【要約と感想】田中千穂子『ひきこもり―「対話する関係」をとり戻すために』

【要約】人は、新しい自分にステップアップしようとするときに、自分自身を問い直し、造り替えるため、多かれ少なかれいったん内側に引きこもるものです。その移行がうまくいかなかったとき、いわゆる「ひきこもり」が発生します。心が壊れてしまいそうなとき、自分を守るために「ひきこもり」を起こすのは、人間として普通の行動です。
現代の学歴社会で、子どもたちは想像以上のプレッシャーを受けています。子どもの成長ペースと社会が求める成長ペースがズレているのが、「ひきこもり」の社会的背景です。社会が要求するペースに惑わされないようにしましょう。学校に行かなくなることなど、長い目で見れば、たいして問題ではありません。
対応で大事なのは、とにかく両親が焦らないことです。初動で焦って引っ張り出そうとすると、たいてい良くない結果に終わります。ちょっと良くなったからといって、焦って結果を求めてはいけません。子どもが本来持っている力を信じましょう。対話への姿勢を諦めないことが大事です。両親のほうが辛い思いをして、投げ出したくなる気持ちも分かります。それでも子どもの力を信じてあげてください。
そして社会全体では、学歴偏重の教育のありかたを根本から見直す必要があります。「ひきこもり」という現象は日本にしか見られないのです。

【感想】1996年の初版から、2003年までに7刷りを数える、なかなか売れた本だ。今や古典の部類に入ってくる本になるだろう。斉藤環の仕事より早い。おそらく類書が少ない中で、本書を頼りにしたご両親や先生方が多かっただろうことが推測される。
そして初版発行から23年を経て、いま「80-50」の問題が取り沙汰される世の中になっている。ひきこもりは、ますます加速して社会問題化している。それは本書の知見が活かされなかったというより、我々が「わかっていながら見ない振り」をしてきたことのツケなんだろうと思う。今さらではあるが、しかし、腰を上げて真剣に対応せざるを得ない。

とはいえ、「学歴偏重」と「ひきこもり」を直接的に結びつけることは、直感的には「ありえそう」と思えるものの、明確なエビデンスがあるわけでもない。たとえば本書では家族関係(特に母子関係)の在り方にも言及しているわけだが、それと学歴偏重主義との関連は論理的に明確ではない。教育関係者として、モヤモヤしたものが残るところだ。
何かもっと本質的な原因があるかもしれないことを考慮に入れつつ(たとえば日本における学校と宗教の関係とか)、しかしまずは目の前の具体的な問題にひとつひとつ対応していくしかない。最前線で奮闘する関係者一同の努力には、頭が下がる。

田中千穂子『ひきこもり―「対話する関係」をとり戻すために』サイエンス社、1996年