【要約と感想】梅原利夫『新学習指導要領を主体的につかむ―その構図とのりこえる道』

【要約】新学習指導要領は、あらゆる面に渡っておかしいところばかりです。無理です。
上から押しつけたアクティブ・ラーニングは、単に実践を形式的で無味乾燥なものに貶めるだけです。カリキュラム・マネジメントは、無理矛盾を現場に押しつけてきただけです。
子どもたちが主体となる教育に変えるためには、教師の自律性を取り戻すことが不可欠であり、そのために学習指導要領の法的拘束性はなくすべきです。教師の主体性が侵害されているのに、子どもの主体性を育てるなんて、無理です。

【感想】いや、ほんと、仰る通りというか。学習指導要領で文部科学省が言っていることを本当に実現したいなら、学習指導要領を廃止するのが一番いいわけで。少なくとも法的拘束力をなくすのが筋なわけで。法的拘束力を強力に主張しながら「主体的になれ」とか言われても、「無理」としか。
まあ、そのあたりは私が言うまでもなく、文部科学省の官僚たちはおそらく認識していて、表面的にはなし崩しに「自由化」が進むものとは思われる。その兆しは、学習指導要領そのものの記述や構造改革特区の諸取組あるいはコミュニティ・スクールの構想などに現われてはいる。ただしそれはあくまでも表面的な自由に過ぎず、文部科学省が「PDCAサイクルのC」を握ることによって実質的な管理を強めてくるような、新しい形の権力行使に移行するだけではあるだろう。本当に自由を獲得するためには現場が「PDCAサイクルのC」をも掌握する必要がある。このあたりの新しい権力構造のカラクリを含めて「全国学力・学習状況調査」の在り方を観察していく必要があるだろう。

【今後の研究のための個人的メモ】
本書は「学力」に関して様々な見解を表明している。

しかし、これまでもそうであったように、教科等の学習指導は、広い意味での「学力」の深化をはかりながら「人格」の形成に向かって実践してきたのではなかったのか。(42頁)
日本の教育界でもっとも活発に論議と実践が繰り広げられてきたテーマの一つが、「学力とは何か」である。それは「教育とは何か」の問いにつながる永遠の課題である。教育実践のあるところ、必ずや学力論が沸き起こってきた。そうした活発な論議や実践の交流が豊かな学力論をつくり出してきた。しかし、教育がめざす学力の中身が法律で定められてしまった。これは教育の柔軟で多様な試みを破壊し、硬直化に向かわせる重大な損失をもたらしている。(80頁)
もともと学力の論議は、子どもと地域の実態に応じて自由闊達に行なわれる中で、次第に合意が図られていくものであり、それぞれ固有の表現でまとめられていく。そこで重要なのは、教育に関わる者がそれぞれの実践を背景に多様な捉え方をし、交流していくことである。学力の法定化は、こうした多様さや柔軟さの発揮を抑え込もうとする役割を果たしている。(81頁)

いやほんと、「学力」というものを法律で規定できるものか、あるいは規定していいものなのか、本来はしっかり議論するべきなのだ。特に現状の「学力」規定は、教育基本法第一条「人格」とどのような関係にあるのかがさっぱり分からないところが凄すぎる。よくもまあこんな整合性がとれない法体系で安穏としていられるなあと、呆れるところではある。この整合性のない法体系は、必ず将来に禍根を残す。

梅原利夫『新学習指導要領を主体的につかむ―その構図とのりこえる道』新日本出版社、2018年