【要約と感想】アミン・マアルーフ『アイデンティティが人を殺す』

【要約】国際紛争の原因は、アイデンティティです。人間が自分の帰属意識(=アイデンティティ)をたった一つの国家や民族や宗教のみに定めてしまうことが不幸の根底にあります。これからは、人間に複数のアイデンティティが混在していることを積極的に認めていくべきです。
 確かに急速なグローバル化は、実質的にはアメリカ化を伴うことで、世界中の人々のアイデンティティを不安に陥れています。しかし人々が普遍的な価値(人間の尊厳)を踏まえて、豊かな多様性を認めることができるようになれば、本質的には問題を解決できるはずです。

【感想】まさにロシアがウクライナに侵攻した行動原理を説明する本なのかもしれない。ロシアはウクライナに資源などの実利を求めたわけではない。地政学的に勢力圏の観点から説明できなくもないが、その点では専門家が判断を見誤っていたりする。ロシアやプーチンの行動原理は、まさにアイデンティティの観点から説明するのが、いちばんしっくりくる。だとしたら、著者が危惧していたことは、最も不幸な形で当たってしまったと言える。
 そして著者が危惧しているアイデンティティ問題は、現在いちばん目につきやすいウクライナ侵攻のみならず、我々の生活の中のあらゆるところに密かに忍び込んでいる。特に平気で「一民族一国家」などと言ってのける日本人は、アイデンティティの表現が稚拙で危ないところだらけだ。「日本人らしく」とか「男らしく」とか「高校生らしく」など、日頃から日本人が好んで使用する「○○らしく」という言葉は、表面的(コンスタティヴ)にはアイデンティティを指し示すように見せかけつつ、実際(パフォーマティヴ)には相手を自分の思い通りにコントロールしてやろうという権力志向の言葉に過ぎない。そしてその言葉に過剰に同化することで、いとも簡単に視野狭窄な排外主義に陥る。しかも現在は過剰な被害者意識を伴っているところが厄介でもある。そういう日常的に身の回りにあるアイデンティティ問題を交通整理する上でも、本書は明快な見取り図を与えてくれる。

【個人的な研究のための備忘録】アイデンティティという概念
 とはいえ、著者が用いる「アイデンティティ」という言葉の意味内容については、個人的にはそうとうな違和感がある。私が追求している「アイデンティティ」という概念とは、どうも別のものを指し示しているようなのだ。というか、世間的には、私の問題意識のほうが異端で、著者のような使用法が一般的なのだろう。(私個人の追求については、「アイデンティティとは何か?―僕が僕であるために」参照)
 まず著者は本書の中心テーマを以下のように掲げる。

「作家としていきていくうちに、私は言葉というものを慎重に扱うようになりました。往々にして、きわめて明瞭に見える言葉ほど人を欺くからです。そうした偽りの友のひとつが「アイデンティティ」という言葉です。誰もがこの語の意味するところを知っていると思っているので、この語がひそかに反対のことを意味し始めても、私たちは疑おうともしないのです。」p.16

 もうこの時点で違和感がある。著者は「誰もがこの語の意味するところを知っている」と言っているが、本当だろうか。少なくとも、日本人の多くは「アイデンティティ」という言葉の意味を説明することができないと、私は思っている。そして日本人に限らず、海外でもこの語の用法は混乱を極めていると思っている。中世スコラ学以来の伝統を持つ用法は背後に退き、エリクソン以降の心理学の影響も受けつつ、本来の意味とはまるで違う形で使用されているように見える。具体的には、もはや「パーソナリティ(人格)」とか「インディビジュアリティ(個性)」という言葉との違いが分からないようになっている。本書でも、アイデンティティという言葉をすべて「パーソナリティ」に置き換えても意味が通じる。「パーソナリティ」と「アイデンティティ」のどこがどう違うかを説明できない限り、アイデンティティという言葉の意味するところを知っているとは言えないはずだ。
 著者はさらにこう言っている。

「各人のアイデンティティは、公式の記録簿に記された諸要素以外の実に多くの要素から構成されています。」p.18
「しかし、どれひとつとしてまったく無意味というわけでもないのです。これらはどれも人格を構成する要素です。」p.18

 ここに「人格」という言葉が、アイデンティティと互換的な言葉として登場する。原語は確認していないが、おそらくフランス語でpersonnalitéなのだろう。また「要素から構成されています」という言い方も気になる。本当にアイデンティティは様々な「要素」から「構成」されているのだろうか? 個人的には、そんなわけはないと考えている。アイデンティティは、要素から構成される何かではない。が、もはや世間一般的には、日本人もそれ以外の国の人も、アイデンティティを「要素から構成されるもの」として理解しているのだろう。まあ本書にはその証拠としての価値はある。
 さらに著者はこう言う。

「各人のアイデンティティを特徴づけるのはまさにこのこと――複雑で、たったひとつしかなく、取り替えがきかず、他の誰のものとも混同されないということなのです。」p.30
「ここまでずっと、アイデンティティは数多くの帰属から作られているという事実を強調してきました。しかし、アイデンティティはひとつなのであって、私たちはこれをひとつの全体として生きているという事実も同じくらい強調しなければなりません。」p.36

 著者がここで表現しようとしているものを、人類はかつて「パーソナリティ(人格)」と呼んでいたはずだ。どうして「パーソナリティ」ではなく「アイデンティティ」という言葉を使わなければならないのか。その回答を本書に見出すことはできない。もう、「21世紀にはパーソナリティという言葉は死語になり、それが本来持っていた意味内容はアイデンティティという言葉が簒奪して、その代わりにアイデンティティという言葉が本来持っていた意味内容は消滅し、それに代わる言葉も登場していない。」と、客観的に述べるしかない状況なのかもしれない。もちろんそれは良いことでも悪いことでもなく、「単なる時代の変化」ということではある。

アミン・マアルーフ・小野正嗣訳『アイデンティティが人を殺す』ちくま学芸文庫、2019年