【教育学でポン!?】2020年5月20日

夏の甲子園、中止になりましたか。1969年の東大入試中止からはいくつかの優れた文学作品が生まれましたが、2020年の甲子園中止は何をもたらすことになるでしょう。

9月始業制度

出口治明氏「9月入学は幹と枝葉を峻別して考えなくてはいけない」(FNN PRIME)

記事のタイトルよりも視野と射程距離のスケールが大きい内容でした。視野と射程距離が広すぎて、ついていけない人がコメント欄にたくさんいるようですが。

文科省が「小学0年生」導入を検討 SNSでは「幼保の時間を奪わないで」「議論が不十分」などの声(ねとらぼ)

なんというか、4月入学だろうが9月入学だろうが、6歳全員を一斉に教えるという現状の制度自体がそもそもとても不自然だということに、みんな気づいた上で、議論してください。

コロナ禍で沸き起こった「9月入学」は不要! 識者ら指摘(デイリー新潮)

まあ不要だという意見はいいとして、「失われた二ヶ月」の帳尻の合わせ方に関しては、現場の先生に押しつける以外の方策は誰も持ち合わせていない感じですね。

オンライン授業

夜回り先生がリモート授業に苦言「これが授業なのか」…問われる「教員の良心」、中止して支援を

気持ちは分からないでもありません。しかし、「良心」の問題では、まったくありません。「技術」の問題です。問題を「心」にすり替えては、解決するものも解決しません。自分の意見に反対する人に対して「良心がない」とレッテルを貼ってオシマイになりますから。
「校舎や教室」が必要だと思ってしまうのは、個人的な感傷に過ぎない可能性があります。人類の長い歴史の大半においては、必要がありませんでした。今後、必要がなくなる可能性はかなり高いでしょう。

公立校で進まない休校中のオンライン指導 「子どもを孤独にさせない」立ち上がる教師たち(AERA dot.)

お役所の前例主義が最大のボトルネックかと。やれるところから始めればいいのに。

【小島慶子】息子と話して見えてきた「オンライン授業の大きな課題」とは(ミモレ)

なるほど。確かに家庭以外の「居場所」は大切ですが、それが「学校」である必然性は不明ではあります。「若者宿」ではいけないのか、など。

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