【要約と感想】小林標『ラテン語の世界―ローマが残した無限の遺産』

【要約】ラテン語は現在でも生きているどころか、世界中で随一の生命力を誇る秀逸な言語です。なぜなら、ただこの言語のみが「形式」と「意味」の正しい対応を保っているからです。その秀逸な論理性ゆえに圧倒的な内在的造語能力を発揮して、現在でも強靭な生命力を保っています。
ラテン語への関心を通じて、比較言語学のあらましやローマ文学史の概略も分かります。

【感想】教育学で19世紀(あるいはそれ以前から)のカリキュラム改革の話に触れると、必ず「ラテン語を勉強して意味あるのか?」というヨーロッパ人の自問自答に出くわす。ラテン語学習に意味を見出さないのはスペンサーなど自然科学的認識(特に進化論)を最重要視する一派だ。一方でラテン語学習に意味を見出す人々は、既に19世紀教育学では少数派になってくるのだが、ラテン語の「論理性」を重視し、たとえ現実に使用しない言語であったとしても、ラテン語学習によって明晰な論理的認識力が身につくと主張する。ラテン語を学ぶ意味は「幾何学」を学ぶ意味と同列に理解されていた。その考え方を一言で「形式的陶冶」と言う。
そういう形で「ラテン語で論理的認識力を学ぶ」という理屈には触れていたわけだが、具体的にどのように論理的であるかは朧気にイメージしているだけだった。本書では、ラテン語の「論理性」の根拠について、これでもかというくらい繰り返してしつこく実例を畳みかけて説明してくれる。ラテン語が論理的に明晰な言語であることについて、よく分かった。勉強になった。
あと、不学者たちを戒める皮肉の言葉が端々にあって、個人的には身が縮こまる思いをした。研鑽を積んで不用意な発言を慎むようにしなければと改めて思った。のだが、これは知識と教養の問題なので、自覚してどうなるという話でもないのであった。

【今後の研究のための個人的検討事項】
ありがたいことに、私の個人的関心である「人格」と「同一性」の語源に関するエッセイもあった。「人格」については各所で聞き及んでいたことの復習であったが、「同一性」については新たな知見を得ることができて、世界が広がった。とてもありがたい。
本書によればidentityの語源となるラテン語identitasが登場するのは5世紀と言う。とてもありがたい情報だ。とはいえ個人的に気になるのは、プラトンやアリストテレスや、あるいはローマ時代ならキケローやセネカの著作に、「同一性」という概念に深く関係するとしか思えない記述が繰り返し登場していることだ。プラトンやアリストテレスがギリシア語でどのように「同一性」を表現し、それをキケローやセネカがどのように受け取ってラテン語で表現したか、これは私自身が追究するしかないのか・・・どうしよう。

小林標『ラテン語の世界―ローマが残した無限の遺産』中公新書、2006年