【新潟県胎内市】江上館跡の馬出しと、奥山荘歴史館の展示が素晴らしい

江上館跡は中世の城館の有り様をしっかり伝えてくれる極めて良好な史跡で、奥山荘歴史館は発掘品の展示と解説が充実した良心的な博物館です。素晴らしい。

最寄りの中条駅前には、板額御前の銅像が立っております。板額御前は浅利義遠の嫁となることで有名な女性武将です。マンガ家の浅利義遠ではなく、鎌倉御家人の浅利義遠です。

板額御前は、鎌倉幕府ができて源頼朝が死んだ後に発生した鎌倉幕府打倒の反乱軍に参加して、弓の名手として名を馳せます。が、戦に敗れて捕らえられ、鎌倉に護送されることになります。そこでの振る舞いが見事だったため、御家人の浅利義遠が身柄を保障することになります。

中条駅から北に1km弱のところに、江上館跡があります。

中世の城門や橋が復元されており、雰囲気が出ております。本当は門の上に兵隊を配置して敵に向かって矢を放つような建物が造られているはずですが、そこは復元されていません。

時代は15世紀前半、室町時代に当たることに機能していた城館です。城主は中条氏ですが、戦国時代になると本拠地の場所を移動させていきます。

というのは、江上館は戦国時代を戦い抜く上では少々時代遅れだった感があるからかもしれません。推定復元模型を見れば分かるとおり、江上館は方形の構えで造られていました。鎌倉時代から室町時代にかけては、全国的に見てもこのような方形の武家館が一般的でした。が、戦国時代に入ってから急速に築城技術が発展して、防御に特化した山城が全盛を迎えます。江上館のように平地にある方形の城館は、戦争の技術が発展した戦国期には防備という点において少々心許ないものになっていたかもしれません。

ということで戦国期には放棄されていたかもしれない江上館ですが、構造に注目すべき重要ポイントがあります。南側にある「虎口」と「馬出」です。

現地案内板に記されているとおり、「虎口」と「馬出」は、戦国時代に突入して武田信玄や織田信長が活躍するようになってから急速に発展する城館機構です。ところが江上館は、その100年も前から虎口や馬出を備えているんですね。極めて興味深いところです。

その南側の虎口と馬出が史跡に再現されています。虎口は、城館の一番の弱点である入口の防御を固めるもので、通路をクランク型に造って敵の侵入を阻むものです。馬出は、城から出撃するために虎口の前面にしつらえた集合場所のようなものです。虎口と馬出が分かりやすく復元されております。どちらとも常識的には武田信玄や織田信長の時代に発展するのですが、江上館にはその100年前から既に備わっていたんですね。

馬出として機能していたと思われる「南郭」の発掘状況。

私が訪れた日も、管理の方が草刈りをするなど史跡の手入れをしていました。良好な状態で史跡を観察できるのも、日頃から丁寧に手入れをしてくれるおかげです。ありがとうございます。

史跡の隣には、史跡から出土した発掘品の展示を中心とした博物館「奥山荘歴史観」があります。中国から伝来しただろう青磁など、江上館が隆盛を誇っていたことが分かる発掘品が展示されています。解説がとても丁寧で、江上館やこの地域の歴史的な位置がよく分かります。学習施設として非常に充実していて、素晴らしいところだと思いました。
(2014年6月訪問)