【要約と感想】山折哲雄『いま、こころを育むとは―本当の豊かさを求めて』

【要約】いま、世の中がおかしくなりつつあります。かつてのリズムと古典を学ぶことが必要です。

【感想】学ぶべきところが多い本であり、著者の教養の深さと誠意については疑うところではない。が、それでもやはりデタラメなところはデタラメであると指摘しておく必要もある。
著者は、最近の事件が若年化・凶悪化しているという、統計に基づかない主観的な思い込みと勘違いを主張した上で、「おそらくわれわれの伝統的な社会は、独自の価値観によってその殺意をコントロールしてきたはずです。」(156頁)と、間違いを重ねる。明らかにウソだ。平安後期から鎌倉時代は、殺伐たる殺し合いの時代だった。戦国時代の大量殺人や切腹など、わけの分からない人命軽視の風潮をどう理解するのか。江戸時代だって、些細なことから簡単に命のやりとりをしていたのが日本人だ。間引きなど子殺しが横行していたのも周知の事実だ。忠臣蔵のようなテロ行為に喝采を送り、幕末の京都でテロ行為を繰り返したのは、日本人だ。現代の問題を考えるためには、日本人が歴史上「殺意をコントロールなんてしていなかった」ことを前提にしなければいけない。

【今後の研究のための備忘録】
「個性」に関する興味深い言質を得た。

「自立の精神が大事だということが、戦後教育、民主主義教育の最初のところにしっかりすえられていました。人間はそれぞれ個性を持っている。その個性を大事にして、磨いて、この自立を実現しなさい、と。」(167-168頁)
「個とか個性とか個の自立というものは、もちろん大事だと思います。しかし、これは全てヨーロッパから輸入した考え方です。言葉も全部、翻訳語です。ヨーロッパの市民社会がつくり出した価値観でした。」(168頁)
「そのことについて、あるとき、はたと気がついた。西洋人の個性という言葉に当たる、日本列島の大和言葉は何かないのか。大和言葉に、西洋の個性という言葉に対応する言葉があるとすれば、個性とは何かを解くための重要な入口になるのではないだろうか。そう思ったんです。
そして、そのときに自然に頭に浮かんできた言葉がありました。西洋人が考えた個性、個というものに、まさにぴったり対応するような伝統的な大和言葉。それは、「ひとり」という言葉ではないかと思いついたのです。」(169頁)

ナルホド、というところである。さすが一日の長がある人の言うことは違う。

「西洋社会において二百年、三百年の歴史しか持っていない「個」という問題と、日本列島において千年以上つづいてきた「ひとり」。この言葉を突き合わせ、それこそ比較をして、輸入語としての「個性」の中身を、この「ひとり」という、日本人が千年以上の間培ってきた伝統的な価値観によって埋めていく必要があったのではないか。」(170頁)

ただし、こう決めつけられると、ハテナというところではある。西洋人は、それこそプラトンとアリストテレスから徹底的に「個」についての思索を深めている。そしてその伝統は、一神教の「一」の追究に引き継がれていく。著者が言う「二百年、三百年」というのは、教養を欠いた言い草であるように思われる。
まあ、親鸞、尾崎放哉、種田山頭火、高浜虚子を例に出して「ひとり」概念を追究していくところは、おもしろく読める。

山折哲雄『いま、こころを育むとは―本当の豊かさを求めて』小学館101新書、2009年