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【要約と感想】西村賀子『ギリシア神話―神々と英雄に出会う』

【要約】複雑な体系のギリシア神話をテーマごと(たとえば女神・オリンピック・怪物・星座など)にまとめてくれて、分かりやすくなっています。また単に神話の概要紹介だけでなく、その背景となる考古学的な知見やジェンダー論的な考察も加わって、ギリシア神話を多角的に理解することができます。

【感想】ギリシア神話が家父長的な体系を取る以前の大地母神の在り方について、とてもよく分かった。ゼウスを筆頭とする男性神たちの暴虐ぶりとヘラーの嫉妬の酷さに対して違和感を持っていたわけだけど、先史時代の母系制社会が家父長的な体系に組み替えられる経緯を踏まえれば合理的に理解できる気がする。悪女とされるクリュタイムネストラの扱いの変遷についても、家父長制の傾向が強まるに従って扱いが悪くなることについて、なるほどと思った。女性ならではの視点が私に取っては新鮮で、とてもおもしろく読んだ。単なる入門書ではなく、ある程度ギリシア神話を知っている人にとっても様々な発見をもたらしてくれる本であるように思う。

西村賀子『ギリシア神話―神々と英雄に出会う』中公新書、2005年

教育学Ⅱ-12

■新松戸キャンパス 12/14(金)

前回のおさらい

・問題行動(体罰・いじめ)
・特別支援教育、発達障害。

道徳の教科化

・中学校では2019年度から道徳の教科化が完全実施されます。小学校は2018年度から開始されています。学校の判断により、先行して実施しても構いません。

「教科」とは何か?

・以前の『学習指導要領』の構成→教科:道徳:総合的な学習の時間:特別活動
・教科=(1)教科書を使う(2)点数で評価する(3)教科固有の教員免許が必要。
・かつての道徳、総合、特別活動=(1)教科書を使わない(2)点数で評価しない(3)固有の教員免許が必要ない。
→特別の教科道徳=(1)教科書を使う(2)点数ではなく言葉で評価する(3)教科固有の教員免許が必要ない。

教科化の経緯

・いじめ問題?
・若者の犯罪は本当に増えているのでしょうか?←増えていません。
・若者の犯罪は本当に凶悪化しているのでしょうか?←凶悪化していません。
・教育再生会議と教育再生実行会議。政治家と官僚のスタンスの違い。

本質的な問題とは?

・近い人たちとの道徳から遠い人同士の倫理への変化。
・50年ほど前は、顔と名前を知っている人々だけと付き合っていれば大丈夫だった時代でした。しかし現在は、顔も名前も知らない大量の人々と接触しながら暮らさなければならないため、従来とはまったく異なった振る舞い方が必要になります。
・高度経済成長以前の感覚で道徳を語ると、必ずおかしなことになります。
・新しい時代に必要な倫理とは?

道徳教育の目的

豊かな心(学習指導要領:総則)

道徳教育や体験活動、多様な表現や鑑賞の活動等を通して、豊かな心や創造性の涵養を目指した教育の充実に努めること。
学校における道徳教育は、特別の教科である道徳(以下「道徳科」という。)を要として学校の教育活動全体を通じて行うものであり、道徳科はもとより、各教科、総合的な学習の時間及び特別活動のそれぞれの特質に応じて、生徒の発達の段階を考慮して、適切な指導を行うこと。(3頁)

・「学校の教育活動全体を通じて行なう」とはどういうことでしょうか?
・「要」とはどういう意味でしょうか?

道徳教育の意義

我が国の学校教育において道徳教育は、道徳の時間を要として学校の教育活動全体を通じて行うものとされてきた。これまで、学校や生徒の実態などに基づき道徳教育の重点目標を設定し充実した指導を重ね、確固たる成果を上げている学校がある一方で、例えば、歴史的経緯に影響され、いまだに道徳教育そのものを忌避しがちな風潮があること、他教科に比べて軽んじられていること、読み物の登場人物の心情理解のみに偏った形式的な指導が行われる例があることなど、多くの課題が指摘されている。(『学習指導要領解説 特別の教科道徳編』1~2頁)

・道徳教育が栄えない理由とは?

「特定の価値観を押し付けたり、主体性をもたず言われるままに行動するよう指導したりすることは、道徳教育が目指す方向の対極にあるものと言わなければならない」、「多様な価値観の、時に対立がある場合を含めて、誠実にそれらの価値に向き合い、道徳としての問題を考え続ける姿勢こそ道徳教育で養うべき基本的資質である」との答申を踏まえ、発達の段階に応じ、答えが一つではない道徳的な課題を一人一人の生徒が自分自身の問題と捉え、向き合う「考える道徳」、「議論する道徳」へと転換を図るものである。(『学習指導要領解説 特別の教科道徳編』2頁)

考え、議論する道徳

思春期にかかる中学生の発達の段階においては、ふだんの生活においては分かっていると信じて疑わない様々な道徳的価値について、学校や家庭、地域社会における様々な体験、道徳科における教材との出会いやそれに基づく他者との対話などを手掛かりとして自己との関わりを問い直すことによって、そこから本当の理解が始まるのである。また、時には複数の道徳的価値が対立する場面にも直面する。その際、生徒は、時と場合、場所などに応じて、複数の道徳的価値の中から、どの価値を優先するのかの判断を迫られることになる。その際の心の葛藤や揺れ、また選択した結果などから、道徳的諸価値への理解が始まることもある。このようなことを通して、道徳的諸価値が人間としてのよさを表すものであることに気付き、人間尊重の精神と生命に対する畏敬の念に根ざした自己理解や他者理解、人間理解、自然理解へとつながっていくようにすることが求められる。
(中略)
指導の際には、特定の道徳的価値を絶対的なものとして指導したり、本来実感を伴って理解すべき道徳的価値のよさや大切さを観念的に理解させたりする学習に終始することのないように配慮することが大切である。(『学習指導要領解説 特別の教科道徳編』14~15頁)

復習

・道徳教育の変遷と、現在の学習指導要領の規定を押さえよう。

予習

・教育委員会の役割について調べておこう。

【要約と感想】丹下和彦『食べるギリシア人―古典文学グルメ紀行』

【要約】ギリシア人の日常生活を理解するために、文学等に現われた「食」の在り方を眺めてみました。ホメロスが描く英雄叙事詩には驚くほど食の姿が現われず、特に魚に対しては極めて冷淡ですが、実際には当時の一般民衆は魚が大好きでした。特に鰻は絶品だったようです。酒を薄めて飲んだり、手掴みで食べたり、寝そべりながら宴会をする様子は、現在の我々の生活の在り方とはずいぶん異なっています。

【感想】エッセイのような文章で、気軽に読める。が、具体的な事例を詩や劇の中から博捜しており、とても勉強になる。
面白い研究には2種類あって、一つの事例分析に特化して最終的に物事の全体像を明らかにする「一点突破全面展開」のやり方と、この本のように「領域横断的」に幅広い史料から共通素材を取りだして物事を再構成するやり方がある。領域横断的にテーマを貫く作業はとてもおもしろく、自分でも真似してみたくなるわけだが(たとえば眼鏡っ娘研究はその類に当たる)、幅広い知識と深い教養が欠かせないことがよく分かる。研鑽を積まねばならない。
それはそうと、ウナギ食べたいなあ。

丹下和彦『食べるギリシア人―古典文学グルメ紀行』岩波新書、2012年

【要約と感想】桜井万里子・橋場弦編『古代オリンピック』

【要約】紀元前8世紀から1200年もの間、ギリシア山間の片田舎オリュンピアで競技大会が開かれ続けました。おそらく当初は地方的な祭典に過ぎませんでしたが、次第に全ギリシアを巻き込む一大イベントとして発展します。もともとギリシアに根づいていた競争の文化(アゴン)が要因かもしれません。さらにヘレニズム時代からローマ時代にかけて、ギリシア文化を崇敬するマケドニア王やローマ皇帝の支援を得て、ギリシア地方を超えて国際イベント化します。
隆盛を極めたオリンピックも、西ローマ帝国滅亡の過程で、キリスト教の影響などもあり、西ローマ帝国滅亡後は忘れ去られます。しかし18世紀のグランドツアー流行や19世紀の国民国家興隆に伴って西洋の起源としてのギリシア文化が見直され、オリュンピアの発掘調査が進行するとともに、近代オリンピックが復興します。
しかし近代オリンピックが目指すギリシア文化=アマチュア精神は後世になってから捏造されたものも多く、オリンピックがローマ期になってから拝金主義により衰退したという従来の見方は近代的なバイアスが色濃く反映している疑いがあります。

【感想】とてもおもしろく読んだ。古代オリンピックの歴史を通じて、ギリシアとローマの古典文化や当時の生活の具体的な有り様のみならず、ヨーロッパ近代が抱える認知の歪みまでも見透すような、一点突破全面展開のお手本のような歴史記述だと思った。ギリシア古典期→ヘレニズム→ローマ期の変遷過程についてはけっこう混乱することもあるのだが、オリンピックという具体例を通して見ると、とても理解しやすい。18世紀から19世紀にかけてローマ文化を貶めてギリシア文化を礼賛する傾向にあったのが、最近の研究の成果によって是正されつつあるという報告は、他の領域でも共通して見られる現象で、なかなか興味深い証言だ。
あと、マラソン競技の起源伝説が極めて怪しいという話は小耳に挟んではいたのだが、本書で学術的な根拠を仕入れたので、今後は積極的に発信していきたい。マラソン競技の起源を語る伝説は、デマですよ。

【今後の研究のための参照】

「古代オリンピックは、与えられたものとしてギリシア人が享受していた競技会ではなくて、人々の共同参加によって、分立する諸ポリスを統合する精神的支柱の役割を担うにいたった競技会であった。」15頁

この文章は「コミケ」にも当てはまる気がするね。コミケはいまや分立する諸ジャンルを統合する精神的支柱の役割を果たしているのだった。やはり周期的に発生する「場」というものは人間の団結にとってとても重要なのだろう。

桜井万里子・橋場弦編『古代オリンピック』岩波新書、2004年

【要約と感想】高野義郎『古代ギリシアの旅―創造の源をたずねて―』

【要約】小アジア→バルカン半島→ペロポネソス半島→イタリア南部と主要なギリシアのポリスを巡りながら、碁盤目型都市構造や聖数としての10、あるいは時計回りの理由といった普遍的な文化史に思いを巡らせます。通奏低音的なモチーフとして、ギリシア神話では何かと悪者にされる女神ヘラーの復権を試みる一方で、哲学的にはソフィスト等の活動を無視して自然科学的精神の発達に着目して記述しています。

【感想】本書の基本構想は、ヘラーやアテナ、アルテミス等のギリシア神話の女神たちがもともとは土着の地母神であったという直感に基づいている。その直感を保証する文字史料はまったくないので、エビデンスは考古学的な知見に求めるしかない。筆者は、神殿の柱の数や部屋の構成比率にピュータゴラース学派の聖数10の起源を見出したり、女神たちの神殿がもともとは低湿地に位置していたことなどを根拠に、かつての地母神たちに思いを馳せる。客観的な根拠は確かに薄いのだろうけれども、その直感に何らかの可能性を認めることに対して吝かではない。ギリシア文化に魅せられて熱心に現地に通った人だけが感じとることができる何かが、客観的には素直に認めがたい仮説の説得力を増していたのではないかと思う。静かな語り口の奥底に熱い情熱を感じる一冊だった。

高野義郎『古代ギリシアの旅―創造の源をたずねて―』岩波新書、2002年