【要約と感想】岡本薫『日本を滅ぼす教育論議』

【要約】日本人には昔から「マネジメント」の概念がなく、太平洋戦争に惨敗したのもそれが原因です。同じ過ちを教育で繰り返しています。「マネジメント」の概念なしで教育論議を行なうと、日本が滅びます。
精神主義に陥らないで現状を直視しましょう、経済学の言葉で教育を語りましょう、原因と結果の関係を認識しましょう、目的と手段を峻別しましょう、心や意識の問題にせずシステムを改善しましょう、同質性の信仰に依拠せず集団意思形成に時間をかけましょう。

【感想】ビジネス書でよく見る類の、日本人は雰囲気に流されて精神論で物事を解決しようとするとか、自由と責任に対する感覚が鈍いとかいう「ダメな日本人あるある」の話ではある。教育に関する具体的な話では「ふーん、そういう考え方もあるのか」という気づきは、なくもない。
まあ、2006年に教育基本法が改正され、教育行政の条文に従って政府や自治体が「教育振興基本計画」の策定をするようになってから、いわゆる「エビデンスに基づく計画」を日常的に目にするようになった上に、最新の学習指導要領では「マネジメントの観点」が強調されて経済学用語で教育が語られるようになっており、本書の記述そのものはずいぶん古く感じるものではある。まあ、「マネジメント」や「エビデンス」といった言葉が積極的に教育文書に導入されるようになった時代の雰囲気を語る証拠文献という、史料的な意義を持つ本の一つということでいいのかもしれない。

【個人的な研究のための備忘録】
著者は日本の教育論議が論理的に行われていないことを表現するために「教育教」(36頁)という言葉を使い、さらに「教育の目的を「心」や「人格」に置く」(37頁)ことが国際的な常識に反すると述べるために、以下のように主張する。

西欧・欧米では、義務教育段階の学校教育の役割は、一般に「知識・技能」の習得と考えられており、「心」の教育は「家庭」や「宗教」の役割と思われていることが多い。(37頁)

まあ、百歩譲って著者の見立てが正しいとしても、あるいは正しいとしたら、本書の本質的な問題は「宗教」の役割がまったく視野に入っていないことだ。特に「教育教」というふうに「教育」を「宗教」になぞらえておきながら、「教育」と「宗教」の関係を論理的に捉えていないことで、物事の本質がまったく見えてないように思えるわけだ。教育にとっても失礼だし、宗教にとってはもっと失礼な話だと思う。日本人と西洋人の宗教観の違いを考慮に入れずに「教」を語ることは、それこそ「日本を滅ぼす教育論議」になりかねないだろう。「教育」の「教」が「宗教」の「教」でもあることの意味を真剣に考えればもうちょっと意味のある議論にできるだろう、というのが教育哲学からの知見だ。

岡本薫『日本を滅ぼす教育論議』講談社現代新書、2006年