【要約】スピノザの主著『エチカ』の序論として方法論ないし認識論を述べた著作のように読めますが、未完です。
快楽、財産、名誉を得ても幸福になれません。真実最高の幸福とは、精神が全自然(つまり神)とシンクロすることです。そのためにやるべきことはたくさんありますが、最優先で行うべきなのは、知性の改善です。
知覚様式には4種類あります。(1)言語と文字(2)経験(3)推論(4)直観。(1)はいい加減だし、(2)は偶然だし、(3)は確実ですが完全性には及ばないので、(4)が目指すべき認識です。(1)(2)(3)の様式は使わず、人間の「生得の力」を使って認識の手続きを進めましょう。真理は、真理であるというただそれだけで、それが真理であると分かります。真の観念の本性によって明らかになった規範に従って精神を導くのが正しい「方法」です。探究を始めるためには足掛かりが必要なので、何らかの「真の観念」から探究を始めますが、神から始めるのがいちばんクールなので、なるべく早く神に到達しましょう。
さっそく「真の観念」を明確に理解するため、虚構された知覚、虚偽の知覚、疑わしい知覚の発生メカニズムを明らかにして斥けます。続いて「定義」というものは、単なる固有な特性の列挙ではなく、「本質」でなければなりません。この定義から生得の力を使って認識の手続きを進めれば、確固・永遠なる事物の認識にたどりつきます。しかし個物はだめです。そして「生得の力」の条件を提示したところで、未完。
【感想】何の予備知識もなしに読んだら途方に暮れるだけだろう。一つ一つの用語が日常的な意味からかけ離れている。入門本を3冊ほど読んでおいてよかった。たとえば本書の「観念」という言葉は、まずリンゴとか犬のような具体物を思い浮かべてしまうと躓きやすくて、「三角形」とか「円」のような幾何学図形をイメージすると多少は分かりやすくなるように思う。また「確固・永遠なる事物」とは幾何学的な真理だと考えるとよいか。
とはいえ、本書の認識論で決定的なカギを握る「生得の力」について、8個の特徴を列挙したところで未完となってしまっており、痒いところに手が届いていない感じは否めない。
またスピノザは「与えられた真の観念」から規範に従って探究の手続きを進めよと言う。確かに何もないところから探究は始められないので、思考の足掛かりとして何かしら任意の「真の観念」が与えられなければいけないのだが、それは何でも構わないというような書きっぷりが不思議だ。たとえば理論上は「めがね」から始めても真理に到達できることになる(うまくいくことはまれにしか起こらないらしいが、可能性はゼロじゃない)。
しかし思い返してみれば、プラトンが『国家』などに記した「哲学的対話法」で突き詰めていたのは、この「足掛かり」を見つける原理ではなかったのか(そして善のイデアにたどりつく)。デカルトにしても、思考の「足掛かり」の確信を得るためにノイブルクの炉部屋で瞑想にふけったのではなかったか。しかしそこでスピノザは「足掛かりはなんでも構わない」という身振りを示すわけだ。なんでも構わないのは、もちろん自然のすべてが神の様態だから、ということになるのだろう。
この「思考の足掛かり」に関わる議論に関しては、個人的には「特異点」という用語でいろいろ考えていて、一家言(?)あったりする。(→【要約と感想】J.アナス・J.バーンズ『古代懐疑主義入門―判断保留の十の方式』)。スピノザの「なんでも構わない」という身振りは、おそらく「大いなる一」のバリエーションだろう。というのは、あらゆるものが神の様態という設定が背景にあって、初めて足掛かりはなんでも構わないという身振りが可能になるからだ。
また一読して気がつくのは、明らかにデカルトを意識した書きっぷりだ。冒頭の過剰な自分語りとか、最終的な目的にたどりつく前に暫定的な生活規則を立てるところなどはデカルト『方法序説』そのままだし、知識の四様式にも影響が見られる。「或る懐疑論者」(39頁)とか「精神を全く欠く自動機械」(40頁)という書きっぷりなど、対抗意識が強烈に出ていたような印象だ。もちろん一番重要な比較の論点は、デカルトが「懐疑」を根本的な方法として定立させたのに対し、スピノザが「肯定」を方法として打ち出したところだろう。デカルトが外堀を埋めるような論の運びをするのに対し、スピノザは虎口から本丸まで一直線に攻め込むような論の運びを見せる。一見同じようなことを言っているところでも、中身がそうとう異なるのはなかなかおもしろい。
【個人的な研究のための備忘録】教育
思いがけず、「教育」についての言及があった。
自ら発見した探究の道筋を人々に会得させようという狙いがあるのだろうか。しかし児童教育学の優先順位はまったく下の方なので、未完の本書では展開されることがなかったのであった。何らかのカリキュラム論も残っていたらおもしろかったのにな(ちなみにデカルトにはある)。
■スピノザ/畠中尚志訳『知性改善論』岩波文庫、1968年<1931年