【要約と感想】柳父章『翻訳語成立事情』

【要約】翻訳とは、外国語の言葉の意味をそのまま日本語に移し替えることではありません。翻訳語は、日本固有の言葉の体系に組み込まれる過程で、新たな機能と役割を持ちます。それは、意味は分からないけど何か重要なことを言っているような雰囲気を醸し出すことです。
江戸から明治に切り替わるとき、日本固有の文化になかった概念がヨーロッパから大量にもたらされました。ヨーロッパ固有の概念をどのように日本語で表現するのか、先哲の様々な工夫と葛藤を追いながら、日本語そのものの変化を明らかにします。

【感想】とんでもない名著だと思っている。近代史を囓る人は必ず読むべき本だと思う。通読したのは今回で3回目だが、読むたびに新たな発見がある。おそらく私自身が成長して、別の視角から内容理解ができるようになっているのだと思う。もう40年近く前の本だが、決して古くなっていない。

以前は、前近代から近代への移行を端的に象徴する「社会」とか「個人」という言葉に興味があったわけだが、今回読んでみて、「存在」とか「自然」とか「彼、彼女」という言葉も実に味わい深いことが分かった。日本固有の言葉のセンスに意味内容が引っぱられていく過程がよく理解できた気がする。

これからも繰り返し読んでいきたい本だ。自宅にあった岩波新書の大半は捨てた(図書館で読めるから)が、この本はしっかり残っているのであった。

【個人的な研究のための備忘録】
含蓄のある記述が多い。ためになる。論文等で積極的に引用していきたい。

「意味内容が抽象的であるということは、意味が知識として入ってきて、具体的な用例が乏しいので、ことばの意味が乏しく、分かりにくい、ということである。
そして翻訳語は、こうして意味が乏しいにもかかわらず、漠然と肯定的な、いい意味をもつとされるために、ある時期、盛んに乱用され、流行語となる。」20頁

「あらゆる流行語がそうであるように、この「近代」もまた、その流行の渦中にある人でなければ容易に理解しにくいような、ある特別な意味を持っている。それは、ふつう言う「意味」ではない。ここで言われているような「特別な調子」である。特別な語感、特別な、ある言語活動上の「効果」である。
意味という点から言うならば、意味はむしろない、と言ったほうがよい。そして意味はないからこそ、かえって人々を惹きつけ、乱用され、流行するのである。」61頁

「実はよく意味が分らない、が重要な意味がそこにはこめられているに違いない。そういうことばから、天降り的に、演繹的に、深遠な意味が導き出され、論理を導くのである。」142頁

ここに引用した文章は、私が追跡している「人格」「個性」「自己実現」といった言葉に、そのままそっくり適用できるように思う。政策文書とか教科書とかいろいろ見ても、実は「人格」とか「個性」とか「自己実現」という概念を丁寧に解説しているものは、驚くほど少ない。あたかも意味内容が分かっているかのように書いているのだが、実は柳父が明らかにしたように、そこに意味などなく、「特別な調子」でもって、何らかの「効果」を発揮することが期待されているにすぎないことが多いように思うのだ。「意味はないからこそ、かえって人々を惹きつけ、乱用され、流行する」という言葉が、まさに当てはまっているように思うわけだ。

柳父章『翻訳語成立事情』岩波新書、1982年