【兵庫県神戸市北区】有馬温泉は日本最古の温泉なのか?

有馬温泉に浸かってきました。金の湯も銀の湯も、とてもいいお湯でした。

ついでに、「日本最古の温泉」という触れ込みですので、温泉街を歩きながら由来を確かめてみましょう。

念仏寺前の「ねがいの庭」に行基の銅像が立っていました。

銅像の脇に温泉の歴史を記したパネルが設置されており、これを読めば、どうして行基なのかの理由も分かります。

なるほど、行基が温泉寺を開いたことがきっかけで有名になったということですね。パネルにはありませんが、伝承では、山崩れで埋まってしまった源泉を、行基が薬師如来のお告げによって復興させたとされています。
まあ、信頼できる史料は存在せず、本当かどうかは確かめることはできません。行基が開いたという温泉は日本各地に存在し、どこもだいたい伝承に留まっているので、ここも行基にあやかっているだけの可能性はけっこうあります。
とはいえ、何もモトネタのない話が残されることも考えにくく、伝承の土台となった出来事は何かしら存在しているのでしょう。山崩れで埋まってしまった源泉を、土木技術に精通していた僧侶が掘り起こしたという出来事はあったのかもしれません。

また、オオナムチ(オオクニヌシ)とスクナビコナが発見したとも記されていますが、これは日本全国の多くの温泉に共通に見られる伝承で、特に信じるべき理由はありません。
とはいえ、これもモトネタになる出来事が完全になかったということではないかもしれません。注意したいのは、有馬のみならず日本全国の温泉発見に関わった神が、アマテラスに連なるヤマト系の神ではなく、イズモに連なる神々だということです。出雲の人々が温泉開削なども含めた土木工事に精通していたことの象徴かもしれません。そこで気になるのが渡来系の人々の動きですが、まあ、史料がないので確かなことは何も分かりません。

一方、日本書紀に記録されている記事は、かなり信憑性が高くなります。パネルに記されている通り、舒明天皇や孝徳天皇が訪れたのは確かなのでしょう。舒明天皇は聖徳太子の父親、孝徳天皇は大化の改新の影の主役として知られていますね。いい加減な行基伝説に頼るまでもなく、立派な史料があるのですから、舒明天皇や孝徳天皇ゆかりということではダメなのでしょうか?
しかし愛媛の道後温泉も、舒明天皇や、さらに前の天皇も訪れていると主張しているので、これを以て有馬温泉が「日本最古」とは主張しにくいところでもあります。多めに見積もって「日本最古と言われているうちの一つ」ということになりますかね。

さて、行基が開山したという温泉寺に行きます。

温泉寺にも説明パネルがあります。

やはり行基が開基ということになっていますが、鎌倉時代に仁西上人が再興したとありますね。有馬温泉の伝承では、この仁西上人が平家の落人を祖とする木地師を従えてやってきて、荒れていた有馬温泉を再興したとも言われています。仁西上人は熊野三山ゆかりの僧ということなので、山岳修験道との繋がりもありそうです。この仁西上人の話は、なかなかリアルです。

ところで気になるのは、パネルの中に「明治維新の神仏分離以後衰微、清涼院以外の寺院は廃絶」と書いてあるところです。明治維新までの有馬盆地には、仁西上人ゆかりの十二坊が立ち並ぶ宗教都市が栄えていただろうことが伺えます。

温泉寺の隣にある「太閤の湯殿館」には、かつて豊臣秀吉が作らせた「湯山館」がありました。

現在も石垣を確認することができます。

案内パネルによると「秀吉の活躍した」時代の「野面積」ということにされていますが、秀吉が有馬に至る頃には野面積みよりも進化した打ち込みハギや切り込みハギの石垣技術が登場していますので、この案内パネルの記述は相当に微妙です。
秀吉が有馬逗留のために文禄3(1594)年に湯山館を作ったのが事実だとしても、その前になにかしらの中世城塞的な施設が当地にあった可能性が臭います。

そんなことを考えていると、猫が。

いいポジションを確保しましたね。

温泉寺の背後の山には、湯泉神社があります。

案内パネルによれば、オオナムチとスクナビコナが祀られています。

拝殿に掲げられた「湯泉神社御由緒略記」の記述は、なかなか興味深いです。

崇神天皇の時代に「神戸」が設けられたと書いてありますね。出典はなんでしょうか。
崇神天皇は形式上は第10代ですが、歴史学においては実在の可能性が高い最初の天皇と考えられています。その天皇の代に「神戸=神社の祭祀を維持するために神社に付属した民戸」が設けられた以上は、その根拠となる神社が存在していたことになるわけです。
ただし、「神戸」自体は大化の改新以後の呼び方になるので、直ちにこの記述を信頼するわけにはいきません。

また、仁西上人から熊野の影響が加わったことや、中世「神仏習合」や明治維新期「廃仏毀釈」にも触れられています。湯泉神社は真言宗の僧侶が治め、同時に温泉寺の別当になっていたことが分かります。

豊臣秀吉ゆかりの湯山館のすぐ東隣には「銀の湯」があります。

銀の湯は透明の炭酸温泉です。
平日の夜7:00頃行ったところ、客は私一人だけで、湯船をひとり占めでした。たいへん気分が良かったです。

いっぽう、鉄分を多く含んだ褐色の「金の湯」は、建物が工事中でした。

が、お湯に浸かることはできました。すごく熱いです。朝7:30頃に行ったところ、既にご老人たちが思い思いのだらしない格好で湯船を占領していたので、私は隅っこの方に体育座りをして浸かりました。

神戸電鉄有馬温泉駅近くの交差点脇に、太閤秀吉の像が鎮座しています。

太閤像から少し坂を登ると、秀吉正妻の寧々の像があります。

オオナムチや行基は日本全国多くの温泉に共通に伝わる話なので、有馬独特の個性を打ち出そうとすると、やはり太閤秀吉しかないということになるのでしょう。
そんなわけで、「日本最古」かどうかはよく分からなかったのですが、温泉が素晴らしいことには間違いないのでした。
(2016年3/25訪問)
(2019年8/31訪問 このときは六甲からロープウェイで来たかったけれども強風のために運行中止)

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