【要約と感想】濱貴子『職業婦人の歴史社会学』

【要約】大正から昭和戦前期の「職業婦人」に関して、各種統計から量的に、雑誌記事から質的に検討しました。量的には一貫的に女性就業者は増加し、特に第三次産業に従事する女性が目立ちましたが、行政は職業婦人を低賃金で周辺的位置づけと見なし続けました。マス段階に入った女子高等教育機関の卒業者については、マス段階の農村部では就職率が下がって良妻賢母化が進みましたが、都市部では第三次産業で職業婦人化が進みました。
 女性向け雑誌では、対象読者によって職業婦人の描かれ方が異なり、時期によって重点が変わります。同じ職業婦人といっても、主婦として内職で家計補助のために働くか、結婚までの腰掛修行か、社会的自立を目指すか、読者の出身階層と時期によってニュアンスが異なります。1920年代には職業婦人は公領域(政治経済)で男性労働や参政権との関係で語られがちだったのが、1930年代以降は政治経済から排除されて私領域(家庭)で良妻賢母の概念に包摂されてきます。この歴史的経緯は、戦後の日本社会でも大きな影響を持ち続けています。

【感想】勉強になった。おもしろく読んだ。個人的には1900年前後の女性就労状況を知りたかったので、直接的にその興味に応えるものではなかったものの、1920年代~30年代の実相と問題についてはよく分かった気になった。公領域から私領域への移行という分析軸にも説得力を感じた。そして実は職業婦人の語られ方だけでなく、「子ども」についても同じような語られ方の変化があったのではないかという直感がある。子どもの教育を公領域で語るスタイルから、私領域で語るスタイルへの変化。つまり「家族」とか「家庭」というもの全体の問題に連動しているということだろう。
 また裁縫の技術がどれほど女性の経済的自立に結びつくかも読み取りたかったのだが、1930年の段階でもやはり裁縫技術はほとんど家庭内の衣料調達で完結していて、大規模に市場化されている様子は伺えなかった。少数ながら「被服裁縫業主」や「裁縫工」が内職・副業に絡んで言及されていて、換金の手段として認知されていることは分かった。このあたり日本に特殊な現象ではなく、全世界的にも事情を同じくしているような印象はある。

【個人的な研究のための備忘録】人格
 個人的に進めている渡邊辰五郎の研究にも関わって、「人格」という言葉に反応する。

「戦前期の女子高等教育における「人格」教育の重視という教育理念も「良妻賢母」の養成と矛盾するものではなかった。この点について、天野正子(1986)は、「「知的」教育よりも忍耐・努力・克己の精神といった「人格」教育を、知育よりも徳育を重視する立場が、高等女学校の教育を支配した「良妻賢母主義」と矛盾するものではなく、むしろそれを補強するものであった」と指摘している。」11頁

 この文脈で言う「人格」とは、カントが言うような独立した責任主体としての人格という意味ではなく、ただ単に儒教的な道徳性を身に付けたことを意味している。「忍耐・努力・克己の精神」は、カント的人格とは何の関係もない。それが悪いということではなく、本来はドイツ観念論(あるいはロマン主義)的なものとして入ってきた「人格」という言葉にすぐさま儒教的なニュアンスが流れ込んでいき、ただの儒教的道徳性陶冶のことを「人格教育」と呼ぶようになったという事実について確認しておきたい。そして渡邊辰五郎が裁縫教育に「人格教育」を見出していたのは、どういう意味なのか。

東京市社会局(1924)『職業婦人に関する調査』「此等の職業婦人(むしろ婦人労働者と目すべきものもある)は労力に対する報酬は最も低廉で剰へ人格を無視されてゐる事は今更云ふまでもない。」
東京市社会局(1931)『婦人職業戦線の展望』「人格を認められたい」

 ただし職業婦人が自ら残した「人格」という言葉には、「人間の尊厳」という意味が込められているように見える。記憶しておきたい。

濱貴子『職業婦人の歴史社会学』晃洋書房、2022年