【要約と感想】中島隆信『子どもをナメるな―賢い消費者をつくる教育』

【要約】インセンティブを刺激すれば、なんでもうまくいきます。

【感想】って、うまくいくわけがないよなあ。まあ、トンデモ本の類に入れていい本だと思う。単純な事実誤認や間違いも多い。

特に酷いのが、教育の「公共性」について考慮された形跡が一切ないところだろう。単に「税金」のレベルで話が進んでしまう。「公共サービス」と「公共性」の区別がついていない。
そもそも「市民」と「公民」の区別をつけているかも怪しい。あるいは民主主義に関して常識的な理解があるかも疑わしい。たとえば「すべての国民にとっては消費は生活に欠かせないものだから、主体性ある消費は民主主義の基本的条件といってもよい」(11頁)と言っているが、いっちゃダメでしょう。なぜなら、それは「民主主義」ではなく「自由主義(資本主義)」だからだ。自由主義と民主主義は、違うものだ。著者は慶応出身だからかやたらと福沢諭吉を称揚するけれど、そもそも福沢自体が「自由主義者であっても民主主義者ではない」と評される思想を展開していることも想起されるところだ。福沢は意図的に民主主義を無視して自由主義思想を展開しているのだろうが、著者のほうは意図せずに単に勘違いしているように読めてしまう。
「市場経済における消費者主権の考え方と憲法の三本柱がほとんど同義」(133頁)というトンデモ文に差し掛かった時は、目の前が真っ暗になった。あらゆる意味で、「消費者」と「憲法の三本柱」が同義なわけがない。「人間」と「消費者」は、違う概念だ。「人権」に関する意識が日本に根付かない厳しい現実を再確認させられた気がするのだった。

おそらく「義務教育」も正しく理解していないように見える。そもそも「社会権」について理解しているかどうかが極めて怪しいところだ。
またあるいは、「投資としての要素の強い高等教育サービスは原則として受益者負担となっているので特に問題はない」(47頁)などと言うが、OECDの教育政策分析からすれば大問題に決まっているところだ。高等教育を受益者負担にするとインセンティブが上がるなどというエビデンスは存在しない。むしろ世界的な経済学的発想からは逆行している。なぜヨーロッパに高等教育が無償の国があるのか、考えてみてはいかがだろうか?

「子ども観」や「いじめ」に関する認識のマズさは、もはや言わずもがなだ。昭和の知識から何もアップデートされていない。認識が平成の教育現実と乖離しすぎている。リバタリアンの机上の空論というレベルの話ではない。

なんというか。「消費者教育」そのものは、ちゃんとやればいい。現代社会で、賢い消費者になる必要は、確かにあるだろう。しかし、人権や公共性に関わる次元まで「消費者」で塗りつぶすのは、むちゃくちゃだ。
まあ、本書が現場に影響を与えることなどないだろうとは思うけれども。いやはや、ちょっと勘弁してほしいところだ。
どうしてこうなっちゃうんだろうなあ。仮に著者の学識に問題がないとすれば、経済学という学問自体に欠陥があることを疑わせるような内容であった。

中島隆信『子どもをナメるな―賢い消費者をつくる教育』ちくま新書、2007年