【埼玉県行田市】お墓の麓にお墓の墓場があった

さきたま古墳群を見学していたら、鉄砲山古墳の麓で不思議な光景に出くわしたのです。墓石が大量に廃棄されています。

これから使う石材ではなく、これまで使用されていた墓石のように見えます。墓碑銘等は削られているようですので、墓石を破壊したのでしょう。

お墓用の花入れのようなものも廃棄されています。
お墓じまいで不要になった墓石を廃棄する様子を伝える報道番組を見たことがあるので、まあなんとなく事情には察しがつくところではありますが、それにしても古墳の麓にお墓の墓場があるとは。

お隣の中の山古墳の周囲にも、気になる後景が。墓石が土に埋まっています。

おそらく意図的に埋めたのではなく、長い時間が経つ間に土が滞積し、自然に埋まっていったのでしょう。古代のお墓よりも先に、近世のお墓の方が先に見えなくなりそうです。

一説では、かつて日本国内に古墳が16万基あったとのことです。そんな隆盛を誇った古墳が、7世紀にぱたっと作られなくなりました。外国から仏教が伝来して、古墳が時代遅れになったわけです。大陸からやってきた「お寺」の方が圧倒的にインターナショナルでカッコよく、日本古来のダサい古墳は誰も顧みなくなりました。スタバが上陸したら、みんなそっちに行くよね、ということでしょう。

振り返ると半壊した民家。その手前に小さな社。

小さな社越しに、中の山古墳が聳えています。この景色を見ながら、教育というものの歴史的な変化にふと思いが至りました。

いま、日本全国に小中学校が約3万校、高校が約5000校、大学が780校あまり存在しています。16万基あった古墳がある歴史的時点で完全に顧みられなくなった事実を思うと、たかだか150年程度の歴史しか持たない現在の学校という形がある歴史的時点で完全に役割を終えて消滅したとしても、まったく不思議ではないし、問題もないだろうと思ったのでした。そのうちのいくつかは、16万基あった古墳のうちのごくごく僅かな一部を私たちが興味深く眺めているように、未来の人々が興味深く眺めることになるでしょう。何年後のことかは分かりませんが。