソナなるラテン語を用い、東方教会では「自由と責任」とは無関係なヒュポスタシスなるギリシア語を用いた。この差が、後に西と東の間に決定的な懸隔を生じさせる、というストーリー。

「ただ、私の思いますのに、聖霊は「父から子を通して」出ると取るのと、聖霊は「父と子とから」出る取るのとでは、実質的に何の相違もないとしても、何か力点の置き方に相違が出てくると思います。そしてその相違が、三位一体なる神の捉え方においても、相違を生じてくると思います。そしてこの相違は、東方教会においては、父、子、聖霊が「ヒュポスタシス」として把握されたのに対し、西方教会においては「ペルソナ」として把握されたというこの相違に何か関係が在るように思われます。そしてそのことが、東方においては発展しなかったペルソナの概念が、西方において発展したこととも何か関係が在るように思われます。」pp.126-127
「ギリシアの教父たちによって把握され表現されたキリスト教の神は、ネオ・プラトニズムからその用語をかりながらも実質的にはそれと明確に区別された三位一体の神であったことに疑いはありませんが、それにもかかわらずその思考法において、ネオ・プラトニズムとの親近性を有するように思われます。」p.129
「東方教会に属する神学者たちが、多く否定神学的傾向を有し、その思惟方法においてアリストテレスよりもネオ・プラトニズムに近いのは、上に述べられたような三位一体の把握の仕方に由来するところが多いと思います。またこのような否定神学的傾向にもとづいて、西方教会において異端視されたエックハルトの思想が、現代の東方教会の代表的神学者たるロスキによって、高く評価され、深い共感をもって受け容れられる理由も理解されます。」p.131
西方教会の「このような三位一体の関係の把握は、神が理解する者であるとともにまた愛する者であることを前提としてはじめて成立します。それゆえこのような三位一体の把握においては、三者が「ヒュポスタシス」ではなく「ペルソナ」という名で呼ばれた世界において、すなわち西方教会の世界において、このような三位一体のペルゼーンリッヒな把握の仕方がはじめて可能になったというべきかもしれません。」p.134

 ここで、現時点でもちろん想起せざるを得ないのは、東方教会の正統な後継者を自認するロシア正教会の振る舞いである。ロシア正教会は完全にプーチンを支持し、侵略戦争を正当化するイデオロギーを提供している。もちろんカトリックも歴史的に振り返ってみればたいがいなことをしているわけだが、最終的には一人一人の個人の自由と責任を尊重し、多様性を容認する民主主義の理念に馴染んでくる。ここにローマ法以来の伝統である「ペルソナ」概念が深く関わってくることを考えてはいけないだろうか。そしてその伝統と無関係のところで展開してきたロシア正教会の垂直的な権威主義を想起してはいけないだろうか。まあ、いっぺんに決めつけるには極めてデリケートなテーマであることは間違いないが、思ってしまったので、読了直後の個人的感想として書き記しておく。

「誰かにこのような附加をなさしめ、またその附加のなされた信経が、教皇の制止にもかかわらず、よろこんで唱えられるように西方教会の三位一体の解釈の方向をみちびいた者は誰であったかと問われるならば、それに対してははっきりと答えることができます。それはアウグスティヌスです。」pp.134-135
「アウグスティヌスの三位一体論が、西方教会に与えた影響が決定的であったことは、東方教会の神学者たちのアウグスティヌス批判からも知ることができます。(中略)一般に、東方教会の神学者たちの間で、アウグスティヌスの評判はかんばしくありません。このことは裏からみれば、西方教会の神学の形成において、アウグスティヌスの思想の影響力がいかに強大であったかを証明します。ペルソナの思想の発展は、西欧に固有のものであり、その根底に、アウグスティヌスによって捉えられた三位一体の思想が存しています。」p.137
「ところでわれわれ個々の人間も、理解し愛するはたらきの主体であるかぎりにおいて、それぞれ一個のペルソナであります、そこで、その理解し愛する対象が人間である他者に向い、私というペルソナと他人というペルソナとの間に、相互に理解し愛し合うという関係が成立するとき、そこに人間同士の間にペルソナ的→ペルゼーンリッヒな関係が成立します。親子、夫婦、兄弟、友人同士、等のいわゆる人倫関係は、その意味でペルソナ的→ペルゼーンリッヒな関係であり、この関係の場に在るかぎりの個人は、それぞれ一個のペルソナ→ペルゾーンです。この意味で、神のうちに三つのペルソナペルソナ的関係が成り立つように、人間の世界に人間同士の間にペルソナ的関係が成立します。」pp.139-140

 つまり、ペルソナとは単なる「個人」ではない。社会から切り離されてあらゆる文脈を無視したところに浮遊する「個人」ではない。社会全体と関係を切り結びながら何らかの役割を担いうる「主体」である。稲垣良典の言う「存在・即・交わり」だ。
 そしてヨーロッパとは、この「存在・即・交わり」という有り様を、国の有り様にも適用して理解した。一つ一つの国には、国際社会全体と関係を切り結びながら何らかの役割を担いうる「主権」を持つ。そうして、大きな国も小さな国も、それぞれの役割を果たしながら、国際社会の中で同等の尊厳を持つ。ロシアのプーチンには完全に欠落している考え方である。
 さて、とはいえ、このストーリーは西欧(およびカトリック)にとって都合の良い仮説に過ぎない。カトリックも歴史的に振り返ってみればたいがいだったことは忘れてはならない。「ペルソナ」概念の展開を考える際には、一つの立場から決めつけることを慎み、多様な観点から丁寧に光を当てていく必要がある。

山田晶『アウグスティヌス講話』講談社学術文庫、1995年

【要約と感想】中谷功治『ビザンツ帝国―千年の興亡と皇帝たち』

【要約】4世紀始めのコンスタンティノープル遷都から、1204年の第四回十字軍による占領を経て、1453年にメフメト2世によって首都が陥落するまで、1000年以上にわたるビザンツ帝国の激動の歴史を、皇帝の事跡を中心に、皇帝と貴族の関係、首都と地方の関係(テマ制)、政治と宗教(ギリシア正教)との関わりという観点に注目しながら描きます。

【感想】高校世界史の教科書レベルでは書いていないことばかりでとても勉強になった上に、昨今の世界情勢も踏まえていろいろ思うところがあった。

 まず「中世」という概念について。「中世とは何か?」という問いは、「近代とは何か?」とか「ルネサンスとは何か?」という問題意識とセットとして追求するべき問題なわけだが、本書を読んでいると、まさにビザンツ帝国(=東ローマ)の存在こそが中世だとも考えたくなってくる。東ローマの文化と宗教と皇統を引き継ぐビザンツ帝国が存在感を発揮している限り、いわゆるヨーロッパ(=西ローマ)が独自の領域と歴史を持った世界として認識されることはなかったのではないか。というかそもそもヨーロッパ人がビザンツ帝国を「ビザンツ」と呼ぶこと自体が失礼な話であって、ビザンツ帝国は実質的にも手続き的にも「ローマ帝国」と呼ぶに相応しい国家だ。それを「ローマ帝国」と呼ばないのは、ヨーロッパ人がそれを事実として認めたくないというだけの話だ。
 そんなわけで、現在の我々がイメージする近代ヨーロッパ(時間的にも空間的にも)は、ビザンツ帝国(つまり中世)を忘却したところに成り立つ。あるいは、ビザンツ帝国を完全に忘却しても時間と空間の辻褄が合うように捏造された概念がいわゆる「ルネサンス」ということになるのだろう。実際に、いまヨーロッパが自らのルーツと自認しているギリシアの伝統は、実はもともと西ヨーロッパ(つまりゲルマン人の世界)には影も形も存在せず、ビザンツ帝国に蓄えられていた文化を学習(あるいは簒奪)して獲得したものだ。
 そういうふうに、ヨーロッパ近代を「ビザンツ帝国を忘却してギリシア文化を自らの起源だと強弁するもの」だと定義するなら、それが可能になるのはビザンツ帝国が滅亡した後になるから、必然的に「中世」の定義は「ビザンツ帝国が存在している世界」ということになる。

 そして「帝国」という概念について。ビザンツ帝国は、紛れもなく「帝国」だ。というのは、近代的なnationalityの概念を当てはめることがまったくできない多民族国家だからだ。ビザンツ帝国が国として存在できるのは皇帝という一つの人格の下に「力」が統一されているからであって、この皇帝の人格が失われたときに、「ビザンツ民族」なるnationは存在しない以上、国体=nationalityは容易に失われることになる。たとえば逆にユダヤnationのあり方を考えてみると、ユダヤ人には「王」という「力の統一」は長らく失われているにも関わらず、nationalityそのものは失われていない。「ユダヤ民族」というnationが存続している以上、王という人格の有無はnationality存亡の決定的な要因とならないわけだ。同様に、フランス革命によって「フランス王という人格」が失われたとしてもフランスというnationalityはむしろ強固になったことを思い出してもよい。しかしビザンツ帝国の場合は、国を国として統一する原理が「力」しかなかったために、皇帝の人格が失われると共に国体も失われることになる。つまり「帝国」とは本質的に中世的な概念であって、逆に近代とはnationalityが根本的な原理となった時代を指す。
 そう考えると、本書が中央政権と地方行政の関係をテマ制を中心に丁寧に見ているのは、「帝国」のあり方を考える上で本質を突いているわけだ。本書を読んで驚くのはあまりにも地方の反乱が続出するところだが、nationalityが成立していないとは要するにそういうことだ。国を国としてまとめる原理が「力」しかないのであれば、もし仮に地方が「力」を持てばそこが一種の「国」となるのも当然の話だ。そして最も「力」を持つ者を「ローマ皇帝」と呼ぶのであれば、皇統の正統性もなにもあったものではなく、ただただその時点で最大の力を握った者が皇帝を僭称するだけの話だ。しかしnationalityが成立しているところでは、そういう話にならない。

 ただ問題になるのは「宗教」だ。ビザンツ帝国が国としての体裁を保てたのは、実は単に「力」の論理だけでなく、ギリシア正教という宗教的な権威が背景にあってのことだった。ビザンツ皇帝が皇帝であるためには、軍事力だけでは十分ではなく、宗教的な権威も味方につける必要がある。近代国家ではnationalityが国を国としてまとめる凝集力になっているが、中世国家では宗教がこの凝集力を集めていた。日本の歴史を振り返ってみても、武家政権という最高の軍事力が皇統の正統性を冒さなかったのは、nationalityというよりは宗教的権威に理由があるだろう。本書ではいわゆる「皇帝教皇主義」に関する通説に留保をつけていたものの、ビザンツ帝国の国体を考える上ではどうしてもギリシア正教との関係を考えざるを得ない。国が国として成立する凝集力を保つために、軍事力以上に宗教というものが決定的な役割を果たすことについては、ユダヤ人のあり方を考えてもよいのだろう。

 そして現在の世界情勢との絡みでどうしても念頭に浮かぶのは、本書でも触れられている「第三のローマ」であるところのロシアの帝国主義的な蛮行である。4世紀前半、コンスタンティヌス帝によってローマ帝国の首都がローマからコンスタンティノープルへと遷された。そしてコンスタンティノープルの陥落に伴って、その都は今はモスクワに遷っているとロシア正教は言う。これは現実的な政治の話ではなく、国が国として成立するための凝集力がどこにあるのかという宗教的権威に関わる話だ。ロシア正教会は、「第三のローマ」というスローガンを掲げて、2000年の伝統を誇るキリスト教の正統性を自らが握っていると主張する。西ローマ帝国の消長に連なるローマ・カトリック教会としては認めがたい主張だろうが、東ローマからビザンツに連なる勢力としてはカトリックの方が無茶苦茶やっている(具体的にはカール戴冠とかオットー戴冠にどんな正統性があるというのか)という見方になるし、その主張に一定の理があることは認めなければならない。
 思い返してみれば、かつて「第三の帝国」を標榜した集団があったことに気がつく。ナチス・ドイツだ。第一帝国がオットー戴冠によって成立した神聖ローマ帝国、第二帝国がビスマルクによるドイツ帝国、そしてワイマール体制という国家の体をなしていない時期を挟んで、第三帝国がナチス・ドイツということになる。そしてこの「第三帝国」には、キリスト教神学を背景に「神の国の到来」をイメージさせる響きもある。そういう歴史的事実を踏まえると、ロシア正教会が「第三のローマ」を自称して宗教的権威の正統性を主張していることについてどう考えればいいのか。まあ、陰謀論でも何でもなく、プーチンとロシア正教会大主教自ら帝国主義的な侵略路線を大々的に宣言しているわけだが。

 言うまでもなく、ロシアは多民族国家だ。ロシアという領域に住んでいるのはロシア人だけではない。だから、国を国としてまとめる凝集力として「ロシア民族性というnationality」に期待することはできない。もしnationalityに依拠すると、ロシア領内に住む多民族(nation)の自決権をも認めなくてはならない理屈になってしまう。だからプーチンとしては、ロシア領内の多民族の自決権を否定しつつも、国を国として凝集させる論理を構築しなければならない。結果として、「主権」という概念を弄して「nationではあるがstateたる要件はない」という理屈を繰り返し強弁して民族自決権を挫き、現実的には「力」を見せつけつつ、しかし多数のnationを帝国主義的にまとめあげる原理としては宗教に期待するしかない。ロシア正教が果たしている役割は、「第三のローマ」というスローガンも深く絡んで、おそらく我々日本人が想像する以上に大きいような気がする。

 ということで、本書を読みながら、まさにビザンツ帝国が体現していた「中世」と「帝国」と「宗教的凝集力」という前時代の亡霊がプーチンの背後で蠢いているような気がしたのであった。しかしロシア正教は仮にも2000年の伝統を誇るだけ、まだマシなのかもしれない。中国が国民的凝集力の核として「習近平思想」を持ち込んでくるのは、ギャグとしか思えない。中国には他に誇るべきものがいくらでもあるというのに。今こそ「国破れて山河あり」という章句を味わうのがよろしいのではなかろうか。

「ところが、ビザンツ帝国では「デモクラティア」という養護の意味は、これらとはまったく異なる軽蔑的な色彩を帯びていった。そもそも史料でこの用語が登場するケースはまれになるのだが、その際の意味は「混乱」とか「騒乱」なのである。つまり、ビザンツにあっては皇帝が君臨する君主政体が常態であって、デモクラティアとはそれを欠いた不測の事態なのであった。」96頁
「ところが、帝国は崩壊の局面に入ると予想外にあっけない、あるいは長い混迷の時期が続くケースが多いようだ。そして、帝国が解体するとき、そこに混在して生活してきたエスニックな諸集団が「民族」などの形態をとってシビアな対立抗争を展開する。」288頁

 引用したのはもちろん本書内でビザンツ帝国を説明した文章なのだが、さてはて、ロシア(あるいは中国)の現状と未来を言い当てる文章になるかどうか。
 ただ心配なのは、日本にもこういうふうにデモクラティアを否定してビザンツ(およびロシア・中国)のような権威主義専制国家に憧れる層がそうとうたくさん存在しているというところだ。習近平思想を想起させるような文章で国民統合を実現しようと試みるところもよく似ている。今後の世界で説得力を持つのは、デモクラティアか、権威主義的専制か、さてはて。

中谷功治『ビザンツ帝国―千年の興亡と皇帝たち』中公新書、2020年

【要約と感想】鈴木宣明『ローマ教皇史』

【要約】ローマ教皇2000年の歴史を、使徒ペトロを初代として、現代まで辿りました。

【感想】一般的な世界史の大半は、フランスとかドイツとか国民国家を単位として記述するため、ローマ教皇はその時々に脇役として登場してくるに過ぎない。たとえば「カール戴冠」や「カノッサの屈辱」などのエピソードで、何の脈絡もなくいきなりローマ教皇が登場して、「そういえば、いたんだ」って思い出すことになる。が、もちろんそれは国民国家を単位として歴史を見ているからそういう印象になるだけであって、ローマ教皇の方にも文脈があるに決まっているのだった。逆に、ローマ教皇の立場からヨーロッパの歴史を眺めることで、国民国家という単位の射程の短さが明瞭に見えてきたりする。
 しかしまあ、追放されたり、幽閉されたり、連れ去られたり、無視されたり、破門されたり、毒を盛られたり、暗殺されたり、何度も分裂したりして、ローマ教皇も大変だ。
 で、今後西洋史の勉強を進める上で注意しておくべき論点が浮き彫りになった気がするので、以下にメモしておく。著者の主張ではなく、あくまでも私が疑問に感じたことである。

【要検討事項】使徒ペトロ
 現代に至っては、ローマ教皇の権威は使徒ペトロに由来するというのが当たり前のように言われたりするけれども、実はその主張そのものが歴史的に形成されてきた神学の産物だということは押さえておく必要がある。実際、仮にペトロの権威を認めるとしても、それがカトリック教会及び歴代教皇に引き継がれる根拠については別に考慮する必要がある。ひょっとしたら、ないかもしれない。で、この根拠が崩れるとローマ・カトリックの権威が土台から崩れる。ので、カトリックがこの論点で譲るわけがない。本書でも、古代教皇のところではもっぱらこの論点が検討される。

【要検討事項】西ローマ帝国は滅亡したのか
 そして古代ローマ教皇はコンスタンティノープルの東方教会との主導権争いに明け暮れるわけだが、それはいわゆる西ローマ帝国滅亡(476年)をどう評価するかという話にも繋がってくる。いわゆる「西ローマ帝国滅亡」という考え方は、実はカトリック教会にとって都合の良い考え方に過ぎず、実態を表わしているわけではないと疑ってもよい。というのは、いわゆる西ローマ帝国滅亡以降も、ローマ教会はずっとずっと長い長い期間、東ローマ帝国からの関与と圧力を受け続けるからだ。東ローマ帝国の立場から言えば、そもそも西ローマ帝国は滅びてなんかおらず、というか最初からそもそも西ローマ帝国と東ローマ帝国が分離していることもなく、ローマ帝国はコンスタンティノープルに健在であって、だとすればローマ教皇はコンスタンティノープル宮廷であるところのローマ帝国に当然従う義務があるだろう、という話になる。しかしローマ教皇側としてはビザンツ帝国に従いたくないので、「私たちが従っていた西ローマ帝国は滅亡しました、だからもう教会は自由。ビザンツ帝国に従う理由はありません。」と主張して対立を煽ることになる。というわけで、「476年の西ローマ帝国滅亡」という事案そのものが、利害関係者によって都合良く拡大解釈されたものかもしれない、と疑ってもよい。
 たとえば神学論争についても、純粋にキリスト教神学として極められたというよりは、政治的・現実的動機によってことさら相違を強調されたと勘ぐることもできる。特にエフェソス公会議やカルケドン公会議等で問題になった「三位一体」とか「キリスト単性説」とか、大局的に見れば心底どうでもいいことで、コンスタンティノープル総主教ネストリウスが言いがかりを付けられただけのようにも見える。率直に言って、「三位一体」にこだわる理由や意義は論理的にはさっぱり分からないが、政治的な動機で騒ぎたてたと勘ぐれば極めてすっきりとよく分かる。
 となると、いわゆる西ローマ帝国滅亡後に発生した「聖画像崇拝」の問題にしても、ローマ・カトリックが聖画像崇拝を認めるのは、神学的な根拠に基づくものではなく、ことさら東方教会との違いを際立たせて、ビザンツから距離を取ってやろうという政治的意図から出たものではないか、と勘ぐることもできてしまう。
 いずれにせよ、ビザンツ(東ローマ)帝国の存在を視野に入れて「そもそもローマ帝国は滅亡していない」という主張を受け容れ、そして事実としてローマ教皇がビザンツ帝国からの影響と圧力を受けていたことに配慮することで、ヨーロッパ中心史観が描く物語とは別の側面に光が当たることは間違いないのだった。

【要検討事項】カール戴冠の意味
 西暦756年の「ピピンの寄進」や西暦800の「カールの戴冠」は高校世界史でも扱われる題材で、現在の西ヨーロッパ世界成立の原点とされているが、ビザンツ帝国が絡んでくると急にきな臭い話になる。そもそもローマ教皇がフランク国王カールに「西ローマ皇帝」の称号を授けるためには、前提として、西ローマ帝国が滅んでいなければならない。西ローマ帝国が滅んでいなければ、カールに称号を授けることはできない。ローマ教皇としては、是が非でも西ローマ帝国が滅んだことになっていなければならない。そこで邪魔になるのがビザンツ帝国=東ローマ帝国だ。ビザンツが「ローマ帝国は滅んでいない」と言い張ったら、ローマ教皇はカールにローマ皇帝の称号を与えることなどできない。実際、東ローマ帝国はカール戴冠の実効性を認めない。ローマ教皇の方としては、現実的にはただただビザンツ帝国を完全に見限ってフランク王国=ゲルマン人に乗り換えただけなのだが、その行為を正当化するためには、「西ローマ帝国は実は滅亡していたんだよ」という歴史を創作しておく必要が出てくる。となると、カール戴冠によって「西ローマ帝国が復活した」と言っている人もいるが、極めて怪しい話になってくる。そもそも滅亡していなければ、復活のしようがない。逆に言えば、復活したと言い張ることで、滅亡していたことにできる。カール戴冠は、本当に「西ローマ帝国の復活」としていいのか。ローマ教皇に、そんな権能が本当にあったと考えていいのか。というか、仮に権能がなかったとしても、後に何も事情を知らない人たちに対して「西ローマ帝国の復活」と言い張り続けることで、ローマ教皇に権能があったことにできてしまうのだ。こういうふうに既成事実の神話化を試みているのはローマ・カトリックだけではないのだが、ローマ教皇はこの技術が実に巧みだ。とういか、その知恵だけで生き抜いてきたようにも見えてしまう。

【要検討事項】神聖ローマ皇帝位の行方
 高校世界史のレベルでは、西ローマ皇帝の称号はその後ドイツ国王との関係で云々されることになるのだが、それも怪しい話だ。ローマ教皇は、カール戴冠の後、特に一貫してドイツ国王(東フランク王)に皇帝位を与え続けたわけではない。実は西フランクに浮気していたりもするし、10世紀初頭には形骸化して消滅している。
 神聖ローマ帝国皇帝の称号がドイツ国王と結びつくのは、西暦962年のオットー1世戴冠からのことだ。逆に言えば、ここでもまた歴史が創作されたと考えて良い。カール大帝の戴冠とオットー1世の戴冠には、直接的な連続性は認められない。それを連続していると理解できるのは、オットー1世とローマ教皇が歴史を創作したからに過ぎない。しかし実はそれすらも後世の創作に過ぎないのだろう。オットー1世に皇帝の称号を与えたローマ教皇ヨハネス12世は、物理的支配の後ろ盾を得るために皇帝の称号を形式的に利用しただけであって、それを理念の次元で「ローマ帝国の継承」などと考えていたわけはなかろう。またオットーはオットーで単にローマ教皇を利用しようとしただけで、実際に皇帝の称号を得てからは、ローマ教皇ヨハネス12世を殺人罪や汚聖罪を理由に退位させている。オットーがローマ皇帝の称号を得たのは、どうもローマ教皇ヨハネス12世が軽率で迂闊だったからに過ぎず、カール戴冠とオットー戴冠を理念的に繋げようとするのは、後の時代の創作に過ぎないだろう。
 そのあたり、ナポレオンの戴冠については神話化を許容できないほど生々しくも野蛮な剥き出しの実力主義だったことを記憶しているわけだが、そういうふうに生々しいのは事情が詳細に知られている(おそらく印刷術の効果)からであって、実際にはオットー1世の戴冠にも似たり寄ったりの事情があったのをみんな忘れてしまった(おそらく印刷術がなかったため)だけなのだろう。

【要検討事項】イタリア・ローカリズム
 現代ではローマ教皇の権威は全世界に普遍的であると見なされているのだが、それは極めて近年の話で、中世からルネサンスあたりまではそうとうローカルな政治権力として機能していたことをイメージしておく必要があるように思う。たとえばマキアヴェッリ『君主論』ではローマ教皇アレクサンデル6世(およびその息子)が大活躍するのだが、それは西ヨーロッパに普遍的な宗教的権威としてではなく、ただただイタリアの現実政治に影響を及ぼすローカルな権力としてだ。
 14世紀のフランス王国によるアヴィニョン捕囚も、その文脈で理解しておく必要がある。フランス王国は宗教的に何かしようとしてローマ教皇を捕えたのではなく、ただただイタリア(特にナポリとシチリア)に影響力を行使するべく、ローカル権力であったローマ教皇を拉致していただけなのだろう。実際、ローマ教皇が捕囚されていたアビニョンは、フランス王家の支配地ではなく、ナポリとシチリアに極めて大きな関心を抱いていたアンジュー家の所領だった。捕囚直前の13世紀には、アンジュー家のシャルル・ダンジュー(シチリア王)が、ビザンツ帝国を征服して地中海の覇者となることをも夢見ていおり、ローマ教皇もその野望(東ローマ帝国征服)に乗っかっていた。ローマ教皇としては、やはり相変わらず東ローマ帝国の存在は目の上のたんこぶのようなものだったのだろう。
 ビザンツ帝国は1453年にイスラム勢力によって滅ぼされるわけだが、ローマ教皇は特に十字軍の発令などをすることもなく、ルネサンス美術にうつつをぬかしてローマ市内の美的整備に力を尽くしている。世界全体の動向などどうでもよく、ローマが美しくなればそれで嬉しいという、ただただローカルな権力になっている。その勢いのまま1517年、いわゆるルターの宗教改革に突入していくわけだが、ローマ教皇に対応する力がなかったのは当然だったかもしれない。とすれば、たとえばイギリスが国教会を打ち立ててローマから離反し、宗教的寛容を唱えたジョン・ロックが「カトリックと無神論者は例外だ」と主張することになる気持ちにも想像が及びそうだ。
 そんなカトリックが、いつの間にか「普遍」を装っているのはどういうことか、そこに至るまでにどういう歴史の創作があったのかは、しっかり把握しておく必要がある。案外、日本人だけが勘違いしていて、ヨーロッパ現地の人はそんなふうに思っていないかもしれない(たとえば日本人が神社やお寺に対して抱いている程度の感覚)ということも視野に入れておく必要がある。

鈴木宣明『ローマ教皇史』ちくま学芸文庫、2019年<1980年

【要約と感想】深井智朗『プロテスタンティズム―宗教改革から現代政治まで』

【感想書き直し2022/2/12】実は著者が論文の「捏造」をしていたことが、読後に分かった。捏造していたのは他の本ではあるが、本書が捏造から免れていると考える根拠もない。信用できない。読後の感想で、「論文や研究書の類ではズバリと言えず、言葉の定義や歴史的社会的背景を注意深く整理した上で奥歯にものが挟まったような言い方をせざるを得ないような論点を、端的に言葉にしてくれている」と書いたが、それがまさに研究にとって極めて危うい姿勢だということがしみじみと分かった。今後、本書から何か引用したり参考にしたりすることは控えることにする。

【要約】一口にプロテスタンティズムといっても内実は多様で、ルターに関する教科書的理解にも誤解が極めて多いのですが、おおまかに2種類に分けると全体像が見えやすくなります。ひとつは中世の制度や考え方を引き継いで近代保守主義に連なる「古プロテスタンティズム」(現代ではドイツが代表的)で、もうひとつはウェーバーやトレルチが注目したように近代的自由主義のエートスを準備する「新プロテスタンティズム」(現代ではアメリカが代表的)です。前者は中世的な教会制度(一領域に一つ)を温存しましたが、後者は自由競争的に教会の運営をしています。

【感想】いわゆる教科書的な「ルターの宗教改革」の開始からちょうど500年後に出版されていてオシャレなのだが、本書によれば「1517年のルター宗教改革開始」は学問的には極めて怪しい事案なのであった。ご多分に漏れず、ドイツ国家成立に伴うナショナリズムの高揚のために発掘されて政治的に利用された、というところらしい。なるほど音楽の領域におけるバッハの発掘と利用に同じだ。そんなわけで、でっちあげとまでは言わないが、極めて意図的な政治的利用を経て都合良く神話化されたことは、よく分かった。
 古プロテスタンティズム=ドイツ保守主義、新プロテスタンティズム=アメリカ自由主義という区分けも、やや図式的かとは思いつつ、非常に分かりやすかった。ウェーバーを読むときも、この区分けの仕方を知っているだけでずいぶん交通整理できそうに思った。
 全体的に論点が明確で、情報が整理されていて、とても読みやすかった。が、分かりやすすぎて、逆にしっかり眉に唾をつけておく必要があるのかもしれない。(もちろん著者を疑っているのではなく、自分自身の姿勢として)。

【研究のための備忘録】中世の教会の状態と印刷術
 そんなわけで新書ということもあって、論文や研究書の類ではズバリと言えず、言葉の定義や歴史的社会的背景を注意深く整理した上で奥歯にものが挟まったような言い方をせざるを得ないような論点を、端的に言葉にしてくれている。ありがたい。
 まず、宗教改革以前(というか「印刷術」以前)の教会の状態を簡潔に説明してくれている本は、実は意外にあまりない。

「また人々は、教会で聖書やキリスト教の教えについての解き明かしを受けていたわけではない。たしかに礼拝に出かけたが、そこでの儀式は、すでに述べた通りラテン語で執り行われていた。一般の人々には何が行われているのかわからない。もちろん人々の手に高価な聖書があるわけではない。仮にあったとしても、聖書はラテン語で書かれているので理解できなかった。」p.28

 こういう印刷術前の状況は、「教育」を考える上でも極めて重要だ。たとえば印刷されたテキストそのものが存在しない場合、今日と比較して「朗読」とか「暗誦」という営み、あるいは「声」というメディアの重要性が格段に上がっていく。そういう状況をどれくらいリアルに思い描くことができるか。
 で、現代我々がイメージする「教育」は、「文字」というメディアが決定的に重要な意味を持ったことを背景に成立している。もちろん印刷術の発明が背景にある。ルターの見解が急速に広がったのも、印刷術の効果だ。

「ルターの提言は、当時としては異例の早さでドイツ中に広まった。(中略)この当時は、版権があったわけではないから、ヨーロッパ各地で影響力を持つようになっていた印刷所や印刷職人が大変な勢いで提題の複製を開始した。」p.45
「いわゆる宗教改革と呼ばれた運動が、すでに述べた通り出版・印刷革命によって支えられていたことはよく知られている。ルターはその印刷技術による被害者であるとともに受益者でもある。」p.49

 これに伴って「聖書」の扱いが大きな問題になる。

「一五二〇年にルターはさまざまな文章でローマの教皇座を批判しているが、その根拠となったのは聖書である。(中略)しかし、すでに触れたようにこの時代の人々のほとんどは聖書が読めなかった。その理由は写本による聖書が高価なため、個人で所有できる値段ではなく、図書館でも盗難防止のために鎖につながれていたほどであったからである。もう一つ、聖書はラテン語訳への聖書がいわば公認された聖書で、知識人以外はそれを自分で読むことはできなかった。
 この問題を解決したのは、一つはグーテンベルクの印刷機である。写本ゆえに高価であった聖書が印刷によって比較的廉価なものとなったからだ。しかしなんと言っても重要なのはルターがのちに行う聖書のドイツ語訳である。(中略)これは画期的なことであった。聖書を一般人も読めるのである。文字が読めなくても朗読してもらえば理解できる。」pp.58-59

 本書では「近代」のメルクマールを人権概念や寛容の精神に求めていて、もちろんまったく問題ないが、一方でメディア論的にはそういう法学・政治学的概念にはまったく関心を示さず、印刷術の発明による「知の流通量増加」が近代化を促した決定的な要因だと理解している。「教育」においても、印刷されて同一性を完璧に担保されたテキストが大量に流通したことの意味は、極めて大きい。

【研究のための備忘録】フスとの関係
 ルターの主張と宗教改革の先輩ボヘミアのヤン・フスの主張との類似性は明らかだと思うが、教育思想史的にはコメニウスとの関係が気になるところだ。フス派だったコメニウスにはどの程度ルター(あるいはプロテスタンティズム)の影響があるのか。本書で説明される「リベラリズムとしてのプロテスタンティズム」の説明を踏まえると、コメニウスの主張にも反映していないわけがないようにも思える。(先行研究では、薔薇十字など神秘主義的な汎知学との親和性が強調されているし、そうなのだろう。)

「エックは、ルターがフスの考えを一部でも支持して、フスは正しかったと言ってくれれば、それでこの二人は同罪だと指摘すべく準備していたのだ。エックは事前にルターの考えを精査し、ルターとフスの考えの類似性を感じ取っており、また内容それ自体で勝負しようとしているルターを陥れるとしたら、この点だと確信していたのである。」p.54

【研究のための備忘録】中世と近代
 で、歴史学的な問題は「中世と近代の境界線」だ。はたして「宗教改革」は中世を終わらせて近代を開始したのか。本書は懐疑的だ。

「トレルチの有名な命題は、「宗教改革は中世に属する」というものである。ルター派もジュネーブのカルヴァンの改革もそれは基本的に中世に属し、「宗教改革」という言い方にもかかわらず、教会の制度に関しては社会史的に見ればカトリックとそれほど変わらないのだという。」p.107
「近代世界の成立との関連で論じられ、近代のさまざまな自由思想、人権、抵抗権、良心の自由、デモクラシーの形成に寄与した、あるいはその担い手となったと言われているのは、カトリックやルター派、カルヴィニズムなど政治システムと結びついた教会にいじめ抜かれ、排除され、迫害を受けてきたさまざまな洗礼主義、そして神秘主義的スピリチュアリスムス、人文主義的な神学者であったとするのがトレルチの主張である。」pp.108-109

 ということで、本書は中世の終わりをさらに後の時代に設定している。それ自体は筋が通っていて、なるほどと思う。とはいえ、メディア論的に印刷術の発明をメルクマールに設定すると、いわゆる「宗教改革」は派生的な出来事として「知の爆発的増加」の波に呑み込まれることになる。このあたりは、エラスムス等人文主義者の影響を加味して具体的に考えなければいけないところだ。

【研究のための備忘録】市場主義と学校
 教会の市場化・自由化・民営化を、学校システムと絡めて論じているところが興味深かった。

「「古プロテスタンティズム」の場合には、国家、あるいは一つの政治的支配制度の権力者による宗教史上の独占状態を前提としているのに対して、「新プロテスタンティズム」は宗教市場の民営化や自由化を前提としているという点である。」p.112
「それ(古プロテスタンティズム:引用者)はたとえて言うならば、公立小学校の学校区と似ているかもしれない。」p.113
「その点で新プロテスタンティズムの教会は、社会システムの改革者であり、世界にこれまでとは違った教会の制度だけではなく、社会の仕組みも持ち込むことになった。それは市場における自由な競争というセンスである。その意味では新プロテスタンティズムの人々は、宗教の市場を民営化、自由化した人々であった。」p.117

 現代日本(あるいは世界全体)は、いままさに学校の市場化・自由化・民営化に向けて舵を切っているが、コミュニティ主義からの根強い反対も続いている。なるほど、これはかつて教会の市場化・自由化・民営化のときにも発生していた事態であった。つまり、教会改革の帰結を見れば、学校改革の帰結もある程度予想できるということでもある。

【研究のための備忘録】一と多
 本書の本筋とは関係ないが、「一と多」に関する興味深い言葉があったのでメモしておく。

トレルチ講演原稿の結び「神的な生は私たちの現世での経験においては一ではなく多なのです。そしてこの多の中に存在する一を思うことこそが愛の本質なのです」p.208

 カトリックの思想家ジャック・マリタンの発言との異同を考えたくなる。

【要約と感想】『エックハルト説教集』

【要約】神は否定の否定であるところの一なるものであり、魂もまた同じです。一なるものの内には、神もわたしもなく、私は神であり、神はわたしです。「神」のない最内奥の光こそ、この世界のすべてを超えた浄福です。

【感想】エックハルト「獣を超え、人を超え、そして神になる。」
信徒「おお、言葉の意味は分からんが、とにかくすごい自信だ!」

【今後の研究のための備忘録】新プラトン主義
 言っている内容の大半は、ほぼ新プラトン主義の主張を素直に繰り返しているだけのように見える。具体的には「一なるもの」に対する強烈な信仰と、それに基づく自己言及的な流出論である。プロティノスやプロクロスを直接参照しているというよりも、アウグスティヌスおよび偽ディオニュシオス・アレオパギテースからの影響なのだろうけれども、プラトンという固有名詞にも直接言及している箇所がある。

「ところで、大いなる事物について語るのを好む偉大なる師プラトンは、この世にはない純粋性について語っている。それはこの世の内にも外にも存在せず、それは時間の内にも、永遠の内にもなく、外も内もないあるものである。このものから、永遠なる父である神は、神のすべての神性の豊かさと深遠とを現し出すのである。これらすべてを父はここ、その独り子の内で生み、わたしたちが同じ子となるように働くのである。そして父が生むことは、父が内にとどまることであり、父が内にとどまることは父が外に生み出すことである。常にあるのは、それ自身の内で湧き出ずる一なるものである。「われ(ego)」という言葉は、その一性における神だけに固有な言葉である。「汝ら(vos)」という言葉は、「一性の内で汝らは一である」という意味である。「われ」と「汝ら」、この言葉は一性を指し示している。」p.136

 言っている内容は完全に新プラトン主義の主張そのままではあるが、エックハルトの固有性という観点から興味深いのは、「われ(ego)」および「汝ら(vos)」に対する言及だ。真に主語になることができるのは「神」のみという理屈は古代哲学にも見られるものの、二人称複数型である「汝ら」を一性のうちに捉えるのはユニークな見解と思っていいのか、あるいはこれにも先行例があるのか。そしてこの場合の「汝ら」の具体的な中身は、キリストも共有した「人性=人間の本質」ということになる。「人性」は一つであって、それは私も持ち、あなたも持ち、あるいはその他の誰も彼もが持ち、キリストも持つという、人間すべてに共有のものだ。人間すべてに共有する本質だから、「汝ら」というふうに二人称複数型になる。問題は、この「人性=人間の本質」の共有というアイデアを突きつめていったとき、さて、「人間の平等」を前提に成り立つ近代人権思想に行きつくのかどうか、というところだ。

【今後の研究のための備忘録】神を超える人間中心主義の萌芽
 エックハルトが死後に異端宣告を受けたことは解説でも触れているところで、中身を読んでみると、確かに異端宣告を受けるだろうという、大胆不敵な理屈が並んでいる。なかでも、神がいらないとか、神を超えるという理屈は、かなり強烈だ。

「もしわたしがそう望んだのならば、わたしもすべてのものも存在しなかったであろうし、わたしがなければ、「神」もまたなかったであろう。神が「神」であることの原因はわたしなのである。もしわたしがなかったならば、神は「神」でなかったであろう。」p.173

 このようなまさに神をも畏れぬ物言いは、「わたし」というものの特権性に対する洞察に由来するように読める。「人性=人間の本質」は他人(あるいはキリスト)と共有できるが、「わたしであること」は共有できない。

「わたしがひとりの人間であるということ、そのことは他の人間もまた同様であり、わたしが見たり聞いたり、食べたり飲んだりすること、これもまた動物でもなすことである。しかしわたしであること、このことはわたし以外のだれにも属すことはない。どんな人にも、天使にも、わたしが神と一である場合以外には、神にもこのことは属すことはないのである。それはひとつの純粋さでありひとつの一性である。」p.134

 おそらくエックハルトが「魂」と呼ぶものと「神」との類似性も、この共約不可能な「わたしの特権性・唯一性」に由来する。エックハルトは、「わたし」というものが、他の何ものによっても代替の効かない世界で唯一の何かであるということに対して、強烈な霊感、それこそ「神」の拠って立つところを見ている。この「わたしがわたしである」ことの<唯一性・特権性>(そしてこれが「魂」と呼ばれている何かの根底)が「神が神である」ことの<唯一性・特権性>と同じだということを、エックハルトは繰り返し繰り返し強調する。勢い余って、「わたしがわたしである」という悟りに到った場合、もはや神は必要ないというようなことを言い始める。それはカトリックの論理から言えば、明らかに被造物である分を超えた畏れ多い主張で、異端とされるのも仕方あるまい。が、神を不必要とするエックハルトの異端的見解は、近代人権思想の根底にある「人間の尊厳」(神がいなくても世界が成り立つための根拠)まで、もう一歩のところまで来ているのではないか。

「神が魂の単一なる光(知性)の内で働くただひとつのわざは、全世界よりもすばらしいものであり、神がこれまでにあらゆる被造物の内で働いたすべてのことよりも神の気に入っているものなのである。」p.152

 この魂の働きは、人類に共通の二人称複数である「人性」に基づく。だとすれば、エックハルトが「全世界よりも素晴らしい」と褒め称えているものは、端的には「人間の本質」だということになる。「人間の本質が全世界よりも素晴らしい」という見解は、古代哲学には見当たらない。古代哲学において人間とは、神の前では吹けば飛ぶ塵の如き取るに足らないものにすぎず、だからこそ謙虚になるための教説(ストア派など)が意味を持った。しかしエックハルトは、人間の本質が「全世界よりも素晴らしい」と言う。この新しい感覚は、キリスト教を背景として生じたと考えるべきなのか、あるいはエックハルトの生きた中世の社会経済的な背景が決定的な要因とみるべきところか、あるいはエックハルトだけオカシイのか。しかしこれが近代に入ってからはより広い範囲で聞かれる見解になることも、確かなのだ。果たして、神を必要としなくなった近代の「人間中心主義」に、エックハルトはどの程度踏み込んでいるのか。

【今後の研究のための備忘録】否定神学
 ちなみに否定神学に関する公式見解に満ちあふれている本だった。否定神学とは何かを説明する羽目に陥ったときは、ここから引用しよう。

「ある師は、一とは否定の否定であると語る。わたしが、神は善なるものであると言えば、それは神に何かを付け加えることになる。これに対して、一は否定の否定であり、否認の否認である。「一」とは何を意味するものであろうか。一とは何ものもそれに付け加えられないようなものを意味するのである。魂は、何も付け加えられていない、また何も考え足されていない、それ自身の内で純化されている、神性をつかむのである。一とは否定の否定である。すべての被造物はみずからに否定をたずさえている。つまりある被造物であることは別の被造物であることを否定するのである。ある天使は、別の天使であることを否定する。神はしかしながら、否定の否定である。神は一であり他の一切のものを否定する。なぜならば神の外には何もないからである。一切の被造物は神の内にあり、そして神の固有の神性である。これがわたしがさきに豊かさといった意味である。神は全神性の一なる父である。わたしが一なる神性というのは、そこではいまだ何ものも流れ出さず、何ものも触れず、思惟されることもないからである。わたしが神の何かを否認するとすればそのことにおいて――たとえばわたしが神の善を否認するならば、本当はもちろんわたしは神のいかなるものも否認することはできないのだが――つまり、わたしが神の何かを否認すれば、そのことにおいて、わたしは神ではない何かをつかむこととなるのである。ところでまさにこのなにかが捨て去られねばならないのである。神は一であり、神は否定の否定なのである。」pp.106-108

【今後の研究のための備忘録】同一性と差異性
 フランス現代思想が、近代の哲学を「同一性の哲学」と批判し、意図的に「差異性」の論理を前面に打ち出したことはよく知られているが、エックハルトもそれを彷彿とさせる一文を遺している。

「区別性は一性に由来する。この区別性とは三位一体における区別性である。一性は区別性である。そして区別性は一性である。区別性が大きければ大きいほど、一性もますます大きくなる。というのもこれはまさに区別なき区別性だからである。もしもそこに千の位格があるとしても、そこにあるのは一性の他の何ものでもないであろう。」p.74

 要点は、「区別」と「区別性」の意味の違いにあるのだろう。「区別」とは端的に区別だが、「区別性」とは「区別の本質」のことだ。「区別」と「区別の本質」では、意味がまったく異なる。エックハルトが「一は区別である」と言ってるわけではなく、「一性は区別性である」と言っていることには注意する必要がある。「一の本質」が「区別の本質」と同じだと言っているわけだ。だから仮に感覚的に「区別」のようなものを認めたとしても、それが本質的に「区別」であるとは限らない。「一」か「区別」かを決めるのは、感覚ではないからだ。たとえばいま目の前にある「眼鏡」を「一」とするかどうかは、感覚で決めることではない。というのは、いま目の前にあるのは「一つの眼鏡」ではなく「2つのレンズ」かもしれないからだ。実際に英語では「glasses」と、複数形で理解している。英語話者は目の前にあるものを「2つ」と認識しているのだ。だとすれば、目の前にあるこれは、「一つの眼鏡」なのか「二つのレンズ」なのか。もうそれは感覚で決めることではない。エックハルトが言う「三位一体における区別性」とは、そういう事態を解釈しようとするときに生じる言葉だ。何かが「一」であるかないかを決めるのは、感覚ではなく、「一性」および「区別性」という<本質>であり、それを見極めることこそ「知性」の役割なのだ。
 で、古代からの西洋哲学は確かに「同一性」を土台にして議論を進めて成果を挙げてきた。しかしエックハルトが言うように「一性は区別性」であるのなら、「区別性」を根拠にして議論を展開したらどうなるか。そしてそれは東洋的なセンスが伝統的に表現してきたことなのかもしれないし、「無」とか「空」とか「非連続」とかの哲学が言いたいことなのかもしれない。

『エックハルト説教集』田島照久編訳、岩波文庫1990年