【千葉県山武市】松尾城(太田城)は、日本最後の城?

松尾城は、日本最後の城の一つと呼ばれております。
かつて城があったところには、現在中学校が建っております。が、この校舎がなんとなく城っぽくて(西洋の)、ちょっとおもしろいです。

高台の上から校舎が町を睥睨しております。南東に7kmほど行くと九十九里浜なのですが、校舎の展望台っぽいところ(あれは何なんだろう)からなら、海岸まで見晴らすことができそうですね。

中学校の校門を入ってすぐ左側の植込みの中に、かつて城であった痕跡を示す石碑が立っています。

石碑には「太田城」と書いてあります。城主が太田氏だったからです。関東戦国史で大活躍した、あの太田道灌の血筋です。

中学校から少し北、現在では自動車学校の敷地になっているところが、かつての本丸です。ここは廃藩置県後の公庁としても機能していたようです。

自動車学校の周囲に土塁らしきものを確認することができますが、当時の様子を偲ぶ手がかりはほとんど残っておりません。

中学校のグラウンドは、断崖絶壁の上にひろがっております。とても眺めがいい反面、ボールが外に飛び出したら大変なところです。
胸壁の側面を這うように登る坂道には「汐見坂」と名前がついており、坂の入口と出口には松尾城に関する案内パネルが設置されています。

案内パネルには、「明治維新後に築かれた」と説明されています。明治二年に国替えとなって築城を始めたのですが、明治四年には廃藩置県を迎えて工事中止と相成ってしまったわけですね。これが「日本最後の城」と呼ばれる所以であります。まあ、「日本最後の城」は「最後」の定義によって見方が変わりますけれども。

しかし跡地に建つ中学校校舎は、町のどこからもよく見えます。ここに天守閣があったら、さぞかし目立ったであろうことが想像できます。

中学校校舎の展望台っぽいところに入ってみたいなあと思いつつ、松尾を後にするのでした。
(2018年9月訪問)