【岡山県備前市】閑谷学校は庶民にも開かれた教育施設

岡山県備前市にある閑谷学校に行ってきました。全国に62しかない特別史跡の一つに指定されています。講堂は国宝に指定されています。というのも、教育史的に非常にユニークな場所だからです。

まず見えてくるのが「校門」です。左右の花頭窓がオシャレ。秋になると楷の木が見事に色づいて、観光客が押し寄せます。

扁額には「閑谷学校」とありますが、個人的には「閑谷學校」となっていないのが気にかかるところです。

駐車場に案内パネルがあり、かなり詳しい説明がされています。教育史の知識がないと内容が理解できないような気もします。

高山彦九郞や頼山陽、菅茶三や横井小楠などが訪れたり、幕末維新の混乱期には山田方谷が再興するなど、単なるローカルな庶民学校ではなかった重要な施設であることが伺えます。

国宝に指定されている講堂。オレンジ色の瓦が新緑に映えて独特の景観を醸し出しています。気品があります。中に入れるのが嬉しいですね。

講堂内はとても静かで落ち着いていて、ここで読書をしたらさぞ捗りそうな感じがするところでした。

儒教の施設なので、「大成殿」=「聖廟」があります。孔子が祀られており、単なる教育施設ではなく宗教施設でもあります。

というか、「教育」の「教」は「宗教」の「教」であって、教育と宗教は切っても切れない関係にあるものです。教育と宗教の関係が疎遠になったのは、近代以降(具体的にはヨーロッパではフランス革命以降、日本では明治維新以降)、教育がeducationではなくinstructionを重視するようになってからのことです。

敷地内にはもう一つの宗教施設「閑谷神社」(創設時は「芳烈祠」と呼ばれていた)があります。閑谷学校を創設した岡山藩主・池田光政が祀られています。

池田光政は江戸時代初期の藩主にしては極めて珍しく教育に熱心で、熊沢蕃山を招いて藩士のための教育機関「花畠教場」(1641年。後に公的な岡山藩藩学へ発展)を作った後、1667年には藩内123個所に庶民のための手習所を作る一方、閑谷学校の設置にも着手します。手習所は1675年に閑谷学校に統合され、閑谷学校は庶民にも開かれた藩立の教育機関となります。日本史上他に類を見ない、たいへん画期的な仕事です。
ちなみに鵜殿氏の庶流は池田家初代輝政に仕え、鳥取藩池田家の家老を務めております。光政とも関わりがあったと思われますが、詳しいことは分かりません。

講堂から少し坂を登ったところに資料館があります。

もともと「学房」と呼ばれる寄宿舎があったところですが、明治維新後に近代学校が作られました。建物は明治38年当時物のもので、これ自体がとても貴重です。
展示もたいへん充実しておりまして、閑谷学校に関わる史料のほか、日本の近代教育についてもよく分かる内容でした。

全体的に非常に雰囲気のいい場所なのですが、印象に残ったのは「石塀」です。

頭頂部をまるく削られた石塀が長々と続く光景は、他では見られないもののように思います。

訪れたときはあいにくの大雨だったので、今度は晴れたときにまた行こう。(2013年9月訪問)