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【資料と分析】コミケサークルカットに描かれた眼鏡男子の傾向分析

調査全体の前提について

 このページでは、コミケサークルカットに描かれた眼鏡男子の経年変化の傾向について分析する。調査全体の目的や方法、全体傾向については、以下のページをご参照頂きたい。
参照:コミケカタログに掲載されたサークルカットに眼鏡キャラが描かれた割合に関する調査

眼鏡男子サークルカットの個別分析

 眼鏡男子の経年変化で気づくことは、断続的に大躍進を続けており、大躍進期を契機として4つの時期に分けられるように見えるということである。以下、分かりやすくグラフを4期に分けて示した。

第1期:停滞期(1982年~1990年)

 最初はC21(1982年夏)からC38(1990年夏)の時期だが、この時期の眼鏡男子は明らかな停滞傾向にある。
 80年代前半の比率が比較的高いのはコミケ全体でオリジナル作品が多いためだ。しかし80年代半ば以降は、『キャプテン翼』や『聖闘士星矢』あるいは『鎧伝サムライトルーパー』や『天空戦記シュラト』など、眼鏡キャラがまるで登場しない作品が二次創作界で圧倒的な猛威を振い、眼鏡キャラの存在感が無に等しい状態となる。極めて例外的に眼鏡をかけた若島津や水滸のシンが描かれることもあったが、多勢に無勢の絶望的な状況は如何ともしがたかった。
 そんな中でもかろうじて芸能ジャンル(具体的にはアルフィーや大江千里、CCBのリュウくん)で眼鏡イラストを散見することができる。たとえばC32(1987年夏)では、描かれた眼鏡男子総数58人のうちアルフィーだけで23人(40%)を占める。芸能ジャンルでの眼鏡描写は、現在に至るまで確認することができる。

第2期:拡大期(1990年~2001年)

 1990年から4年間で、眼鏡男子は大躍進を遂げる。実数で約3倍、率でも約2倍の急成長である。この躍進を支えたのは、段階的に投入された優秀な眼鏡男子たちである。

 まず最初に目立ったのは、C39(1990年冬)に登場した『機動警察パトレイバー』のシャフトの二人、内海課長と黒崎である。この二人は揃って一つのサークルカット内に描かれることも多く、作品自体が終わった後も根強い人気を保ち、眼鏡勢力拡大の火付け役となっている。

 続いて目立ったのはC41(1991年冬)の『ファイバード』火鳥さんだが、この時点でたった1カットしか存在しなかった『サイバーフォーミュラ』ハイネルが、C42(1992年夏)には21カット、C43(1992年冬)には103カットまで伸び、一気に一大勢力となる。
さらにC44(1993年夏)でもハイネルに衰えが見えない(109カット)中、さらなる燃料「三×暮」が投下される。よしながふみ等も「三×暮」に参入したことから『スラムダンク』の木暮は一大眼鏡勢力となった上、さらにカットの中に「メガネくん」という単語も登場するようになる。ここに至り、眼鏡男子は確乎たるジャンルとして認知されるに至ったと言える。4年前(1989年)の零落ぶりがまるで信じられない眼鏡大躍進である。この大躍進現象を「G×H・三×暮 二段階革命」と名付けたい。

 ただしC46(1994年)以降はC61(2001年冬)まで、ほぼ2.5%前後で足踏みをする。興味深いのは、眼鏡男子の比率自体は大きく変動しないにもかかわらず、描かれるキャラクターがゆっくり交替していくことである。目立ったところでは、『め組の大吾』の甘粕、『富士見二丁目交響楽団』、『名探偵コナン』、『金田一少年の事件簿』の明智、『ジャスティス学園』等が次々と現われた。このように8年もの間、眼鏡男子の中身が交替しつつも全体として勢力が均衡している状態を「神の見えざる手」と名付けたい。

第3期:躍進期(2002年~2008年)

 しかし眼鏡男子は2002年に長期の停滞傾向を抜け、再度の大躍進を遂げる。
 大躍進に圧倒的に貢献したのは『テニスの王子様』である。手塚部長を始め、乾や忍足といった「眼鏡’s」の面々が何ページにもわたってカタログ紙面を埋め、見渡す限りどこまでも眼鏡という様は、まことに一大壮観であった。それに加えて同時期に『ハリーポッター』も威力を振い、C62(2002年夏)には長年超えられなかった3%の大台を一気に突破することとなった。『テニスの王子様』と『ハリーポッター』は長期間に渡って大きな影響力を振い、眼鏡男子勢力は常に3%以上をキープすることとなる。この躍進現象を「ハリ・プリ革命」と名付けたい。

 また華々しい二次創作の展開に目を奪われがちだが、忘れてならないのはオリジナル創作での眼鏡男子勢力である。この時期には眼鏡男子萌えがほぼ定着し、様々な女性向けジャンルで眼鏡男子が描かれているのを確認することができる。カップリングで片方が眼鏡という様式が定着していく様子も見える。ちなみに『鬼畜眼鏡』リリースは2007年である。
 興味深いのは、眼鏡っ娘のほうは「眼鏡島」が形成される傾向があったのに対し、数では優る眼鏡男子のほうでは「眼鏡島」の形成が遅れたことである。男性向けと女性向けのメンタリティの差が表れた事象なのかもしれないが、詳しい考察は他日を待ちたい。

第4期:飛躍期(2009年以降)

 眼鏡男子の勢いは止まらない。2009年には『ヘタリア』で加速度を増すと、2011年冬には『タイガー&バニー』で一気に5%台を伺うところまで一気に躍進する。頼もしい限りである。

小括と今後の課題

 眼鏡男子についても、やはり平成に入ってから断続的に大躍進を遂げていることが、数字的に明らかにできた。この頼もしい躍進をさらに推し進めていって頂きたいと切に願う。
 眼鏡っ娘との違いは、やはり女性向け同人特有の「カップリング」という文化にあるように推測できる。眼鏡躍進のきっかけを作った「内海×黒崎」にしろ、「G×H」にしろ「三×暮」にしろ「兎虎」にしろ「虎兎」にしろ、カップリングという文化の中で眼鏡の果たす役割が進化し続けていることが、サークルカットでの眼鏡露出増加に結びついているように思われる。そしてカップリングの妥当性に関する議論と対話が深まる過程に伴い、「眼鏡性とは何か?」という哲学的課題に対する探求も急速に深まっている。この現象に対する本質的な考察は、今後の課題である。

参照■「コミケカタログに掲載されたサークルカットに眼鏡キャラが描かれた割合に関する調査」
参照■「コミケサークルカットに描かれた眼鏡っ娘の傾向分析」

【資料と分析】コミケサークルカットに描かれた眼鏡っ娘の傾向分析

調査全体の前提について

 このページでは、コミケサークルカットに描かれた眼鏡っ娘の経年変化の傾向について分析する。調査全体の目的や方法、全体傾向の分析については、以下のページをご参照頂きたい。
参照:コミケカタログに掲載されたサークルカットに眼鏡キャラが描かれた割合に関する調査

眼鏡っ娘サークルカットの個別分析

 眼鏡っ娘の経年変化でまず気づくことは、大きく3つの時期に分けられるということである。以下、分かりやすくグラフを3期に分けて示した。

 上のグラフは、サークルカットに現われた眼鏡っ娘の総数を棒グラフで、サークルカット総数に対する比率を折れ線グラフで表わしたものである。総数と比率の推移を見ると、大きく3つの時期に分けられるように見える。
第1期:C21(1982年夏)~C34(1989年夏)までの衰退傾向。
第2期:C35(1989年冬)~C61(2001年冬)までの拡大傾向。
第3期:C62(2002年夏)以降の頭打ち傾向。
 以下、それぞれの時期の内実について詳しく見ていく。

第1期:衰退傾向(1982年~1989年)

 第1期はC21(1982年夏)からC34(1989年夏)までである。1989年夏に開催されたC34では、眼鏡っ娘比率は0.15%と史上最低を記録している。一貫して眼鏡っ娘比率が下がり続け、最低を記録するという、忍耐の時期である。
 表面的な原因は、実は明らかである。この昭和後期のコミケでは、男性向けサークルの多くが高橋留美子作品のパロディを扱っていた。この高橋留美子作品に眼鏡っ娘が皆無であったことが致命的だったことは、ほぼ間違いない。しかしなぜ高橋留美子作品に眼鏡っ娘が登場しないかは、解明すべき大きな課題として我々の前に残されている。(いちおう作家御本人の眼鏡自画像の他、ラムちゃんが伊達眼鏡をかけるエピソードがあるにはあるのだが。)

 しかしこの眼鏡っ娘受難の最後期に、燦然と「メガネの娘でなきゃやだ」という眼鏡っ娘専門サークルが登場したことは特記しておきたい。このサークルの誕生を契機として眼鏡っ娘勢が拡大傾向に転ずるのはおそらく偶然ではないと思うのだが、その相関関係あるいは因果関係に関する考察は他日を期したい。
 またC25(1983年冬)には、『超時空世紀オーガス』の眼鏡っ娘リーアのカットがあり、脇に「めがねっ娘だいすき」と記されていたことも記憶されてよい。またC26(1984年夏)には「めがねっ娘編集部」という名前のサークルも見られる。冬の時期にも健闘を続けていた勇士がいることは、忘れてはならない。

第2期:拡大傾向(1989年~2001年)

 第2期はC35(1989年冬)からC61(2001年冬)までである。この時期には一貫して眼鏡っ娘が拡大傾向を示していることが分かる。

 90年代前半の眼鏡っ娘界を牽引したのは、オリジナル同人である。この時期、二次創作では『美少女戦士セーラームーン』や『ストリートファイターⅡ』などが一世を風靡していたが、それら作品中では眼鏡キャラが描かれることはほとんどなく(例外的に水野亜美の眼鏡がかろうじて散見される程度)、眼鏡勢力の拡大はオリジナルの健闘に頼る状況だった。
 具体的には、少女創作系「東風の吹く国」、CGの「WAX-G2」、男性向け創作の山本夜羽「ANARCOMIX」、みやもと留美「深漆黒雑居工房」などのサークルがカタログを毎回コンスタントに眼鏡で彩った。尊い。
 このオリジナル傾向が着実に成長し、00年代にはついに「眼鏡島」が形成されるに至る。すなわち、オリジナルで眼鏡っ娘を描くサークルが一個所に固まって集中的に配置されるようになったのである。具体的には、C58(00年夏)には眼鏡っ娘サークルが23、C59(00年冬)には眼鏡っ娘サークルが22、一個所に集中して配置されている。
 眼鏡躍進の理由の一つとして、この時期には「属性の掛け合わせ」によってキャラを構成するという考え方が成熟し、それに伴って「属性としての眼鏡」に対する興味関心が高まった可能性を考慮できる。たとえばその証拠の一つとしては、ネコミミの眼鏡(略称メガネコ)や眼鏡をかけたメイドさんなど、他属性との融合が著しいことが挙げられよう。
 この傾向はさらに大きく展開し、ついに2001年には4月から6月にかけて三ヶ月連続で眼鏡キャラONLY同人誌即売会が開催されるなど、「属性としての眼鏡」は名実ともに市民権を得たとも言える状況へと成熟する。

拡大期後半

 そしてさらに、この拡大期後半に見られる顕著な傾向として、アニメやゲームのメジャータイトルに代表的な眼鏡っ娘が登場し、二次創作において大躍進が起こったことが挙げられる。すなわち、C48(1995年夏)には鳳凰寺風、C53(1997年冬)には姫宮アンシー・李香蘭・保科智子、C57(1999年冬)には藤原はづき・猪名川由宇・牧村南といった錚々たるメンバーが次々と登場し、現在に至る眼鏡同人文化の基礎が築かれたのである。以下、二次創作で各キャラがカットに描かれた数を表にまとめた。括弧内は眼鏡っ娘総数に占める割合である。

 鳳凰寺
如月
未緒
姫宮
アンシー

香蘭
保科
智子
藤原
はづき
猪名川
由宇
牧村
シエル
先輩
95夏47
(21.0%)
96夏6
(3.17%)
4
(2.11%)
96冬1
(0.44%)
15
(6.44%)
97冬3
(1.34%)
42
(18.7%)
17
(7.59%)
8
(3.57%)
98冬5
(2.11%)
3
(1.27%)
6
(2.53%)
11
(4.64%)
99冬3
(1.21%)
5
(2.01%)
15
(6.03%)
34
(13.7%)
15
(6.03%)
15
(6.03%)
00冬2
(0.86%)
4
(1.72%)
23
(9.91%)
12
(5.17%)
16
(6.89%)
12
(5.17%)
01夏4
(1.14%)
8
(2.29%)
22
(6.29%)
14
(4.00%)
23
(6.58%)
20
(5.72%)
01冬1
(0.43%)
1
(0.43%)
2
(0.86%)
16
(6.91%)
7
(3.02%)
24
(10.4%)
14
(6.04%)
7
(3.02%)

 この表から分かることは2点ある。一つは、アニメの眼鏡っ娘とゲームの眼鏡っ娘での傾向の違いである。アニメの眼鏡っ娘はテレビ放映に合わせて数が急増するが、放映終了に伴って激減する。一方でゲームの眼鏡っ娘は数自体は爆発的に増えないものの、息が長い人気を保つ。如月未緒の人気の息の長さは特筆に値する。この時期の眼鏡っ娘拡大は、アニメでの爆発的なブーム(垂直的拡大)とゲームでの息の長い人気(水平的拡大)が相乗的に掛け合わさった結果ではないかと推察できる。
 もう一つの理由として、多数ヒロインの中に一人眼鏡っ娘が混ざるというキャラ配置様式が極めて強い説得力を持ったという仮説が立てられるかもしれない。表に挙げた他にもこの時期に目立った眼鏡っ娘として、成瀬真奈美、リアン、田辺真紀、ロベリア等が挙げられる。いずれも多数のヒロインの中に眼鏡っ娘が一人という様式で人気を博したキャラクターである。この様式が実際に強い説得力を持ったかどうか、あるいはその理由についての解釈は、他日を期したい。

 以上見たように、この拡大期には着実なオリジナル同人躍進に伴う属性確立と二次創作での人気キャラの台頭が重なって、眼鏡っ娘の絶え間ない増進傾向が続いた。その躍進を阻むものはいないかに見えた。

第3期:停滞傾向(2002年以降)

 しかし、続く第3期では、残念なことに頭打ち傾向が見られるようになってしまう。2002年夏から2011年冬にかけて、眼鏡っ娘比率は1.55%~2.05%の間で、増えもせず減りもせずに推移することとなる。前時期と比較したときには決して低い水準ではないのだが、ガラスの天井に突破を阻まれているようで、歯がゆい。

 この時期の停滞傾向の理由は定かではなく、論理的な解明については他日を期したいが、さしあたって躍進期の2つの理由に対応して仮説を立ててみたい。まず前時期の躍進の理由の一つが「属性としての眼鏡」の確立であったとすれば、停滞期には逆にネコミミやメイドといった「属性」すべてが全体的に背後に退き、「ツンデレ」や「素直クール」といった内面的な性格を前面に打ち出したキャラ造形が目立ち始めたことが気にかかる。属性全体の後退に伴って、眼鏡勢力の進撃に冷や水が浴びせられた可能性はあるかもしれない。
 また前時期にはアニメやゲームなどメジャータイトルでの眼鏡っ娘の活躍が目立ったのに対し、この時期のコミケで最も人気を集めたタイトル『東方』で眼鏡の印象が薄かったことは、問題になるだろう。たとえば「spring efemeral」の調査では、東方Project関連のサークルカットはC65(2003年冬)の7サークルからC77(2009年冬)には2451へと激増している。そしてこの中に眼鏡っ娘がほとんどいない(いちおう皆無ではない)ことが全体的な情勢に大きな影響を与えているだろうことは想像に難くない。
 C73(2007年冬)には『電脳コイル』が62カットを叩き出したおかげで眼鏡っ娘は史上初の2%超えを果たしたものの、残念なことに翌C74には勢いが続かなかった。こうした長期的な頭打ち傾向の中でも眼鏡っ娘が勢力を保っているのは、『アイドルマスター』が長期間にわたって頑張っているのが大きい。ありがたい。

小括と今後の課題

 以上、眼鏡っ娘の傾向について、簡単ながら分析を試みた。今後の課題としては、まず2011年で終わっている調査を現在まで伸ばすことにより、新たな傾向を見出すことが挙げられる。
そして、頭打ち傾向がいつまでも続くとは思えないし、思いたくない。今一度の躍進に向けて、眼鏡勢力の結集を望みたい。

参照■「コミケカタログに掲載されたサークルカットに眼鏡キャラが描かれた割合に関する調査」
参照■「コミケサークルカットに描かれた眼鏡男子の傾向分析」

【資料と分析】コミケカタログに掲載されたサークルカットに眼鏡キャラが描かれた割合に関する調査

論旨の要約

 コミケカタログのサークルカット全部に目を通した結果、描かれる眼鏡キャラがどんどん増えていることが分かった。特に平成に入ってからの躍進は目覚ましい。平成とは、間違いなく眼鏡大躍進の時代であった。

 以下、調査の目的、方法、傾向分析の詳細を記す。
※学術的な手続きに則った無味乾燥な記述なので、方法論に関心のない人は調査結果に直接飛んで下さい。
 特に眼鏡っ娘に興味がある方は「眼鏡っ娘の傾向分析」へ、
 特に眼鏡男子に興味がある方は「眼鏡男子の傾向分析」へどうぞ。

調査の目的と意義

 本調査の主目的は、眼鏡勢力の盛衰に関する諸般の議論に対して客観的な指標となり得る基本資料を提出することにある。

 一般的には、21世紀に入ってから眼鏡に対する意識が大きく向上したと言われている。たとえば、かつてはテレビ番組に眼鏡をかけて出演する芸能人は稀にしかいなかったが、現在では日常的に見かけるようになっている。また眼鏡自体のデザインも大きく進化し、現在ではファッションの一部として広く認知されるようになった。ファッション誌等で特集を組まれることも珍しくない。確かにこれらの傾向は、眼鏡勢力の拡大を意味しているように思われる。
 しかしこれらの諸事象は、あくまでも主観的で経験的な印象の束に過ぎない。眼鏡に対する意識変化に関する議論は、客観的な指標に基づき、確かな土台の上に構築される必要がある。客観的な指標として本調査の結果が広く活用され、眼鏡に関する議論がさらに深まるとすれば、本調査にも固有の意義があったと言えるだろう。

調査の方法

使用する資料の性格

 調査資料には「コミケカタログ」の「サークルカット」を使用する。以下、使用する資料の性格を批判的に明らかにする。
 コミケとは「コミックマーケット」の略称であり、同人誌即売会の中でも最大規模のイベントの固有名称である。「同人誌」とは、利潤を目的とした資本投資や営利組織による企画や編集を経ずに、表現発信者が表現受容者へ直接的に表現内容を届ける媒体全般のことであり、現在では紙ベースの本の他、電子メディアや玩具等を含めた多様な表現媒体として、多様な流通経路を通じて取引されている。「即売会」とは、流通や小売販売を経ずに表現発信者と表現受容者が直接的に売買契約を交わすことができる市場のことであり、多くは屋内会場を使用するイベントとして企画される。調査対象とするコミックマーケットは、現在は基本的に夏と冬に東京国際展示場(1996年夏以降)で開催されている、世界最大規模のイベントである。
 「カタログ」とは、コミックマーケット参加者の便宜を図るために事前に用意された参考資料の集合体である。具体的には、注意事項や会場の地図の他、情報発信者として参加する表現者の技量や個性を事前に推量するために利用できる様々な参考資料が掲載されている。
 「サークルカット」とは、情報受容者が情報発信者の技量や個性を事前に推量するためにカタログに掲載された参考資料のうち、大部分を占めるものである。コミケに参加する情報発信者は、参加一団体(以後サークルと呼ぶ)につき、横26.88mm×縦38.23mm(印刷時)の表現スペースを一つ与えられ、ここに持てる技量と個性を凝縮して示し、情報受容者に対してアピールを行なう。カタログには参加サークル全てのサークルカットが漏れなく掲載される。大部分のサークルはサークルカットを主にイラストで表現するが、文字だけでアピールするサークルも多い。サークルカットは、1982年夏のC21(第21回目のコミケ)以降、C22以外、現在まで提示され続けている。

 このサークルカットが本調査の目的を達成するための資料として優れた素材である理由を以下に示す。
 サークルカットで充分な技量と個性を示したサークルは市場的に優位に立つ可能性が高い上、表現を通じて自分の個性や世界観を情報受容者に示す絶好の機会でもあるため、通常であればサークルカットには可能な限り最大限の技量と個性が投入される。サークルカットに示される内容は、ただの思いつきや一時的な気の迷い等で選択されることは想定しにくい。つまり、サークルカットに示された表現は、偶然に左右されたものではなく、その時点での表現発信者の意識や見解や世界観が意図的かつ誠実に反映されたものとして、極めて信頼度の高い素材として考えてよい。具体的には、たとえばサークルカットに眼鏡キャラが描かれていたとすれば、それは単に思いつきや偶然で描かれたのではなく、表現発信者の技量と個性と世界観を意図的かつ誠実に反映したものとして描かれただろうと信頼できる。しかもコミケという長年にわたって持続しているイベントの性質上、経年変化による極端な偏りは考えにくい上に、多種多様な傾向を持つ表現者が無差別的に集合しているという特徴をも併せ持つ。多様性と一貫性を同時に担保するという観点から、一般的な傾向を判断する上では他に類を見ない素材と言える。
 この信頼度の高い素材であるサークルカットを対象とした調査を行なうことで、客観的な指標を示すことが期待できる。

調査方法

 歴代コミケカタログに掲載されたサークルカット全てに目を通し、描かれた眼鏡キャラ(眼鏡っ娘と眼鏡男子)の数をすべて数え上げる。1カット内に2キャラ描かれている場合(例えば内海課長と黒崎)は、2とカウントする。コミケへの参加サークル数は開催回によって大きく異なるので、サークルカット総数に対する眼鏡キャラ総数の比率を算出した上で、経年変化を明らかにする。

資料の限界

 以下、本調査の限界も明らかにし、調査結果の適用範囲の射程距離も定めておきたい。
 まず眼鏡勢力の盛衰を客観的に明らかにするという目的に対して、コミケカタログという資料の性格そのものからいくつかの制約が発生すると思われる。コミケカタログには確かに表現発信者の技量と個性が誠実に現われているが、しかし一方でコミケに参加する表現発信者の傾向にある種の偏りがあることも否めない。その偏りは主に3点考えられる。
(1)表現発信者の動向は反映するが、受容者の動向は必ずしも反映しない点。
(2)落選サークルの動向が分からない点。
(3)マンガ・アニメ・ゲームなどに嗜好を持つ者の傾向は反映するが、それ以外の人々の傾向を反映しているかどうかは定かではない点。

 一点目については、表現受容者よりも表現発信者のほうが眼鏡が好きではないかという仮説が問題となる。もしもこの仮説が正しいとしたならば、表現発信者の技量と個性が誠実に表れた資料であるコミケカタログを調査したとしても、受容者の傾向は正しく反映されないことになる。本調査はあくまでも表現発信者の傾向を明らかにするものであって、必ずしも表現受容者の傾向が反映していないことについては自覚的であらねばならない。受容者の傾向を正しく捉えようと思ったら、他の調査手段を考案する必要がある。

 二点目については、落選サークルのサークルカットが参照できない以上、コミケ全体の趨勢を反映しているかどうかが確証できないところが問題となる。コミケに参加を希望するサークルは極めて多く、会場の容量を遙かに超えており、毎回抽選によって参加できるサークルが選別されている。カタログに掲載されるのは抽選によって選別された一部のサークルカットのみであり、落選したサークルのカットを調査する手段はない。この落選サークルの傾向を加味した場合、本調査の結果が覆る可能性もある。

 三点目については、マンガ・アニメ・ゲームを嗜好する者のほうがそうでない者よりも眼鏡が好きではないかという仮説が問題となる。もしもこの仮説が正しいのであれば、コミケカタログの調査で明らかになるのはあくまでもマンガ・アニメ・ゲームを嗜好する者の傾向だけであり、一般的な傾向を明らかにするためには別の指標を立てなければならない。

 以上示したような資料の性格そのものに内在する制約を認識した上で、やはりなおコミケカタログは極めて優秀な資料であることに変わりないと判断したい。なぜなら、仮に如上の制約を認めたとしても、コミケカタログのように同時代の表現発信者たちの意識や世界観を広範囲かつ集約的に反映し、かつ誰でも平等に参照できる資料は他に存在しないからである。仮に時代の全般的傾向を代表し得ないとしても、ある種の集団における傾向を如実に反映し、しかも経年変化を長期にわたって追跡することが可能な、代替不可能な資料である。如上の制約の範囲内に限れば、他に類を見ない信頼できる基礎資料と考えて差支えないだろう。
本調査では眼鏡勢力の経年変化を明らかにするための資料としたが、他にも様々な調査(絵柄の推移・属性萌えの具体的動向・右向きの顔と左向きの顔の比率等)の対象として活用することが可能な、ポテンシャルの高い資料であることは間違いないだろう。

調査方法の問題点

 また調査方法に係る問題点も明らかにしておく。
 原理的な問題は「何を眼鏡っ娘とし、何を眼鏡男子とするか」という定義の問題であり、それに関わって「これは眼鏡っ娘(眼鏡男子)なのか」という具体的な個別判断の妥当性の問題も生じる。
「何を眼鏡っ娘とし、何を眼鏡男子とするか」という定義の問題は、個人的な価値観と離れがたく関係し、論理的には極めて錯綜としている。たとえば年齢の問題がある。「波平さん」が描かれたサークルカットを眼鏡男子と判断して大丈夫なのか。またサングラスや片眼鏡の問題がある。たとえば「熱気バサラ」や「バーナビー・ブルックスJr.」は眼鏡男子なのか。『最遊記』の八戒は眼鏡男子か。さらにジェンダーの問題がある。たとえばサークルカットに「女性化ティエリア」と書かれていたら、それは眼鏡っ娘なのか、眼鏡男子なのか。これは単なる技術的な問題ではなく、「眼鏡とは何か」という信念そのものに深く関わる哲学的な問題と言える。

 この妥当性に対する原理的な問題に対して、本調査においては、現象学を方法原理として対応している。「意味論的に眼鏡っ娘だと思ったら眼鏡っ娘で、眼鏡男子だと思ったら眼鏡男子だ」というふうに、現象学が言う本質観取によって判断を下した。本質観取に従えば、「波平さん」は眼鏡男子であり、「熱気バサラ」は眼鏡男子ではなく、バニーも八戒も眼鏡男子で、「女性化ティエリア」は敢えて眼鏡男子とする。

 この判断を貫く本質的な基準は2つある。一つは「視力矯正器具としての眼鏡」という直感である。眼鏡っ娘や眼鏡男子の眼鏡は「視力矯正器具としての眼鏡」であることが本質を構成する。熱気バサラのサングラスは、現象学的には「眼鏡性」を帯びていない。逆にバニーの眼鏡は視力矯正器具とも判断できないわけだが、もう一方で物語内在的に情報を受容する過程から虎徹との関係を観取すれば、現象学的には「眼鏡性」を帯びていると判断できる。表面的に眼鏡をかけているかいないかだけでなく、物語やキャラクターに内在する本質として「眼鏡性」を観取するしかない。つまり本調査の結果自体は、「調査者自身(筆者)のおたく力」がダイレクトに反映したものであるとも言える。
 しかしそれは即座に本調査が単に主観的であることは意味しない。私という調査主体が現象学的手続きを経て判断している以上、最終的な結論は首尾一貫した基準に拠っていることは妥当性の担保となる。そしてもちろん「眼鏡性」に対する本質観取が私と異なる人物が同じ手続きで調査を行なった場合、本調査とは異なる結果が出ることが容易に想像できるが、妥当性の問題を考える上で重要なのは個々人の「調査方法の制約と問題」がそれぞれ明らかにされているかどうかである。本調査を諸般の議論に活用する場合は、資料の性格そのものと調査方法に内在的に存する制約についてはくれぐれも前提としてお含みおき頂きたい。

調査結果

 以下に調査結果を表にして示す。

開催年眼鏡っ娘
比率(A/S)
眼鏡男子
比率(B/S)
眼鏡っ娘
総数(A)
眼鏡男子
総数(B)
サークルカット
総数(S)
2182夏0.73%1.35%713964
2383春0.63%1.65%8211270
2483夏0.69%2.07%10301452
2583冬0.26%1.17%4181533
2684夏0.75%0.79%18192413
2784冬0.51%1.06%11232166
2885夏0.41%1.11%14383409
2985冬0.40%1.35%16544000
3086夏0.28%1.53%11613993
3186冬0.24%1.13%11514502
3287夏0.33%1.29%15584510
3387冬0.34%1.08%15484458
3488夏0.24%1.22%221109020
3589冬0.18%1.15%161018772
3689夏0.15%1.25%1512610114
3789冬0.24%1.31%2714611121
3890夏0.24%1.22%3116013094
3990冬0.32%1.47%4119112964
4091夏0.28%1.54%3217411266
4191冬0.42%1.69%6726615776
4292夏0.28%1.88%3322311857
4392冬0.32%2.21%4933615220
4493夏0.42%2.56%6640215724
4593冬0.43%2.25%6735315683
4694夏0.42%2.35%6838016161
4794冬0.59%2.71%9242115507
4895夏0.92%2.69%20660122343
4995冬0.88%2.61%13941215771
5096夏0.71%2.58%13548918959
5196冬0.73%2.69%16560722597
5297夏0.98%2.40%33081233802
5397冬1.00%2.43%22354422409
5498夏0.96%2.65%32689733849
5598冬1.04%2.59%24761423717
5699夏0.92%2.47%32486535069
5799冬1.21%2.58%30064224868
5800夏1.23%2.42%43384935065
5900冬1.53%2.70%35662723210
6001夏1.31%2.43%45985134961
6101冬1.65%2.74%38263423167
6202夏1.76%3.29%616114934956
6302冬1.76%3.58%615125334977
6403夏1.55%3.61%544126835083
6503冬1.81%3.92%634137134975
6604夏1.56%3.53%547123534978
6704冬1.56%3.62%40582622804
6805夏1.60%3.28%561114634992
6905冬1.83%3.22%42474723188
7006夏1.63%3.39%572118534991
7106冬1.79%3.54%625123834967
7207夏1.82%3.40%634118834918
7307冬2.05%3.64%717127134915
7408夏1.91%3.72%665129434829
7508冬1.94%4.52%679157834927
7609夏1.65%4.11%577143634931
7709冬1.80%4.12%630143934927
7810夏1.73%4.07%605142134932
7910冬1.74%4.11%610144035016
8011夏1.77%3.80%619132634932
8111冬1.95%4.96%681173434928

 割合の経年変化が分かりやすいよう、以下、調査結果をグラフにして示す。

傾向の分析

 以下、内容について若干の考察を試みる。調査の結果をどのように理解するか、他にも様々な観点から幅広い考察が加えられることを期待したい。

全体的な傾向について

 全体的には3つの傾向が明らかに示された。
(1)全期間にわたって眼鏡っ娘より眼鏡男子のほうが多い。
(2)眼鏡っ娘・眼鏡男子ともに多少の紆余曲折はあるものの全体を通じて増加傾向を示している。
(3)総体的に見た場合、まだまだ数は少なく、発展の余地が残されている。
 以下、少し立ち入って検討する。

 一つ目の傾向、眼鏡っ娘より眼鏡男子のほうが多いことについては、そもそもコミケへの参加サークル自体が男性向けより女性向けのほうが多いことが根本的な理由であるように思われる。もちろん例外はあるにしても、眼鏡男子は女性向けサークルのカットに現われ、眼鏡っ娘は男性向けサークルのカットに現われることが多い。女性向けサークルが多ければ、必然的に眼鏡男子のほうが多く現われることになる。
 この傾向を考慮した場合、本来なら男性向けサークルと女性向けサークルの総数を割り出した上で、眼鏡っ娘・眼鏡男子の比率を算出する手法を採ることが望ましい。ただし、残念ながら男性向けサークルと女性向けサークルの総数を割り出す作業が困難を極めることは容易に予想され、現状の技術では断念せざるを得ない。他日、技術力の強化をまって取り組む課題としたい。

 二つ目の傾向、眼鏡っ娘・眼鏡男子ともに増加傾向にあることは、グラフを一瞥するだけで瞭然である。当初水準と比較したとき、眼鏡っ娘は10倍、眼鏡男子は5倍へと大躍進している。細かい傾向の検討を経ずとも、眼鏡勢力の拡大については本調査によって数字的な裏付けが得られたものと判断して差し支えないだろう。特に平成に入ってからの躍進は、数字的に見ても明らかである。平成が眼鏡大躍進の時代であったことが客観的に確認できたことは、本調査が示す確実な成果である。

 しかし、三つ目の傾向、総体的に見た時にまだまだ数が少ないことには留意しておく必要がある。最高水準でも、眼鏡っ娘比率は約2.0%、眼鏡男子比率は約5.0%にしかならない。これは1クラス40人の学級を考えたとき、眼鏡っ娘は1人いるかいないか、眼鏡男子は2人程度しかいないという計算になる。これは現実の学級構成を考えた場合、あまりにも少ない人数だろう。
 ただしこの比較をする場合、本来なら評論系サークルなど文字だけのカットを除くなどの作業を経る必要がある。資料整序の作業を経ていない以上、正確な判断は難しいところではある。とはいえ、全体的に見て発展の余地が十分に于残されているだろうことは考慮してよいだろうと思われる。

眼鏡っ娘の傾向について

 個別に検討を加えたので、以下のページをご参照頂きたい。
参照:コミケサークルカットに描かれた眼鏡っ娘の傾向分析

眼鏡男子の傾向について

 個別に検討を加えたので、以下のページをご参照頂きたい。
参照:コミケサークルカットに描かれた眼鏡男子の傾向分析

小括と今後の課題

 以上、調査結果に基づいて、若干の解釈を試みた。本調査の結果を踏まえて一つ確かに言えることは、平成が眼鏡大躍進の時代だったということである。その大躍進の理由についての解釈は、様々あるだろう。多様で幅広い解釈が現われることを期待したい。
 今後の課題は2点ある。一つは、本調査が2011年時点で終了している点である。調査対象を現在まで伸ばせば、平成という時代の特徴がさらに明らかになることが期待できる。もう一つは、他の指標の開発である。本調査の本質的制約については既に明らかにしてある。一般的な眼鏡躍進の動向を理解するためには、他の指標が必要となる。判断の基準となる適切な指標を得るべく、さらに工夫を加えていきたい。
 眼鏡を愛する全ての者に、幸あれかし。

コミュニティ・スクール(学校運営協議会)とは何か?

コミュニティ・スクールとは

 「学校運営協議会」が設置されている公立学校をコミュニティ・スクールと呼びます。そう法律で決められています。(ちなみに私立学校は、これからの話とまったく関係ありません)
 しかし、そもそも「学校運営協議会」とは何なのか? 何のために存在しているのか? それまでの学校と何が違うのか? 以下、コミュニティ・スクールについて考えていきます。

1.コミュニティ・スクールの役割

 コミュニティは「地域」で、スクールは「学校」です。ですからコミュニティ・スクールとは要するに「地域・学校」のことです。そして「地域・学校」には3つの意味が考えられます。(1)地域の(2)地域による(3)地域のための学校です。

(1)地域の学校

 これまでの学校教育は、「地域の子供」を育てるというより、「地域を捨て去って都会の大企業に就職する有能な人材」を作るような教育をしてきました。地域の学校で頑張って勉強した子供たちは、偏差値の高い都会の大学に入るために地域を飛び出し、卒業後も地域には戻らず都会の大企業に就職し、地域には盆と正月にしか帰ってこなくなります。地域はわざわざ人材を失うために教育しているようなものです。
 コミュニティ・スクール(地域の学校)に期待される役割は、地域で活躍する人材を育てることです。地域の人々が先生となって子供たちの指導に当たったり、子供たちが地域の中で活動を行なうことにより、子供たちと地域の関係が深まり、これまで以上に愛着を持つようになります。学校情報を地域に積極的に公開したり、地域住民が学校運営に関わることで、お互いの風通しが良くなり、信頼関係が生まれます。コミュニティ・スクールは、地域の個性や特性に合った教育を実現することが期待されています。新学習指導要領の理念である「社会に開かれた教育課程」や「チーム学校」を実現する上でも、コミュニティ・スクールという制度は大いに役に立つでしょう。

(2)地域による学校

 これまでの学校制度では、地域住民の意向が学校運営に反映することがなかなかありませんでした。特に人事に関して、校長先生を始めとする教職員スタッフを地域住民の意向で決めることはできませんでした。地域住民の意向とは関係なく、教育委員会が決定した校長や教員が学校に赴任してきました。
 コミュニティ・スクール(地域による学校)になると、地域住民が学校運営に積極的に参加できるようになります。教育方針に対する承認権が与えられたほか、人事に関する意見も出すことができます。今後の展開によっては、教育委員会に代わって地域が教育方針を決める主体となったり、校長先生の採用や罷免に対して地域住民が決定的な影響力を持つような仕組みに変わっていくかもしれません。

(3)地域のための学校

 日本全体で少子高齢化が進行し、地方自治体の運営が行き詰まりつつあります。従来の地方行政では立ち行かなくなっている地域がたくさんあります。そんな中で「地方創生」の掛け声が大きくなりつつあります。そして学校を中心として地方を活性化しようという動きが具体的に進んでいます。
 コミュニティ・スクール(地域のための学校)は、子供たちのためだけでなく、大人も含めた地域全体を盛り上げるため、教育以外の場面でも多様な役割を果たすことが期待されています。地元の特産品を地域企業と生徒が共同で開発したり、地域の観光へ学校が貢献したりと、様々な取り組みが始まっています。

2.コミュニティ・スクールの制度

 コミュニティ・スクール(学校運営協議会)の法的根拠は、「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」(以下「地教行法」と省略します)という長い名前の法律の第46条の6にあります。学校運営協議会の設置を決める主体は、地域の教育委員会です。
 学校運営協議会の委員になるのは、地域の住民や生徒の保護者、さらに社会教育に関わる人等です。今のところ15人~30人程度で構成されている組織が多いようです。
 学校運営協議会には、法律で3つの権限が与えられています。法律で定められた権限なので、これに従わなかった校長や教育委員会は法律違反を犯したことになります。法的な根拠に基づいて権限を与えられているところが、従来のPTAや学校評議員のような類似組織と大きく異なるところです。3つの権限は以下の通りです。

(1)校長が作成した学校運営の基本方針を承認する。
(2)学校運営に関する事項について、教育委員会か校長に対して意見を述べることができる。
(3)学校職員の採用や任用に関して、教育委員会規則で定める事項について、職員の任命権者に対して意見を述べることができる。

 この3つの権限は、ひとつひとつ単独で見る場合は「ふーん、その程度か」という感じかもしれませんが、実は条文全体を有機的に組み合わせると、現状の公立学校システムを抜本的に破壊する可能性を持つような、凄い規定でもあります。その可能性については、後に検討することにしましょう。

3.コミュニティ・スクールの効果

 現状(2018年4月統計)、日本全国のコミュニティ・スクールは3,600校で、全体に占める割合は11.7%です(文部科学省統計)。文部科学省は、最終的には100%の導入を目指し、法律で努力義務化(2017年)したほか、特別に予算をつけたり専門家を派遣したりするなど、積極的な措置を講じています。「バスに乗り遅れるな」とばかり、各地方自治体は慌ただしく設置に向けての動きを見せています。
 各種報告や研究成果を見る限り、既にコミュニティ・スクールの実践を始めたところでは、その効果に対して校長も住民も高い満足を感じているようです。特に学校と地域の情報交換や連携の強化について、大きな効果が上がっていると感じているようです。学校運営に対して地域住民が協力的になったとか、学校に対する苦情が減ったなどの報告があります。補導件数が大幅に減るなど、生徒指導上の効果も報告されています。学校教育法(第42条)で規定された「学校評価」業務を学校運営協議会が実質的に担うなど、校長の学校運営上でも役に立っているようです。おおまかに言えば、コミュニティ・スクールの役割(1)「地域の学校」としての成果は大いに上がっているようです。

ソーシャル・キャピタル(社会資本)の調達

 専門用語で言えば、コミュニティ・スクールになってから「ソーシャル・キャピタル(社会資本)」の調達が容易になった様子が分かります。ソーシャル・キャピタルとは、地域社会に潜在的に眠っている教育資源(人・物・教材・場・情報など)の全体を指します。これまでの学校は、教員免許を持っているスタッフだけで仕事をこなそうとしてきました。従来はそれで充分だったかもしれません。しかし課題が複雑化・高度化した現代社会においては、もはや学校内人材だけでは問題に対応しきれません。そんなとき学校の外に目を向けてみると、いくらでも教育資源が眠っていることに気がつきます。特に「人」は教育資源の最たるものです。地域の人々は、子供たちの成長に大きな関心を寄せています。先生たちに協力してくれる人々はたくさんいます。授業補助、特別支援教育ボランティア、部活動支援、ICT支援、学校外部評価等、できることはいくらでもあります。コミュニティ・スクールになることで、こういった潜在的な人材を掘り起こすことが容易になったと報告されています。まずコミュニティ・スクールが現実的に果たした機能とは、地域に潜在的に眠っていた教育力を顕在化させることでした。

「チーム学校」と「働き方改革」に役立つ

 このように地域の教育力を掘り起こすことは、「チーム学校」を実現するために重要な条件となります。力のある校長は、地域の教育力を動員して、眠っていた資源を掘り起こし、学校運営に活用します。学校内のスタッフたちも、充分な資源が与えられれば、これまで以上の力を発揮することができます。ちなみに学校内のスタッフたちにとって最重要な資源とは、「時間」です。教職員に「時間」という資源を潤沢に与えられる校長が、要するにマネジメントの上手な校長です。いわゆる「働き方改革」が成功するか否かは、具体的には「時間」という資源の掘り起こしにかかっています。ソーシャル・キャピタルを調達して「時間」という資源を確保し、確保した資源を教職員に潤沢に配分することで、「チーム学校」が実現し、「働き方改革」が可能となります。
 コミュニティ・スクールとは、単に学校や校長に上から押しつけられる制度ではなく、効果的なマネジメントを実現するための有力な前提条件となるわけです。ここは校長としての腕の見せ所になります。残業はなくしましょう。

4.コミュニティ・スクールの可能性

 さて、ここまで主に「ソーシャル・キャピタル」の観点からコミュニティ・スクールの効果を見ましたが、それは期待されている役割からすれば一部に過ぎません。本来期待されているのは、「柔軟で個性的な教育課程編成」を可能にすることかもしれません。それは、コミュニティ・スクール制度と並行して進められてきている、「教育課程編成の規制緩和」と絡めることで、理解することができます。

教育課程編成の規制緩和

 従来、教育課程編成に対しては強い縛りが課せられていました。学習指導要領を逸脱するような課程編成は、困難でした。ところが小泉純一郎の「聖域なき構造改革」によって、2002年から学習指導要領を逸脱する課程編成ができるようになっています。たとえば構造改革特別区域法によって「教育特区」に認められると、全国一律の規制から特例的に逸脱することができます。有名なのは、小中高12年間一貫教育の中で授業を全て英語で行なう「ぐんま国際アカデミー」でしょう。またたとえば同じく2002年から、スーパー・サイエンス・ハイスクールなど、学習指導要領によらない課程編成が可能な制度が開始されています。
 このように従来の強い縛りから解放されることで、地域の実態に合った柔軟で個性的な教育課程編成を行なうことができる可能性が広がっています。

校長と地域の裁量権

 しかしそうやって学習指導要領によらない教育課程編成ができる制度になったとして、学校に赴任してくる校長先生が相変わらず教育委員会から指導を受けて方針を決めるのでは、内容が変わるわけがありません。制度が変わっても、中身は同じままでしょう。制度を実質的に運用するためには、校長の裁量権を強化し、教育委員会からある程度自由に学校運営方針や教育課程編成を行えるようにする必要があります。そこで、次第に校長の裁量権を強化する方向へ変わってきています。
 ところがそうやって校長の裁量権を強化したとして、学校運営や教育課程編成に対して地域住民の意向が反映されないようでは、地域の実態に合った教育ができるはずがありません。校長の学校運営方針や教育課程編成に対して、地域住民が注文を出せる体制にする必要があります。それがコミュニティ・スクールに期待される役割です。
 コミュニティ・スクールとは、「ソーシャル・キャピタル」の調達を通じて一方的に地域住民が学校のために役立つというような仕組みなのではなく、地域住民の意向を反映しながら柔軟で個性的な教育課程編成を進めていくことが期待されている制度でもあるわけです。

5.コミュニティ・スクールの今後

 しかし、いま確認した側面は、政府の規制緩和・民間開放路線と関係して、既存の公立学校システムを根本から破壊する可能性に関わってきます。学校を取り巻く状況の変化を広く視野に入れながら、制度の射程距離を見極めていきましょう。

民間人校長とコミュニティ・スクール

 2000年の学校教育法施行規則改訂によって、民間人が校長になることができるようになりました。それまでは教員免許を持って一定程度の教職経験を経た人しか校長になれなかったのですが、その条件が撤廃されたわけです。一方、コミュニティ・スクールの制度化(地教行法改訂)は、2004年のことでした。この一連の流れは、小泉純一郎首相が進めた「聖域なき構造改革」の一環である「教育の規制緩和」方針として一貫しています。
 現実の民間人校長は、地方自治体の「公募」によって採用されました。その是非についてはここでは問いません。問題は、「民間人校長」と「コミュニティ・スクール」制度が結びついた場合です。既にコミュニティ・スクールの制度で確認したように、学校運営協議会は教職員人事について意見を出すことができます。現状の制度運用では「指導力のある先生が欲しい」というふうに教員の希望を出している例があるようです。が、これはおそらく本来想定されていた人事権の使い方ではありません。もともと「規制緩和・民間開放」論者が想定していたのは、「地方住民による校長の選定」です。個々の先生は校長が連れてくればいいのです。まず決定的に重要な役割を果たす校長先生を、誰がどうやって決めるのかが問題になるわけです。従来、地域住民は校長選定にまったく関わることができませんでした。教育委員会によって決められた校長先生が、知らないうちに赴任してきました。仮に自治体の「公募」に替わったとしても、地域住民の意向が反映しないという点ではまったく同じです。しかし一方コミュニティ・スクール制度をフルに活用した場合、校長として地域住民の望むような人材が、教員免許や教職経験の有無にかかわらず、民間人であっても、採用できるようになります。「規制緩和・民間開放」論者からしてみたら、個々の教員の採用など些末なことであって、決定的な問題は「校長人事の権限とプロセス」にあります。誰を校長に任命するかという人事権を教育委員会から取り上げ、地域住民に与えることが、「規制緩和・民間開放」論者の本当の目的だったわけです。民間人校長採用とコミュニティ・スクール制度は、校長人事に関して一体化することで、公教育の仕組を根底から破壊する力を持ち得ます。

チャーター・スクール

 「規制緩和・民間開放」論者がモデルとしたのが、1990年代からアメリカで目立ち始めたチャーター・スクールです。具体的には、保護者など地域住民が既存の公立学校システムに不満を抱いたとき、「こんな学校が欲しい」というふうに希望を表明し、公募を出します。住民が提示した要望に応えられると判断した有志は、学校運営計画(予算・スタッフ・到達目標・教育課程等)を定め、設立の申請を行ないます。地域住民がその申請を審査して、要望に叶いそうだと認めたら、合意して契約を結びます。申請者は契約に則って学校を設立し、運営します。地域住民は契約に則って資金(基本的に税金から拠出)を提供します。校長は行政から派遣されるのではなく、契約を結んだ申請者が連れてきます。校長に求められる力は、契約内容を実現できる実力です。その実力主義の前では、民間人か教職経験者かなど、まったく考慮する必要がありません。
 実は日本のコミュニティ・スクール制度でも、民間人校長の採用を認める学校教育法施行規則などと組み合わせれば、アメリカのチャーター・スクールと似たような、教育委員会の手から離れた学校を作ることは可能です。現状条文では教育委員会規則などを踏まえる必要があるのですが、実質的に教育委員会の介入を極力排除して、地域住民が運営する「新しい公立学校」を作れる可能性は秘めているわけです。

学校のガバナンス

 ここまで見た校長人事の問題は、専門的な用語で言えば、「ガバナンス」の問題となります。ガバナンスとは「統治」のことです。従来は、公立学校を制御・指導してきたのは教育委員会でした。この教育委員会の影響力を排除し、地域住民が主体的に学校を設立・運営できるような体制を目指すのがコミュニティ・スクールの機能の一つです。十全な意味での「地域による学校」というわけです。
 「地域住民が学校運営を左右するなんて、とんでもない」という印象を持つ校長もいるでしょうが、それはその校長が「教育委員会の方を向いている」からそう思うだけです。どっちみち校長は教育委員会から統治(ガバナンス)されており、自分の意向でやりたい放題できるわけではありません。一方「地域住民の方を向いている」ような校長であれば、むしろ教育委員会の統治から解放されて、自分が理想とする教育が目指せるかもしれません。そしておそらく「地域住民の方を向いている」ような校長は、教育委員会から派遣された校長ではなく、住民と契約を結んだ校長であるはずです。ガバナンス問題の本質は、校長の学校運営を縛るものが「教育委員会の統治」か「地域住民との契約」かというところにあります。
 思い返してみればコミュニティ・スクールの権限の一つに「校長の学校運営の方針を承認する」とありましたが、教育委員会から派遣されてくる校長が作った方針に対して地域住民が「承認」を与えるというのは、よく考えれば不思議な話です。地域住民と契約を結んだ校長が契約に則って基本方針を作り、それを地域住民が確認して「承認」するのなら、話の筋が通ります。
 おそらく、ある程度筋を通そうとしたからでしょう。コミュニティ・スクールには「学校運営に関する意見を教育委員会または校長に述べることができる」という法的権限もあります。本来なら地域住民が校長人事権を握るのが筋であるところ、それができない以上、最低限、学校運営に関する地域の要望を校長に踏まえてもらおうというわけでしょう。まあ地域住民と校長が契約を結んでいるわけではないので、拘束力は格段に低くなりますが。

規制緩和の行方

 しかし既に「コミュニティ・スクールの成果」で確認したとおり、日本で現実に根付きつつあるコミュニティ・スクールは、学校ガバナンスの構造転換に重心を置いたものではなく、ソーシャル・キャピタルの調達に重点を置いて展開してきています。小泉構造改革等で導入された民間人校長なども含め、規制緩和・民間開放路線は、現実には定着しているように見えません。おおむね失敗しています。定着しなかった理由として様々な要因があるでしょうが、要するに日本の現実とは噛み合っていなかったことは間違いないでしょう。
 しかし一方で、日本の現実を根本から変革すべく、教育委員会改革も進行しています。2015年には地教行法が改正され、教育委員長が廃止されて教育長に一本化された上で、首長が参加する「総合教育会議」が設置されました。着々と教育委員会の権限が縮小され、首長局に教育権限が集中しつつあります。教育委員会の権限縮小と首長の権限拡大の行き着く先には、「教育委員会ではなく地域住民がガバナンスの主体となるコミュニティ・スクール」が仄かに見えてきます。校長人事に対して地域住民がどれだけ発言権を持つかが、具体的なポイントになるように思います。

6.コミュニティ・スクールの副作用

 コミュニティ・スクールの役割として「(3)地域のための学校」と書きました。コミュニティ・スクールになれば、地域の発展に貢献できるという理屈でした。本当でしょうか? 実はコミュニティ・スクールが増えることで、むしろ地域が破壊される可能性もあります。それは「学校選択制」と関係してきます。

学校選択制による地域無視

 学校選択制とは、生徒や保護者がどの学校に通うか自由に選べる制度のことです。従来は教育委員会に決められた公立学校に問答無用で行かざるを得ませんでしたが、1997年から学校を選べるような制度も可能になりました。
 しかし自由だからといって、単純に歓迎できるわけではありません。たとえば学校選択制が導入されると、自分の子供が通う学校と隣の家の子供が通う学校が違っているということが普通に起こるわけです。通う学校が違うことによって、子供の育ち方も変わってきます。子供の友達も変わるでしょう。隣の家との会話のネタも少なくなります。地域の連帯感が希薄になっていくことは、容易に想像できるでしょう。学校選択制には、地域の繋がりを断ち切る恐れがあります。

コミュニティ・スクールと学校選択制

 ところがコミュニティ・スクールは、地域と密着した学校として構想されています。学校選択制によって同じ地域の住民がバラバラな学校に通うようでは、地域に密着した学校など実現できるはずがありません。常識的に考えて、コミュニティ・スクール制度と学校選択制は両立するわけがありません。
 しかし現在、文部科学省は学校選択制を推進しながら、同時にコミュニティ・スクールの100%導入を目指しています。どういうことでしょうか?

地域を破壊するコミュニティ・スクール

 実は、地域のことなど一切考えない、むしろ積極的に地域の繋がりを裁ち切り、地域を破壊するような、そういうコミュニティ・スクールの形もありえるのです。現在の日本、特に都市部においては、人々は既に地域から切り離されています。自治会に加入する人々も減っています。利己主義が蔓延した現在においては、自分の子供を学校に入れるとき、「地域の発展のために尽くして欲しい」と願う親よりも、「地域の発展なんかどうでもいい。本人の幸せが一番」と考える親の方が多いかもしれません。そういう利己主義的な親が集まって、自分たちの利益を主張し始め、学校に対して大きな影響力を持った場合のことを想定してみましょう。彼らがコミュニティ・スクール制度を利用して、自分たちの意見を学校運営に押しつけることを想定してみましょう。彼ら利己的な親は、地域のことなどまったく考えず、自分の子供の進学や就職に有利な教育を実現することを優先し、そういう実績が高い校長を採用しようとするに決まっています。そうして一部の利己的な親たちが注文を突きつけた学校は、親の期待に応えて、進学実績だけに注目して受験勉強ばかり熱心な学校になります。コミュニティ・スクールとは地域住民の意向を反映する学校ですから、地域住民が受験勉強推進を熱望したら、そういう学校にならざるを得ないわけです。一方、そういう受験優先教育に乗れない保護者たちは、別の要望を突きつけ、別の学校を作り上げることができます。それはそれで自由ではあるのですが、保護者の主義主張によって地域が分断され、隣に住む子供がまったく異なる学校に通うようになります。高校ならまだしも、小学校や中学校がこういう状態になったら、地域の絆はズタズタに切り裂かれるでしょう。が、自分の子供が受験に成功すればいいという利己的な保護者が増えれば、地域の絆がズタズタになっても、誰も気にしないというわけです。コミュニティ・スクールと学校選択制がセットになると、実は地域を破壊する結果に繋がりやすいわけです。
 現在でも都市部においては、私立小中学校の大発展によって、地域の絆は破壊されつつあります。ただでさえ地域が破壊されているなか、コミュニティ・スクールと学校選択制がセットになると、さらに公立小中学校が分断され、地域の破壊がいっそう進むことになりそうです。しかしこれこそが、「規制緩和・民間開放」論者の望んだことでもあります。「規制緩和・民間開放」論者にとってみれば、地域の絆など破壊されるべき邪魔者に過ぎず、利己主義的な「選択の自由」こそが最大限に尊重されるべきものです。(まあ、彼らは「地域の絆」の代わりに「個人の絆」を尊重しますので、それはそれとして一つの知見ではありますが。)
 そんなわけで、コミュニティ・スクールを導入することによって本当に地域が活性化するかどうかは、特に「学校選択制」との関係で慎重に見極める必要があります。

まとめ

 以上、コミュニティ・スクールの(1)役割(2)制度(3)効果(4)今後(5)副作用について見てきました。いま、学校や教育行政をめぐる制度は急激に変化しつつあります。これまでの学校に関する常識が、これからは通用しなくなってきます。文部科学省が100%の導入を目指す「コミュニティ・スクール」は、教育制度改革の要となる制度です。今後の教育や学校がどうなっていくのか、注目していきましょう。

地方教育行政の改革に関わるできごと
1997年学校選択制開始。
1998年中教審答申「今後の地方教育行政の在り方について」学校の自主性・自律性確立と裁量権拡大を提言。
2000年学校教育法施行規則改正:民間人校長が可能に。
2002年構造改革特別区域法制定:学習指導要領を逸脱する教育課程編成が可能に。
2002年SSHなど、学習指導要領によらない教育課程編成を認める制度開始。
2004年地教行法改正:コミュニティ・スクール(学校運営協議会)制度発足
2008年学校教育法施行規則改正(第55条):教育課程特例校制度。構造改革特別区域研究開発学校設置事業として行われてきたものが文科相の指定により可能に。
2015年地教行法改正:教育委員会改革。総合教育会議設置。
2017年地教行法改正:コミュニティ・スクールの設置を努力義務化。

参考文献

■佐藤晴雄『コミュニティ・スクール―「地域とともにある学校づくり」の実現のために』エイデル研究所、2016年

 コミュニティ・スクールに関する理論・制度・アンケートに基づく現状・新規立ち上げへのアドバイスなど、全方位に渡って参考になります。特に筆者は「ガバナンス」の観点からコミュニティ・スクール導入に踏み切った東京都足立区五反野小学校の実践に関わっており、具体的な仕組みがよく分かります。

■貝ノ瀬滋『図説コミュニティ・スクール入門』一藝社、2017年

 筆者は東京都三鷹市の学校長や教育長としてコミュニティ・スクール立ち上げに深く関わっており、生々しい実践経過がとても参考になります。特に「ソーシャル・キャピタル」の調達に関する具体的な取り組みや、その効果が参考になります。コミュニティ・スクールの実際の成果が気になる人にとっては、大いに参考になるでしょう。

【プログラミング教育】マインクラフト参考本一覧

このページでは、実際に目を通した「マインクラフト」の解説・攻略・資料本について備忘録的に記しています。

プログラミングに関わる本

マインクラフトのプログラミングに関しては、主に3つの領域があります。(1)レッドストーン回路(2)コマンドブロック(3)Codeです。

(1)レッドストーン回路

MOJANG公式『マインクラフト公式ガイド レッドストーン』技術評論社、2018年5月

▼内容:レッドストーンを使った基本的な回路の組み方から、応用的な機械の作り方までが紹介されています。エレベーター・エリトラランチャー・ピストンクラッシャー・自動醸造器・レッドストーンの灯台などの具体的な組みたて方が紹介されています。

難易度★★★

(2)コマンドブロック

松尾高明、斎藤大輔、ナポアン、nishi著『みんな大好き!マインクラフトるんるんプログラミング!コマンドブロック編』ソシム、2017年4月

▼内容:レッドストーン回路についての解説もあり、自動ドア・自動小麦収穫装置・エレベーター・サトウキビ自動収穫装置・アイテム自動仕分け機・自動鶏肉収穫器・トロッコレールの切り替え等が紹介されています。
コマンドやコマンドブロックについての紹介・説明があります。テレポート装置・まとめてエンチャント装置・mob接近監視装置・落とし穴・歩く歩道・子どものままの動物を償還する方法・カギを使って開けるドア・指定範囲内でダッシュ禁止・ダンジョン自動生成等が紹介されています。

▼付録:ブロックID/アイテムID一覧、主要データ値一覧、主要コマンド一覧、バージョン1.11で変更された主要エンティティID一覧

難易度★★★★

(3)Code

広野忠敏&できるシリーズ編集部『できる パソコンで楽しむマインクラフトプログラミング入門』インプレス、2018年4月

▼内容:MakeCodeで実際にコードを書いてプログラミングをします。掘削・効率的なマイニング・ピラミッドを作る・養鶏場で卵を収穫・畑を作って農作物を育てる・対戦バトルを楽しむ等が紹介されています。

▼付録:ブロック一覧

難易度★★★★★

建築に関わる本

MOJANG公式『マインクラフト公式ガイド クリエイティブ』技術評論社、2018年5月

▼内容:建築の基礎からそうとう大規模な応用まで紹介されています。人里離れた砦・照明システム・エキゾチックな別荘・垂直輸送のためのシステム・水中観測所・スチームパンクの飛行船などが紹介されています。具体的な作り方が細かく紹介されているわけではないので再現することは大変かもしれません。

難易度★★★

飛竜&今井三太郎『マインクラフト スーパー建築レシピ』玄光社MOOK、2016年1月

▼内容:建築の基礎から応用まで紹介されています。小規模建築から中規模、大規模建築まで幅広く、さらに内装や自動装置(自動ドア・エレベーター・隠し扉・エンチャントステージ等)の作成まで紹介されています。写真が多く、素材のレシピ等も分かりやすく紹介されています。

難易度★★★★

『マインクラフト 家&村づくり完全攻略 レッドストーン・建築・ミニゲームを極める!』ソシム、2016年8月

▼内容:基本的には建築の仕方を紹介していますが、他にレッドストーンの基本的な使い方や、建築の技を応用したミニゲームの作り方などが紹介されています。他、サバイバルモードでの小技等も紹介されています。

▼付録:エンチャント一覧・アイテムレシピ集・ポーションレシピ集

難易度★★

『マインクラフト レッドストーン・建築・インテリア攻略ガイド』ソシム、2017年8月

▼内容:基本的には建築や内装について、細かいテクニックが紹介されている本ですが、さらにレッドストーンの具体的な使い方についても示されています。レッドストーンに関しては、アイテム分別機・暗号式の鍵ドア・ダイヤル錠のカギドア・自動点灯玄関ライト・自動攻撃通路・溶岩式殲滅装置などが紹介されています。

難易度★★★

『マインクラフト 鉄道&建築ガイド』ソシム、2017年3月

▼内容:特にトロッコの使い方に焦点を当てて、レールの敷設や駅の作り方など鉄道に関する建築を紹介しています。レッドストーンを使ったテクニックなども紹介されています。

難易度★★

攻略を含めた全般的な本

MOJANG公式『マインクラフト公式ガイド ネザー&ジ・エンド』技術評論社、2018年5月

▼内容:サバイバルモードに関して、特にネザーとジ・エンドについて紹介されています。Mobについて詳しく紹介されています。
攻略に関わるデータや技の紹介が目的の本であり、建築やレッドストーンに関する情報はまったく載っていません。

難易度★

『ゲーム攻略ブック マインクラフトの基本から建築まで1冊でわかる本 プログラミング教育対応版』三才ブックス、2018年8月

▼内容:サバイバルモードの攻略から、建築、レッドストーン回路の基礎までが紹介されています。

▼付録:Mob一覧・作業台レシピ・

難易度★★

『ゲーム超攻略ガイド マインクラフトすっごい技まとめ』ソシム、2018年4月

▼内容:サバイバルモードの攻略、アイテムの基本的な使い方や小技から、建築やインテリアに関する小技やレッドストーン回路の基礎まで紹介されています。

▼付録:エンチャント効果・醸造レシピ・作業台レシピ

難易度★★