【要約と感想】井上文則『軍と兵士のローマ帝国』

【要約】ローマ帝国はローマ軍でもっていたと言っても過言ではありません。ローマ共和政は紀元前2世紀半ばに属州を得てから統治の在り方が大きく変化し、軍では従来のアマチュア的な市民軍からプロの職業軍人へと変わります。アウグストゥス帝に至って給料制の常備軍となりますが、経済的背景にはシルクロード貿易を通じた関税収入があります。しかし2世紀の大規模な疫病と対外戦争を経て、機動軍の創設や能力主義的な人材抜擢など軍の在り方が大きく変わり、属州出身者も軍で出世するようになって、軍の実力を後ろ盾とした軍人皇帝が続出します。属州防衛のために東西を分担して統治するようになりますが、本格的にゲルマン移動が始まると、経済圏が崩壊して西ローマ軍の質と量が劣化し、軍にも異民族を大規模に取り入れるようになります。最後は異民族に滅ぼされます。

【感想】ユーラシア大陸全体の動向を視野に入れて分析し、シルクロードの交易による収入がローマ帝国草創期の常備軍を支えたと主張するのは、なるほど、説得力を感じる。アンティオキアやアレキサンドリアの地政学的な重要性がとてもよく分かる。

 一方気になるのは、ピレンヌテーゼではゲルマン民族移動などたいしたことなかったとみなしているのに対して、本書は教科書通りゲルマン民族移動をローマ帝国衰亡の原因として当然視しているところだ。異民族の侵入に対して属州の人々が反抗しなかった理由として、本書は軍隊の駐留形式(民家に分泊)を挙げているけれども、ピレンヌだったら「そもそも大したことがなかったし、異民族の方がローマ文明に同化した」と言うところだろう。
 ピレンヌの主張の肝は、仮にローマ皇帝が廃位されて政権が変わったとしても、文化的には旧来のローマ的生活を問題なく引き継いでいるというところだ。そういう観点からは、一般市民から切り離された軍隊がどれだけ変化あるいは衰亡しようと、一般市民のローマ的生活には何の影響も与えないということになる。確かに476年に政権としての西ローマ(および軍)は滅びたかもしれないが、ローマ的生活が終了するのは6世紀にイスラム勢力がシリアとエジプトを抑えて西地中海の交易システムが崩壊した時だ。アレクサンドリアから地中海を通じてもたらされる物品が途絶えると、古代ローマ的生活は崩壊する。
 そういう観点からは、本書もシリアとエジプト(あるいはヘレニズム世界)の地政学的な意義を極めて大きく見積もっているところは印象的だ。従来の通説的な見方では、世界の境界としてユーフラテス川が自明視されていたが、それは「ローマ帝国」を実態視する故の錯誤に過ぎず、本質的な境界線は西ローマと東ローマの間にあると言う。西ローマは地中海世界(現代で言うヨーロッパ)で、東ローマ以東はヘレニズム世界だ。つまりビザンツ(東ローマ)はヨーロッパに近いのではなく、ヘレニズム世界に近いということだ。この視点は、「ローマカトリック=ラテン語世界/ギリシア正教=ギリシア語世界」のあまりの違いを考える上では、極めて有効に働きそうだ。たとえば、文化的にはラテン世界ではキケロ的な雄弁術の伝統が前面に出て来るのに対し、ビザンツではギリシア語的な神秘主義の伝統が前面に出て来る、ということになるか。

井上文則『軍と兵士のローマ帝国』岩波新書、2023年