【要約と感想】新井潤美『パブリック・スクール』

【要約】パブリック・スクールはイギリスの上流階級が入る学校ですが、小説や演劇を通じて、階級の差を超えてイギリスの文化や考え方全体に影響を与えています。

【感想】イギリスではパブリック・スクールを舞台とした物語が人気だったことが分かるが、日本でも1970年代から少女マンガで寄宿舎ものがやたらと発展したことを思い出す。まあイギリスではなく大陸ぽいけれども。イギリス階級ものマンガだと『エマ』とか『アンダーザローズ』を思い浮かべたりする。

教育史的関心から読むと、パブリック・スクールが増え始めるのが16世紀というのは(7頁)、本書が言うように宗教改革の影響も多々あるだろうが、個人的には印刷術の影響が決定的だろうと思ってしまう。
あるいは、教育史の学生用教科書にはパブリック・スクールはほとんど取り上げられず、一方でオーエンの性格形成学院とベル・ランカスターのモニトリアルシステムばかりが強調されるわけだが、本書では逆にそれら教育史的素材に一言も触れられないところは、イギリスの如何ともしがたい階級制をむしろ顕わにしていて、いろいろと感慨深いものがある。
体罰を描写するくだりでは、寺崎弘昭先生の素晴らしい仕事(ホープリー事件)を思い出さざるを得ない。が、本書ではジョン・ロックの「ジョ」の字も出てこない。教育史の専門家としてはイギリスの教育というとロックとかスペンサーとかを即座に想起するわけだが、まあ現実からズレているのは我々の方なのかもしれない。いやはや。

【個人的な研究のための備忘録】
本書では「人格」という言葉が随所に登場する。パブリック・スクールが知識や教養ではなく、人格形成を重んじていたという記述に登場する。

「しかしこうして見ると、「プライベートな教育か、パブリックな教育か」という論争で重要なのは、与えられる知識の質や量ではなく、「しつけと人格形成」であることがわかる。」24頁

「パブリック・スクールが人格形成の場所であり、弱点や欠点を持った少年でも、良い感化を受けて変わることが可能であるという、従来の「学校物語」のメッセージや教訓」62頁

「「ボーイ・スカウト」運動も、ワーキング・クラスの少年に、パブリック・スクールの規律と人格形成の機会を与えようという試みである。」69頁

「…土地を所有することで生活が成り立つアッパー・クラスにとっては知識や教養を詰め込む必要がないという考え方にもとづいている。しかし、何らかの職につくひつようがあるアッパー・ミドル・クラスにとっては、パブリック・スクールでいかに人格形成が重んじられようと、或る程度の知識や教養の取得が必要であることは言うまでもない。」130頁

「…学校を見に来た父親も「この手の学校がやるのは教育だけじゃないんだ、人生で大切なのは人格なんだ」と、パブリック・スクールの精神を認めている。」181頁

本書が言う「人格」の原語が気になるところではあるが、私が推測するに、十中八九「character」であって、「personality」ではないだろう。
そしてここにイギリスのアッパークラスにとって知識や教養を獲得する教育自体が必要でないという意識を補助線に入れると、「characterの形成には知識や教養が必要ない、必要ないどころか相反する」という公式が見えてくる。
しかしながら、大陸においては「personality」を形成する物語は「教養小説」と呼ばれている。人格形成は教養獲得と一体化している。日本語では同じく「人格」と呼ばれながら、実は「character」と「personality」では指しているものがまるで違うことに気がつく。
そしてロバート・オーエンが労働者階級のために設立した学校の名前が「性格形成学院=New Institution for the Formation of Character」であったことを想起したりする。果たしてイギリス人にとって「人格=Character」とは何なのか、気になるところだ。personalityとの違いも含め、明らかにしなければならない。

新井潤美『パブリック・スクール―イギリス的紳士・淑女のつくられかた』岩波新書、2016年