【感想】江戸東京博物館「縄文2021―東京に生きた縄文人―」

 江戸東京博物館で開催された特別展「縄文2021―東京に生きた縄文人―」を観覧してきました。

 江戸東京博物館はたいへん見ごたえのある素晴らしい博物館ではあるのですが、いかんせん名前のとおり「江戸」と「東京」に特化した博物館で、中世の「武蔵の国」およびそれ以前の関東の様子は常設展でまったく扱っておりません。もちろんかつての東京の縄文時代については一切触れておりません。それはもちろんそうしたくてそうしたというより、予算等の都合でそうなっただろうことは想像に難くありません。そういう観点からすれば、この特別展「縄文2021」は江戸東京博物館としてもある種の感慨を込めて開催したものであるように推察するところです。

 さて、東京の縄文時代の決定的な特徴は、なんといっても「縄文海進」です。縄文時代は今よりも温暖で、南極や北極の氷が少ないため、海面全体がかなり高く、日本列島で現在陸地になっている多くの部分が海に沈んでおりました。特に現在関東平野として知られている地域には、ずいぶん奥地まで海が入り込んでいました。その結果、埼玉県にまで貝塚を見出すことができます。東京にも大規模な貝塚がたくさんありました。
 ちなみに貝塚は、一般的には「単なるゴミ捨て場」と認識されているようではありますが、実際はそんなものではなかったでしょう。仮にゴミ捨て場であるとすれば、貝殻以外にも他にいろいろなもの(動物や魚の骨など)が見られるはずですが、そういう気配はありません。だとすれば、貝塚は「貝だけを意図的に集めて加工していた場所」の痕跡ということになるはずです。そして仮にそうだとすれば、私の推測では、それは「出汁」の制作場だっただろうと思います。というのは、縄文時代にドングリなど木の実を煮炊きしていたことが知られていますが、単に木の実を煮炊きしたところで美味しく食べられるはずがありません。が、ここに「貝の出汁」を加えることで、圧倒的に美味しい料理になるわけです。
 で、本展示でも、貝塚が単なるゴミ捨て場ではないだろうことがしっかり解説パネルに書いてあって、我が意を得たのでありました。

 しかしガッカリしたのは、縄文時代の村落の復元ミニチュアで、竪穴式住居が藁葺きで再現されていたことです。縄文時代の竪穴式住居は一般的にも藁葺きで再現されることが多いのですが、いやいや、そんなわけはないだろうと。たとえばそれが弥生時代以降、農耕文化が根付いた時代であれば藁葺きにも説得力があるのですが、未だに農耕が始まっていない縄文時代に藁葺きは考えられません。そもそも今に至るまで、竪穴式住居が藁で吹かれていたという証拠は見つかっていません。
 そして縄文時代は、圧倒的な「土の文化」の時代です。世界に類を見ない独特な造形の火炎式土器や亀ヶ岡式土偶など、縄文時代は独特の「土の文化」を花開かせています。だとしたら、住居だけそれから外れていると想定する道理はありません。竪穴式住居だって、おそらく「土の文化」を見事に反映した造形になっていたでしょう。私個人の意見では、竪穴式住居は土葺きです。そのほうが、縄文時代全体の様式と整合します。
 ただ安心したのは、図録に収録されていた専門家の対談と、「竪穴住居復元プロセス」では、しっかり土葺きになっていたことでした。おそらく専門家レベルでは「竪穴式住居は土葺き」ということで問題なかったのが、一般展示になるところで何らかの変な圧力がかかって藁葺きになったのだろうと邪推するところです。
 一般に縄文の竪穴式住居を藁葺きだと思い込んでしまうのは、おそらく、現在知られている日本文化のテンプレートを縄文時代にまで遡って当てはめてしまうからです。具体的には現在みられる神社様式を竪穴式住居にも投影してしまうわけです。「日本文化が一貫して続いている」という無意識が働いています。しかしやはり農耕が始まって以降、特に青銅器や鉄器が入ってきてからの生活様式と、それ以前の生活様式は、まったく質が違っています。「戦争が始まった」という事情も決定的に大きいでしょう。現在の日本文化テンプレートを縄文時代にまで遡って適用してしまう心性には、つくづく用心しなければなりません。同じ事情は、古墳時代にも当てはまります。文字がなく、仏教との接触もなかった時代に対して、現在の日本文化テンプレートを当てはめると、おそらく根本的な勘違いを招くことになります。
 そんなわけで、縄文時代の竪穴式住居を「あえて土葺きで再現する」ことは、我々の無意識の歴史認識を暴き出していく良い実践だと思うので、各地でどんどんやっていただきたいわけです。それは日本文化テンプレートに対する無反省な思い込みそのものを相対化する実践にもなります。歴史的に真実かどうかも重要ですが、教育的にも大きな意味があります。本展示の復元模型で藁葺きだったことにガッカリしたのは、私個人のそういう歴史文化教育観のせいでありました。
(2021年12/5観覧)