【要約と感想】S.A.クーパー『はじめてのアウグスティヌス』

【要約】アウグスティヌスの生涯について、『告白』の摘要紹介と、それに対して最新の研究を踏まえたコメントを加えることで、分かりやすく解説しています。

【感想】『告白』という本は、アウグスティヌスが修辞学の高度な専門家だったことからか極めて凝った言い回しが多く、また文脈に即した聖書からの引用が頻繁にあったりして、文体に慣れていないと何が言いたいかよく分からなかったりする。本書は、そういう修辞学的に凝った部分をスパッと切り落として『告白』という本の概要を分かりやすく再構成している上に、最新の研究成果を踏まえて多角的な視点から解説を加えている。『告白』の原典そのものに挫折した方も、こちらなら読めるかもしれない。アウグスティヌスの伝記的知識を一通り押さえておきたい向きにはお勧めの本になる。
 が、アウグスティヌスの他の著作(たとえば主著『神の国』)や『告白』の後半部に関する言及はそれほど厚くないので、思想の全貌を大掴みしたい場合は、他の概説書も併せて見ておくのがよいかもしれない。

【個人的な研究のための備忘録】
 「一」に関するコメントがあった。

「アウグスティヌスは、人間についての深い理解をもたらしている。自己は、徹底して社会的なものだとはいえ、個人は、神との関係のうちに、肯定的であれ否定的であれ、取り返しのつかない仕方で巻き込まれるのである。その内的な空間、その主観性において、人間の自己は、自らが経験を構成する時間の一瞬一瞬のうちにばらばらにされているのを見出している。それゆえに、私たちは決して完全ではないという感覚につきまとわれているのだ。実際、人間の自己はそれ自体としては不完全である。そして、そこに神が入ってくる――いやむしろ、神は常にそこにいる。なぜなら、そのようにして神は「存在する」のであり、いつもそうなのだ。自身の一体性を欠いている人間の自己は、神の一体性から見たときにのみ、その一体性を見出すことができる。そして、神の一体性――アウグスティヌスが、自らの回心と司教としての生活のうちに発見した――は、人間的な形で人間存在に手に入れることが可能になる。はじめは、キリストにおいて、つぎは教会においてである。というのも、教会は、キリスト教的な実存の社会的な「内在」であり、私たちの救いを実現するための空間なのだから。」pp.300-301

 個人的な感想を言えば、大雑把にはそうだろうとしても、雑なところが多い見解のようには思う。本当にこれでいいのかどうか。まあ察するに、著者としても詳しく見解を述べようとすればいくらでも言いたいことがあるところで、単に入門書に簡潔にまとめようときにこういう表現に縮減せざるをえなかったということだろうけれど。

S.A.クーパー『はじめてのアウグスティヌス』上村直樹訳、教文館、2012年