【要約と感想】中村一彰『AI時代に輝く子ども―STEM教育を実践してわかったこと』

【要約】実際にSTEM教育を実践してみて、これからの時代には、子どもの興味に即して個性を伸ばすために、豊富な体験に基づいた「探求」型学習が極めて有効であると確信しました。しかし公教育だけでは理想の教育は実現できないそうもないので、民間企業の協力が不可欠です。

【感想】これからの教育の在り方が具体的によく分かる、とてもいい本だと思った。民間教育企業としての経験、公立学校での授業経験、父親としての経験という3つの経験を踏まえた話というところでも、たいへん説得力を感じる。公立学校と民間企業の提携という点でも、実際に東京都と大阪市の教育委員会から委嘱を受けている企業なので、具体的な在り方がとても参考になる。

【今後の研究のための備忘録】
そんなわけで、「社会に開かれた教育課程」に関して大きな示唆を受ける文章があったので、引用する。

それは、「社会に開かれた教育課程」という方針に基づく、民間との連携です。
いままでの学習指導要領にはなかった「前文」が新設され、改訂全体の方針を示すなかでこのことは強調され言及されています。
つまり、社会の変化に合わせて最適な教育を子どもたちに提供するには、学校だけでは困難なので、民間企業やNPOなどが一部を担い、社会全体で公教育をつくっていこうということです。閉ざされた学校から脱却し、民間と連携して新しい公教育の形をつくる決意の表れだと思います。(173頁)

著者は「社会に開かれた教育課程」の中身が実質的には民間開放であると確信している。しかし実際に学習指導要領を読んでみても、そうは読めない。また文科省の役人が民間開放について触れることはない。教育課程に関する教科書も、「社会に開かれた教育課程」について語るとき、民間企業への開放について触れることなど、一切ない。
が、まあ、著者の言うとおり、実質的に民間開放に繋がっているのは間違いないだろう。いわゆる「既存の教育コミュニティ」の中の人々が、現実から目を背け、無視しているというだけのことだ。
1984年の臨時教育審議会以降、2002年の小泉純一郎「聖域なき構造改革」でブーストがかかり、地方教育行政の絶え間ない改革によって教育委員会の役割が大きく変化した現状において、いよいよ「公教育の民間への開放」が現実的な日程に挙がってきたというわけだ。
「社会に開かれた教育課程」という合い言葉が実質的に「民間開放」を指しているかどうか、従来の教育コミュニティ関係者が固く口を閉ざして知らんぷりを決め込んでいる一方で、しがらみに縛られない著者によって、あっけらかんと「民間と連携して新しい公教育の形をつくる決意」として語られるのであった。
これがいかにものすごいことであることか、現場がまったくピンと来ていない現状を見続けている私としては、背筋に寒いものが走るのであった。「社会に開かれた教育課程」の現実を示す証拠として、本書に示されたこの一文は重宝したいと思う。

それから気になったのは、著者が「成績評価をしなくてはならないという法的な拘束もありません。」(181頁)と書いているところだ。これは微妙な物言いだ。学校教育法施行令には「それぞれ当該学校に在学し、又はこれを卒業した者の学習及び健康の状況を記録した書類を保存しなければならない」とあり、「指導要録」はこれを根拠として「学習の状況」を記録する文書だ。この「学習の状況」の記録が、実質的には「評価」となる。教育学的な観点からいっても、「評価」をなくした指導など考えられない。「評価」には法的根拠がある。おそらく著者は、181頁に続く文章を読む限り、「評価」と「成績評価」は違うと主張したいのかもしれないが、本文の書き方だと「評価」そのものに法的根拠がないと言っているように読めなくもない。そもそも「成績って何だ?」という定義が必要になる。(「指導要録」とは違って、いわゆる「通知表」には法的根拠がないが、そのことだろうか?)
まあ、著者の主張とはあまり関係のない脇筋の話ではあるが、私の本業に関わるところなので気になった、ということで。

中村一彰『AI時代に輝く子ども―STEM教育を実践してわかったこと』CCCメディアハウス、2018年

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