【感想】画家が見たこども展(三菱一号館美術館)

三菱一号館美術館で開催されている「画家が見たこども展」を見てきました。ナビ派の画家(19世紀末から20世紀初頭にフランスで活躍したグループ)が描いた「子どもの絵」を中心とした企画展です。

教育学者という職業柄、「子どもの絵」と聞くと、どうしてもフィリップ・アリエスの研究を思い浮かべてしまいます。子どもに対する視線が、近代になってから決定的に変化したという話です。著書『〈子供〉の誕生』の表紙は、ブリューゲルが描いた「子どもの遊戯」でした。さて、この展覧会で扱う作品は19世紀から20世紀への変わり目、まさにエレン・ケイが『児童の世紀』を上梓して、人々が子どもに注視し始めた時代と重なります。
そういう教育学研究者視点を以て観覧に臨んだわけですが。まあ、正直言って、ポイントを掴み損ねた感じがします。よく分かりませんでした。
全体的な印象は、「あまり可愛くないなあ」というところです。岸田劉生「麗子」の可愛くなさともイメージがダブります。(岸田劉生とは、時代的にも微妙にカブっていますかね)。後ろ向きや横向きの絵も多く、焦点を合わせにくい感じもありました。まあ、あまり居心地は良くありません。ひょっとしたら、そういう掴み所のない、得体の知れない感じというものこそ重要ということなのかもしれません。

撮影OKのパネルがあったので。

「PETITS ANGES(可愛い天使たち)」と題された版画です。警察官が貧しい身なりの男を連行していく周りに子どもたちが集まって囃し立てている情景です。さすがに展覧会イチオシの絵に選ばれているだけあって、「居心地の悪さ」を端的に言語化するきっかけを与えてくれます。やはり不気味さを感じたのは、「学校化されたブルジョワの子どもばかり」というところだったのでしょう。同時期のヨーロッパでは、急激に資本主義が展開する過程で、まだまだ酷い児童労働が横行していました。解説等で「無垢」という言葉を見るたびに身を捩りたくなるような違和感を覚えざるを得なかったわけですが、そういう「人工的に作られたブルジョワ的な無垢」というものへの違和感をこの版画は表現してしまったのかもしれません。

まあ、居心地の悪さを体感すること自体は、悪い経験ではありません。これまで縁がなかった価値観に触れるチャンスだったということです。「子ども」という主題でなければナビ派の展覧会に興味を持つこともなかったでしょうから、これを機会に私自身の感受性や世界が広がればいいかなというところです。