【群馬県吉井町】多胡碑はすごいけど、羊太夫伝説の底は見えない

多胡碑は、「たごひ」と発音します。石碑です。完全に文章が読めるものとしては、日本最古(8世紀後半)の石碑です。

多胡碑は、日本の歴史を理解する上であまりにも重要なので、全国に62個所しかない国の特別史跡に指定されています。私個人は、これでやっと27個所目の特別史跡訪問です。
そしてさらに2017年、多胡碑はユネスコの世界の記憶遺産に登録されました。世界的にも重要な史跡と認められたわけですね。

あまりにも重要なので、本物は厳重に守られています。建物の外からガラス越しに見るしかありません。

頭に蓑傘を乗せたような、独特の形をしています。碑文は、もちろん全部漢字です。

脇に、解説パネルが設置されています。
なるほど、新しい行政区を作って「羊」という人に管理を任せるようになった記念に作られたようです。

ところで、ゆるキャラのタゴピー・ヤマピー・カナピーは、なかなかできがいいように思いますが、どうか。

大人向けに、もう少し詳しい解説パネルもあります。
ここで無視できないのは、「羊太夫の伝説」が古くから語り継がれて親しまれているという解説です。少なくとも私は「羊太夫」については、初めて聞きました。

ちょっと調べてみると、この「羊太夫の伝説」が、ひどいひどい。さっくり概要を説明すると、

「奈良時代、羊太夫という役人が、群馬から奈良の都に日参していた。部下の八束小脛が神通力を持っていて、空を飛んで馬を引いて奈良まで毎日通っていたのだ。
が、ある日、八束小脛が寝ているとき、小脛の脇から羽が生えているのを見つけた羊太夫は、羽をむしってしまった。神通力が消えたせいで、奈良の都へ日参することができなくなってしまった。
奈良の都では、姿を見せなくなった羊太夫に謀反の疑いがかけられ、軍隊が差し向けられることとなった。羊太夫は7人の奥方を逃がしたが、捕まって全員殺されてしまった。
羊太夫は蝶になって逃れ、自ら命を絶った。」

ってことですが。
ツッコミどころがありすぎて、どうしたものか。理由もなく羽をむしるって、なんだよ! まあ、中世説話ってものは、他のもだいたいこんな感じではありますけれども。

ところがさらに調べてみると、この「羊太夫の伝説」の底が、深い深い。いくら掘っても底が見えないくらい、深いのですよ。確かに近世以降の名だたる好事家たちが羊太夫伝説に言及していて、中には東方キリスト教との関係を指摘する識者までいるほどです。なるほど、この伝説には、正史には現われない歴史の闇が示されているのかもしれません…

いやあ、まだまだ日本には知らないことがたくさん埋まっていて、侮れないなあ。

そんな羊太夫伝説の一端は、多胡碑のそばに建つ多胡碑記念館で確認することができます。
この記念館の展示は、とても素晴らしかったです。まず当然、多胡碑など上野三碑の詳細な解説があるわけですが、その解説が世界史的な視点からなされているのが特に良かったです。多胡碑が日本だけでなく、東アジア交流史を解明する上でも重要な史料であることがよく分かりました。

また、上野三碑の内容を精査することで、この地域に多民族文化が根づいていたことや、かつての日本が夫婦別姓であったことや、母系家族であったことなども分かります。

また、人類の文字文化全体の発展に焦点を当てた展示も充実しており、見応えがありました。

多胡碑は、上信電鉄吉井駅から徒歩20分くらいのところにあります。

吉井駅も昭和の雰囲気を醸し出していて、懐かしい気分になります。
吉井駅の駅舎の中でも、多胡碑が大プッシュされています。古くから多胡碑を研究している方の学術的な解説が掲げられていたり。

2017年に世界の記憶遺産に登録された際の新聞記事が誇らしげに掲示されていたりしました。

侮れないことが充分に分かったので、今後はちょっとアンテナを鋭くして、羊太夫の情報に敏感になろうと思いました。

(2018年8月訪問)