【兵庫県伊丹市】有岡城本丸は伊丹駅から徒歩0分

有岡城は、JR福知山線伊丹駅西口を降りてすぐのところにあります。というか、伊丹駅を作るために有岡城本丸の東半分が破壊されてしまったといった方が正確でしょうか。
自然の地形によって交通の要衝となっているところに城が築かれるわけですが、もちろん鉄道を引くときにも交通の要衝を通らざるを得ないので、城跡となっているところは線路が引かれやすいところでもあります。長篠城や鉢形城など、城の中を線路が突っ切っているところはたくさんありますが、地形を考えれば当然であるとも言えます。

さて駅徒歩0分の史跡には、虎口らしきものが残されていて、有岡城を示す石碑も立っています。

ほんの少しだけ、石垣も残されています。

礎石建物や井戸の跡も残っています。

まあ、残っているものだけ見れば、たいしたことないように思えてしまうわけですけれども。

しかし実際は、もともとの有岡城は極めて広大な城でした。当時では珍しい「総構」だったようです。
駅の東の方には川を挟んでイオンモールがあるのですが、そこに辿り着くまでの橋の上から見ると、川面から本丸まで相当の比高差があって、当時は天然の要害であっただろうことが伺えます。

有岡城主の荒木村重は、もともと織田信長の部下で摂津方面攻略の主軸でしたが、天正6(1578)年に謀反を起こし、一年近くも立て籠もって対抗します。信長の攻撃を一年耐えるというのは、なかなかの堅城です。

まあ信長包囲網で毛利家や石山本願寺のプレッシャーがあって、信長としても村重だけを相手にするわけにはいかなかったという事情もありますが。
村重の説得に訪れた黒田官兵衛が一年間幽閉されたのは、2014年度のNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』でも描かれて有名なエピソードですね。落城後の村重親族の悲惨な最期も印象的でした。村重自身は、本能寺の変で信長が死んだ後も生きながらえるという。明智光秀も説得に訪れているので、2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』でも有岡城が描かれるでしょうか。

さて、戦国末期には有岡城は破棄されます。太平の江戸時代、伊丹は近衛家の領地となり、酒造りで栄えたとのことです。尼子の忠臣として高名を馳せた山中鹿之助の長男・直文が伊丹に落ち延びて清酒開発に成功し、鴻池財閥の祖となったとか。これもなかなか凄い話です。

大名の居城や天領(幕府直轄地)は地域の政治経済の中心として個性を強めていきますが、こういう公家や寺社の領地、あるいは一万石以下の旗本・御家人の領地は、なかなかこれといった個性が出にくいように思います。そんななか、伊丹は経済的にうまくやったような印象です。
(2013年8/26訪問)