【要約と感想】ソポクレス『オイディプス王』

【要約】オイディプスは恐ろしい予言で、将来は実父を殺し実母と交わることになると聞かされたため、その予言を成就させないよう決意し、生まれ故郷を後にしました。そして流れ着いたテバイの町の危機を救い、未亡人の妃と結婚して王となりますが、再び訪れたテバイの危機を救うために先王殺害の真実を知ろうと欲したため、恐ろしい悲劇的な結末を迎えることになります。

【感想】アリストテレスも『詩学』で大絶賛する古代ギリシャ悲劇最大の傑作との呼び声も誉れ高い作品、さすがの読み応えなのだった。徐々に高まっていく緊張感と、すべての伏線が収束した末に出来する一挙の破滅、そして誇り高き主人公であったがゆえに必然的に迎える悲劇的な破滅、読後に胸中に去来するなんとも言いようのない人間の力に対する無力感。何ひとつつけ加えることもできず、何ひとつ取り去ることもできず、いっさい無駄のない完璧な展開には惚れ惚れせざるを得ない。文句なく傑作だ。まあ、改めて私が褒める必要などないのだが。

批評的に読み解くとしたら、ひとつはやはりアリストテレス『詩学』のように「筋」の見事さを分析する視点が有力なのだろう。「認知」がそのまま「逆転」に結びつく展開は、圧倒的な説得力と納得感を生じさせる。美しい。理屈では分かっていても具体的にこのような美しくも説得力のある筋を生み出すのはとても難しいわけだが、1970年代前半の少女マンガにはこういう構造に挑んだ作品がけっこう多いような気がする(個人的には特に一条ゆかりの作品を思い出す)。

そしてもう一つは、「運命」とか「必然性」という如何ともしがたいものに対する人間の「自由意思」の無力さを強調する視点か。人間が「良かれ」と思ってしたことが、ことごとく自分の不幸に結びついていくという皮肉。あるいは、結果が既に分かっているにも関わらず、その結末を避けようと意図して却って自らその結末に飛び込んでしまうという皮肉。アナンケーの女神の前では、ちっぽけな人間の意志など何の意味も持たない。「自由意思」とは何だろうかという形而上の疑問が、本作品の余韻を味わい深いものにする。

そして自由意思に絡んで、人が人を罰することなど本当にできるのだろうかという畏れ。本作では、オイディプス自らが罰を欲したからこそ、自ら罪が発覚した時には自らを罰することを躊躇しなかった。しかしオイディプス以外の人間が彼を罰することなどできないだろう。「罪と罰」の関係に対する形而上的なモヤモヤが、本作の余韻を長からしめる。

まあ、他にも様々な角度からいろんなことが言えてしまえそうな作品だ(たとえば精神分析学者の手にかかれば、人類すべての心理的根源にまで話が至ってしまうわけだし)。懐が深い。

ソポクレス/藤沢令夫訳『オイディプス王』岩波文庫、1967年