「試験」というものを考察するときは、「妥当性」と「信頼性」という観点を押さえているかいないかで、論理的な説得力が決定的に違ってくるのです。
教育全般
■センター試験採点、実はマークを目視で確認していた 「公平・公正」貫いた財産とは?(AERA dot.)
公平とか公正は確かに大事ですが、あんなに短い時間と異常な空間でパフォーマンスを発揮するように要求すること自体、「試験」として本質的に間違っている可能性があるという視点を持った方がいいだろうと思います。また、入試の「資格試験化」に触れたのは良いことですが、残念ながら視野が狭い話に留まっているように思います。
■日本の15歳、読解力低下 「論理」を学び、「文学」も楽しめる教材とは(EduA)
「論理」を前面に打ち出しているわりには論理性の欠けた、不思議な文章でした。新聞で「文学」が楽しめる理由が書いてありません。
■「子どもたちにプログラミング体験を」 地域のボランティアが支えるプログラミング道場(AERA dot.)
学習指導要領の目指す「プログラミング教育」とは、まったく趣旨が違っています。まあ、それとは別に、子どもが楽しくコーディングを学ぶ機会が与えられることは良いことなのでしょう。ちなみに私は小学生の時に『はるみのプログラミングレッスン(PC-8001)』でコーディングを修得し、機械語(Z80)を使用できるようになりました。
■小中一貫なのに進学できない事態に 定員大幅に減って一部抽選に(沖縄タイムス)
こんなことが起きちゃうんですね。専門家として、この事例はしっかり覚えておきたいと思います。
まあ教育基本法違反と言うまでもなく、統計学的に考えてみれば、悉皆方式にまったく意味がないんですよね。ちょっと考えれば分かるはずなのに止まらないということは、お金が絡んでる臭いがしますです、はい。
■スポーツも五輪も所詮は「国の支配」。池田教授が繙く運動の歴史(MAG2NEWS)
まあ、おっしゃる通りですね。
■なぜ「体操」は子どもの集中力や判断力を高めるのか(DIAMOND ONLINE)
まあ、仮説ですね。