「歴史散歩」カテゴリーアーカイブ

【山梨県甲州市】武田信玄ゆかりの恵林寺と、臨済宗14大本山のひとつ向嶽寺

 山梨県甲州市の恵林寺と向嶽寺に行ってきました。どちらも臨済宗のお寺です。
 恵林寺は武田信玄の菩提寺として知られていて、向嶽寺は全国に14ある臨済宗大本山のうちの一つです。臨済宗14大本山は、ぜひ全部めぐりたいですね。

 恵林寺の三門。天正10年、武田家が織田信長に攻められて、武将をかくまった快川和尚が焼き殺された場所に建っているそうです。

 三門の脇には、快川和尚辞世の句の石碑。心頭滅却すれば火もまた涼し。

 恵林寺の本堂。お金を払ってでも入るべし。

 というのは、武田信玄の墓所があるからです。ハカマイラーとしては、断固行くべし。が、信玄の月命日しかお参りできず、今回は身代わり仏だけお参りしてきました。というわけで、恵林寺にお参りに行くなら、断然12日がお勧めですね。
 他に柳沢吉保の墓もあります。境内には武田信玄公宝物館もありますが、信玄にまつわるお宝はあまり充実しておらず(信長に焼き討ちされたから仕方ないね)、むしろ柳沢吉保に関する資料が充実しています。柳沢吉保、とても字が上手です。

 恵林寺の庭園。とても立派で見応えがあります。

 恵林寺脇にあるお土産屋さんに、巨大な信玄像。山梨県人は本当に信玄公が好きだなあ。

 恵林寺から2kmほど歩くと、向嶽寺。こちらは一般公開されていないので、外から眺めるだけです。本堂はとても立派。

 庫裡も遠くから臨むだけ。まあ、いちおう臨済宗14大本山のうち一つをクリアです。

 JR塩山駅前にも信玄像。山梨県人、本当に信玄公が好きなんですね。
 お土産の信玄餅をいただきつつ、甲府を後にしたのでした。
(2017年8/4訪問)

【福島県いわき市】白水阿弥陀堂と磐城平城

 福島県の浜通り、いわきにある白水阿弥陀にお参りしてきました。

 湯本駅には安定の顔出しパネル。いわきは「フラのまち」で売っていますが、今回はパスして、寺。

 タクシーに乗ったら、ラジオから夏の甲子園の中継が流れていて、ちょうど福島県代表の試合中でした。したら、タクシーの運ちゃんが「11年連続で福島なんだよね」って話しかけてきて、何を言われているかまるで分からずに首をかしげていると、「昔は磐城のが強かったんだけどね」と言われて、ようやく合点がいきました。福島県代表の話で、浜通りが中通りにずっとやられているのを嘆いていたのでした。県内で地域対抗意識が強いんですねえ。タクシーの運ちゃんがアロハシャツを来てハワイアンを演出していたのも印象的でした。

 白水阿弥陀堂は、平安後期の建物で、福島県内の建造物では唯一の国宝指定です。周囲を囲む浄土式庭園も美しく、たいへん落ち着く空間でした。室町以降の枯山水庭園の美に慣れていると、浄土式庭園の様式美には多少の違和感を覚えたりもしますが。

 で、阿弥陀堂の近くに炭鉱跡があるということで、ぐるっと歩いて廻ることにしました。

 「石炭の道」遊歩道の看板がありました。道が整備されているようですね。

 ウソでした。道は整備されていませんでした。草が生い茂り、足下はぬかるんでいます。樹も倒れて道をふさぎっぱなしです。本当に先に進んでいいのか?

 昭和30年代まで実際に稼働していた「通勤山道」は、もはやただの登山。革靴で突入するところではありません。Googleマップで見ると、道が途切れていました。が、実際にはちゃんと道が繋がっていましたので、これから行かれる方は安心して突入してください。

 ところで、高校野球で磐城と言われて連想するのは、ドカベン一年生の夏に決勝で戦った、いわき東高校の緒方勉くんですね。お父さんが出稼ぎでツルハシを振るったり、地元の鉱山が廃坑になったりと、高度経済成長を象徴するようなエピソードが満載でした。親父さんがラジオの高校野球中継で息子の活躍を聞き、涙を流しながらツルハシを振るう姿は、経済成長を最底辺で支えた人たちの象徴的な姿のように思います。

 いわき東高校は、実際に1971年に夏の大会に出場して決勝まで進んだ磐城高校がモデルになっています。さらに磐城高校のエースが、里中君のモデルなんだよね。そんなことを思い出しながら、通勤山道を登山。

 炭鉱地帯を抜けて、バスに乗って、いわき駅へ。いわき駅の駅前は、磐城平城の跡になっています。北口を出ると、既にかなり高低差があって、城の立地条件として恵まれていたことが分かります。

 が、本丸は私有地につき、入ることができませんでした。残念。イベントなどが開催されているときに限って入ることができるようです。

 本丸と二の丸を分断する堀は、公園として残っていました。高低差が激しく、かなり立派な堀です。さすが伊達氏への抑えとして機能することが期待されていただけのことがあります。いちど本丸に入っておきたいなあ。
(2017年8/10訪問)

【千葉県館山市】大福寺崖観音からの眺めは絶景だった

房総半島(内房)のそうとう先っちょ、チーバくんの脛のあたりに大福寺「崖観音」があります。同系統では三仏寺投入堂ほどの迫力はないものの、他にない魅力があるお堂です。

お寺の入り口から見上げた崖観音はこんな感じ。けっこう遠くのほうからも目立って見えます。

本堂にお参りして、崖観音へ。真下から見上げると、こんな感じ。

さくさく階段を上って、お堂へ。いま建っているのは、関東大震災の後に再建したお堂のようです。去年の9月に改修工事が終わって、朱色に輝いています。行基が掘ったと伝えられている磨崖仏は、拝むことはできませんでした。残念。

お堂から見下ろす景色は、壮観です。鏡ケ浦(館山湾)を挟んで、海の向こうに館山が見えます。お寺からのスタート地点が既にけっこう高台なので、そんなに階段を上らなくても眺望が楽しめます。

大福寺の隣に位置する諏訪神社は、石切場の跡に建てられているようでした。北に15kmほど行ったところに石切場で有名な鋸山があるわけですが、このあたりからも石をとっていたようです。
(2017年8/8訪問)

【東京都北区】たわしの日

「たわしの日」というイベントに遊びに行ってきました。
家の近所に「亀の子束子」の本社があって、昨日と今日が「たわしの日」。初めて行ってみましたが、昔懐かしいチンドン屋さんも出ていて、想像以上にたくさんの人が集まっていました。

まずはタワシを売っている専門ショップ「亀の子束子西尾商店」に入ると、タワシのシャンデリアが目に飛び込んできますよ。ゴージャス・たわし。

店内には、各種用途に応じた様々なタワシが売っています。タワシたちにこんな可能性があったのかと、タワシに対する概念が変わります。我々はタワシの潜在能力を10%も引き出していないかもしれません。

それから、専門ショップの建物自体が、とてもいい雰囲気です。こんな感じの、大正モダンな洋風建築。亀の子たわしは今年で創業110周年とのことですが、この建物も110年前からあるのかな?(だとしたら明治40年になるけれど)

ショップの入り口も、とてもオシャレに飾られています。タワシで作った亀が、とてもかわいいです。

まつり会場では、たわし釣り・たわし剣玉・たわしお神籤・たわし作り体験・たわしで野菜洗い体験など、様々なアトラクションが展開されておりました。子供たちがおおはしゃぎ。

安定の顔出しパネルも置いてありました。

着物の女性の顔ハメはともかく、亀の顔になるのは、すごいなあ。

たわしオブジェも飾られていました。なかなか見応えがあります。まずはトレードマークの、かめ。

そして、たわしゾウ。

全身がタワシで構成されているとは思えない、素晴らしい完成度です。

タワシ釣りで、タワシを一つゲットできて、大満足。大賑わいの会場を後にしました。亀の子束子、来年は111周年記念です。亀の子束子のWEBサイトも、なかなかカッコいいですね。
(2017年7/2訪問)

【千葉県松戸市】戸定が丘歴史公園

今日は妻と一緒に千葉県松戸市にある戸定が丘歴史公園に散歩に行ってきました。江戸川の河岸段丘上にある眺望の良い公園で、今日は躑躅の花と藤の花の香りがとても心地よかったです。爽やかな青空の下でいただくお弁当は格別ですね。

公園の敷地内には江戸幕府最後の将軍徳川慶喜の弟、昭武の別邸が残されています。別邸の庭は、明治期に造られた和洋折衷様式で、大名庭園の豪華さや枯山水のわびさび等とはひと味違った趣があります。イギリス庭園っぽいようで、そうじゃない感じがユニークでいいですね。

昭武別邸の庭

実は今日は国民の祝日かつ絶好の外出日和にもかかわらず、午前中は新松戸のキャンパスで授業でした。祝日授業強行は文部科学省の高等教育改革への強い意志に由来するもので、私のせいじゃないからね。私は午後はゆっくりできましたが、学生諸君は本当にご苦労様です。

ちなみに松戸というと、かつては松戸バンダイミュージアムがあったり、まどマギカフェがあったりして、密かなサブカル地域として発展したりしなかったりしていた町という印象が強いですね。

2011年にまどマギカフェで食したカレー

そして国府台合戦の跡地だなあ。が、今日は妻と一緒だったので、そういうマニアすぎるところは全部パスでした。
(2017年5/5訪問)