【要約と感想】池上俊一『フィレンツェ―比類なき文化都市の歴史』

【要約】古代ローマの植民市から出発したフィレンツェは、毛織物産業で栄え共和政が発展する「自由」の中世を経て、ルネサンスでヨーロッパの先頭を走る比類なき「美」の街になっていきますが、16世紀ヨーロッパ領域国家による領土的野心に巻き込まれて存在感を失っていきます。しかしその魅力は完全に失われたわけではなく、イタリア統一後、現代にも文化的意義を見出すことができます。

【感想】フィレンツェという一つの都市を扱う新書ながらも、エピソードが多面的・多角的で、論点が多岐に渡り、読みこなすためにけっこうな教養量を要求してくる本だった。たとえば美術に関しては、通り一遍の西洋美術史的知識(ルネサンスといえばダ・ビンチ、ミケランジェロ、ラファエロという類の)だけでは、ちょっと歯が立たない。さくっと旅行ガイドの代わりにしようなんて考えている向きにはお勧めしない。軽い本ではない。

【要検討事項】
 で、問題は、「中世とルネサンスの連続性と断続性」だ。教科書的には、ルネサンスの起点はフィレンツェの人文主義者、ダンテ、ペトラルカ、ボッカチオらの活動に求められるので、フィレンツェを扱うなら「ルネサンス」は絶対に避けて通れないテーマだ。で、本書は、中世とルネサンスの連続性を強調する立場を採っている。ダンテらの人文主義者は14世紀にいきなり登場したのではなく、それ以前の中世の活動や組織や文化が決定的に重要な背景になっているという論旨だ。中世において、毛織物産業を中心に金融や流通を発達させた経済活動と、同業組合を中心に構成された共和的な政治活動と、「家庭」および「キリスト教」を大切にする文化が背景となって、比類なきルネサンスを可能にするための力が蓄えられていく。なるほど、だ。
 で、教育屋の私にしてみれば、経済活動を背景にした識字率の向上と教育への関心は、極めて重要な論点だ。本書は、中世フィレンツェにおいて、圧倒的な経済活動を背景にして教育・文化活動が興隆し、それを前提にルネサンスが花開く様子を描いている。思い返せば、日本の江戸時代中期に庶民文化が一挙に花開くのも、圧倒的な平和を前提にした経済活動の興隆と、それを背景として向上する識字率、教育への関心が決定的な要因となっている。中世とルネサンスが「連続」するという論旨には、なるほど、頷きたくなる。
 しかし一方で、個人的に常々疑っているのは、中世とルネサンスの連続性というよりは、ルネサンスと近代の連続性だ。フィレンツェのルネサンスが近代にそのまま繋がっていかないように見えてしまうのは、16世紀以降の存在感がなさすぎるせいでもある。それは単に共和政が失われたという政治的な事情だけではなく、新大陸発見以降、大航海時代(あるいは絶対王政の時代)の地政学から取り残されたという経済的な事情のほうが大きいように思える。で、近代を実質的に用意していくのは「印刷術」に媒介された識字文化・出版文化(具体的にはエラスムスやルター)であって、フィレンツェ人文主義(ダンテ、ペトラルカ、ボッカチオ)のような「印刷術以前」の活動は、近代とはまだ隔絶していると考えるほうがよいのではないか、というところ。というか、14世紀~15世紀前半は「フィレンツェ(あるいはイタリア)だけおかしかった」ということで、それをヨーロッパ全体へと一般化するのは無理ではないか。で、フィレンツェだけおかしかった(ルネサンスした)要因が金融を伴った広範囲の商業活動と共和政だとすると、ヨーロッパ全体がおかしくなる(近代化した)のは何故なんだ、やっぱり印刷術が決定的な要因じゃないか。とすれば、ルネサンスはフィレンツェ(イタリア)だけに特有の現象で、ヨーロッパ近代とは別のものと考えようという話になってくる。
 まあ歴史は複合的な要因で動いていくわけで、フィレンツェ(イタリア)のルネサンスが西洋近代を準備した極めて重要な要素であることは間違いないわけだが、それをどう相対化し全体のストーリーに位置付けるか。しかしまあ、やはりまずはダンテ、ペトラルカ、ボッカチオを読まないと話にならない。改めて自分の勉強不足を痛感する本なのであった。

【今後の研究のための備忘録】
 子どもへの愛着というエピソードは、アリエス『子供の誕生』の理屈に対する明らかな反例として記憶しておきたい。

「死亡率が高く平均寿命さえ三五歳前後のこの時代、家系の存続と発展のために、嫁入りした女性には多くの子を産むことが望まれた。そして母を中心に、子供たちを大切に育てようとする気持ちが商人家系の記録からは垣間見える。(中略)そして現在まで伝わっている商人の覚書や書簡には、子供への愛情を面々と吐露しているものがあるし、実子に加えて養子を引き受けて家庭をさらに賑やかにするケースも多く、それは一種の美徳行為とされた。」pp.123-124

 明らかにアリエスの主張を否定する史料だ。が、注意したいのは、言及しているのが「商人」で、農民ではないというところだろう。日本で子どもを大事にし始めるのは江戸時代中期以降のことだが、やはり商品作物の生産と流通の増大を背景にしている。「子どもを大事にする」という心性や振る舞いが「商人」の生活様式と何かしらの親和性を持っていることを疑ってもよいところかどうか。

池上俊一『フィレンツェ―比類なき文化都市の歴史』岩波新書、2018年