【要約と感想】小川正廣『書物誕生ウェルギリウス『アエネーイス』神話が語るヨーロッパ世界の原点』

【要約】多民族共存の平和な世界を志向する普遍的な発達史観を提示したという意味で、現在のヨーロッパの原点にあるのはウェルギリウスの叙事詩『アエネーイス』です。歴史の節目節目で読み返され、そのたびに新たな価値を見出されてきた古典です。
 主人公のアエネーアスは、滅亡するトロイアから脱出し、父や仲間と友に地中海を彷徨、カルタゴでは女王ディードの犠牲に衝撃を受けつつ、冥界巡りなども経て、いよいよイタリア半島に上陸、強大な敵軍の将を大激戦の末に退け、永久のローマの礎を築きました。それはウェルギリウスが時のローマ皇帝アウグストゥスへのメッセージでもありました。

【感想】ダンテ『神曲』を読み終わって詩人ウェルギリウスに興味を持ち、本当は『アエネーイス』そのものを繙くべきところ、残念ながら手近に物がなかったので、代わりに本書を手に取って読んでみて、結果としてとても満足。そのうちアエネーイス本体も手に入れて読もう。あらすじを読んだだけでも英雄譚として胸躍る物語に感じたし、加えて古典の持つパワーを己の血肉とするべき所存。
  若い頃は、文芸的には圧倒的にギリシア>ローマだと思い込んでいたが、実際にギリシア・ローマ(ラテン)の古典にそこそこ触れてた現在では、ローマ文芸のレベルがそうとう高いことが分かり、そう簡単にギリシアの方が上だと決めつけるわけにはいかないように思っている。乱暴に違いを際立たせると、ギリシア文化が結局はローカルな思索探究に留まったのに対し、ラテン文化はヘレニズムを経て普遍的な世界を志向する。ウェルギリウスやキケローは、その普遍化志向の先駆けと呼べる人物に当たるということなのだろう。そしてキケローとウェルギリウスの影響をまともに受け取めたアウグスティヌスが、多神教と一神教で形式的な立場は違えど、古代ラテン文化の最終的な総括という感じか。

【今後の研究のための備忘録】ダンテの理解
 ダンテによるウェルギリウス理解に関する記述が興味深かった。というのは、「古代/中世/ルネサンス/近代」という歴史区分概念に直接深く関わってくるからだ。

「たとえば、一四世紀初めにダンテが『神曲』の中で地獄から煉獄をへて楽園に導く人としてウェルギリウスを登場させたのは、ヨーロッパ世界が中世から近代へと生まれ変わり始めた時だった。やがて、ルネッサンスは『アエネーイス』をモデルとする民族の理想を歌った各国の叙事詩によって彩られ、そしてヨーロッパの近代化が絶対王政を出現させたときには、この古代叙事詩は君主のリーダーシップの書として盛んに読まれた。」8頁

「『神曲』の冒頭部分でダンテが「あなたがあのウェルギリウスですか」と呼びかけたその瞬間に、八〇〇年以上前に消え去った古代世界と中世以降の新しい西洋との間に橋が架けられ、やがてこの詩篇の完成とともに、古代近代は、その橋を渡るヨーロッパ国際道とも呼ぶべき文化的・精神的な太い幹線道路で結ばれたと言うことができるだろう。」p.51

 ここまでは高校の教科書にも書かれているような理解ではある。ダンテ+ペトラルカ+ボッカッチョの14世紀イタリア・ルネサンスを経て中世から近代へと突入するという教科書的理解。しかし個人的に気になっているのは、ダンテが中世に属するのか、ルネサンスに属するのかという見極めだ。教科書的には乱暴にルネサンスに属する扱いをされがちなのだが、話はそう簡単ではない。

「少なくともダンテは、西暦一三〇〇年代に生きる人間の立場から、太古よりそれまでの人類の歴史を見通して、その遠大な歴史の座標軸のうえにウェルギリウスの詩業を正確に位置づけ、そうして現在から未来にむかう歴史の方向を測定しようとした。ただし、その歴史の方向とは、中世のキリスト教徒ダンテによっては、もちろんルネッサンスの人々が描くような古代の復活・再生ではなく、最終的にイエスの再臨とともに実現する終末の世界にほかならないのであるが。」p.58

「ダンテの構想した世界の中で、ウェルギリウスはいわば自分の弱みさえさらけ出し、しだいに限界をあらわにし、最終的にしかるべき場所に配置されるのだ。そのような、言ってみれば古典詩人に対する批判と限定化は、中世の申し子である「息子」ダンテが新しい時代の詩人として成長し自律するためにはどうしても必要なプロセスであり、そして、その評価と吟味のプロセスをへることによって、ヨーロッパは初めて古代の精神を実質的に体内に吸収・同化して、近代世界へとしっかりした足取りで歩み始めるのである。」p.60

 本書は、ダンテをルネサンス人ではなく、明確に中世キリスト教徒と規定している。私も、専門家ではないから著者の厳密な考察には及ばないが、同じような感想を抱いている。ダンテは、まだルネサンスではない。おそらく同様にペトラルカも。しかしボッカッチョだけは近代に片足を突っ込んでいるかもしれない。

「こうしてダンテの徹底した鑑定をへて、ウェルギリウスの叙事詩は、地上世界のドラマとして、その後ルネッサンスから近代において再び広範に受容される下地が作られたと言える。」p.65

 しかしもちろんダンテの仕事があって、その後のルネサンスと西洋近代があるのも間違いない。あるいは、仮にダンテがいなくてもルネサンスと西洋近代が起こったとして、少なくともダンテは中世の終わりを可視化する役目は最大限果たしている。あるいは、14世紀においてフィレンツェという都市だけが異常に先を走っていたと考えるべきところか。

小川正廣『書物誕生ウェルギリウス『アエネーイス』神話が語るヨーロッパ世界の原点』岩波書店、2009年