【要約と感想】マイケル・ローゼン『尊厳―その歴史と意味』

【要約】「尊厳」という言葉の歴史を辿り、具体的な場面でどのように使われているか分析を施したうえで、哲学的な知見と手法で深堀りします。
 言語分析的には、「尊厳」という言葉は3つないし4つの場面で使われています。すなわち、(1)地位としての尊厳(2)本質としての尊厳(3)態度としての尊厳(4)敬意の表現、の4つです。それぞれ意味内容はズレています。
 そして歴史的なルーツを紐解くと、カトリック思想とカント哲学が大きな柱として浮かび上がってきますが、お互いに両立せず、矛盾するものです。カトリック思想をルーツとした「尊厳」は、「地位としての尊厳」の発想を土台にしていて、近代人権思想とは実は相容れない要素を多く含んでいます。いちおう第二次世界大戦後には、カトリック側の考え方が柔軟に変化しています。いっぽう、カント倫理学思想における「尊厳」についても、現実的にドイツ連邦共和国基本法の原理に決定的な影響を与えていることもあり、数多くの研究が行われてきましたが、それらの解釈(主意主義や人間主義)にはいろいろ問題が見受けられます。特に、原理的には理屈を理解できるとしても、その理屈を現実に適用しようとしたときに、大きな問題が生じます。
 それらの議論を踏まえて、特に死者や胎児に対する「尊厳」というものを具体的に視野に入れて考えてみると、やはり「尊厳」とは、具体的な表現形態が時代や文化によって異なることは確かであるとしても、私たちが人間であるうえで決定的に大切な何か、もはや私の一部になっている義務のようなものであることは疑えません。

【感想】ああでもないこうでもないと、あっちにいったりこっちにいったり、論点はすっきり整理されているわけでもなく、議論の行程には散漫な印象を受け、そしてそれは英米系哲学によく見られるものでもあるが、しかし、むしろこのテーマに対して敬意を持って手続きを尽くそうとする著者の誠実な態度を強く感じた。言いたいことはよくわかる。良い本だった。勉強になった。
 本書は「尊厳」という言葉を対象として議論を進めているが、同じような議論はたとえば「良心」という言葉を対象にしても成り立つような気もする。「良心」という言葉も現実的にはさまざまな場面で多様な用いられ方をして、意味内容も拡散しているが、間違いなく宗教的・哲学的なルーツを持ち、人間について何か大切なことを言い当てるような言葉だ。そしてその「大切な何か」は最終的には「人格」という言葉の中に収斂してくることになる。本書にもやたらと「人格」という言葉が登場する所以である。個人的には「尊厳とは人格の属性である」と一言でまとめたくなるが、乱暴だろうか。
 またあるいは、この理解の先に生じてくるのが、中世的には「共通善」と呼ばれる概念であり、近代的には「公共」という領域に関する議論となるだろう。本書は「尊厳」を最終的に「それがなければ、私たちは人として成り立たなくなってしまう」という地点で理解しているが、その具体的な中身が中世的には「共通善」であり、自由主義・民主主義には「公共」と呼ばれる領域として立ち上がってくるだろう。本書の射程はここまで伸びていないが、特に問題ということではない。

【要検討事項】ちなみに日本国語大辞典によれば、「尊厳」の用例は日本近世にも中国古典にもある。おそらくdignityの翻訳者が漢籍に詳しかったのだろう。誰が翻訳したか特定してみたいものだ。ちなみに近代では、坪内逍遙と若松賤子が例示されていた。

【今後の個人的研究のための備忘録】
 カトリックの思想的転回のキーパーソンとして名前が挙げられていたジャック・マリタンが、気になった。

「カトリック思想は、どの時点で、自由主義と民主主義について曖昧な態度をとらなくなり、社会的、政治的な平等を伴う人間の尊厳の考え方を受け入れるようになったのだろうか。確実なことを言うのは非常に難しい。とりわけ、カトリックは自らの教えが聖書の啓示と時間を超越した自然法則の権威を体現していると公に主張している組織なので、考えを変えたことを認めるのを明らかに嫌がっているからである。私は、第二次世界大戦が分岐点だったと考えている。世界人権宣言(とりわけカトリックの思想家ジャック・マリタンを通じて)とドイツ連邦共和国基本法に対するカトリックの影響は、間違いなく重大であった。両文書において、尊厳には非常に際立った地位が与えられ、侵すことのできない人権の観念と結びつけられたのである。」pp.69-70

 というのは、教育基本法制定時に文部大臣として尽力し、特に第一条の「教育の目的は人格の完成」という条文にこだわったカトリック主義者が田中耕太郎なわけだが、その田中耕太郎が戦前からジャック・マリタンと交流があったことが研究で明らかになっているからだ。先行研究が示す通りマリタンの人格理論が田中耕太郎に影響を与えているのが事実とするならば、もちろん「尊厳」の概念が影響を与えていないわけがない。特に、「人格」という言葉だけなら大正人格主義の影響を考慮するだけで事足りる一方で、「目的」とか「完成」という言葉について深く考えようとしたときにはどうしてもカトリックの思想に手を突っ込む必要が出てくる。そしてもちろんマリタンの背後には、トマス・アクィナスがいる。そんなわけで、教育基本法第一条「人格の完成」について深く考えるためには、改めてマリタンにチャレンジする必要を感じたのであった。

マイケル・ローゼン/内尾太一・峯陽一訳『尊厳―その歴史と意味』岩波新書、2021年