【要約と感想】『跡見花蹊―女子教育の先駆者』

【要約】跡見花蹊(1840-1926)は天保期摂津に生まれて父の私塾を手伝いながら学問や絵画の腕を磨き、幕末動乱の京都で才能を開花させ、明治維新後に東京に移ってからは日本画家・書家としてだけではなく教育者として各方面で活躍し、女子教育の先駆者として知られています。女子教育理念としては、芸術を通じた婦徳の涵養を前面に打ち出す良妻賢母主義教育に力を入れる一方で、主婦の内職を奨励したり女性の職業的自立も打ち出しています。

【感想】落ち着いた筆致ながら迫力のある内容で、才能に恵まれた女性の一代記としてとてもおもしろく読んだ。出てくる固有名詞がことごとく一流どころばかりで、幕末から明治・大正にかけての日本の歴史の一幕を垣間見るような大河的展開だった。さすが、はいからさんが通った学校のモデルとなっているだけのことはある。

【個人的な研究のための備忘録】近代女子教育
 明治大正期の女子教育は、一般的には良妻賢母主義として家庭に入ることが前提とされ、女性の職業的経済的自立は重視されていなかったとされている。しかし本書では、女性の自立についての言及がある。

「花蹊は美術教育の必要を説き、外国に行った際に絵を理解できることも想定している。さらに、「内職」ということばを用いて、それを女性の経済的な力に結びつけることも主張する。上流の子女を迎えた跡見女学校であったが、大正時代に入り、ただ夫の懐を頼るばかりではなく、嫁入り道具程度に少し嗜むのでもなく、本気で取り組むことを説き、話は世界に売ることにまで及び。「本職」という言葉を用いるが、単なる趣味に終わらせるのではなく、本腰を入れて妻の経済力につながることを期待している。大正という時代に、回顧を中心とする文章の中で、花蹊が美術をもって女性たちの「自立」を奨励しているのは興味深い。」129頁

 さて、この記述を額面通りに花蹊の教育理念の本質として受け取るか、あるいは大正デモクラシーの勢いが醸成した日本全体の空気として理解するか、今のところ判断は留保しておきたい。

【個人的な研究のための備忘録】跡見玉枝
 それから、花蹊の従姉妹である跡見玉枝にも注目しておきたいと思った。岡倉天心とフェノロサが京都で行った講演を聞き、すぐさま天心に面会して推薦状をもらい上京する行動力。就職先が共立女子職業学校(渡辺辰五郎が創立者の一人)というところで、辰五郎との接触もあったかどうか。

泉雅博・植田恭代・大塚博著『跡見花蹊―女子教育の先駆者』ミネルヴァ書房、2018年