【要約と感想】田上孝一・黒木朋興・助川幸逸郎編著『<人間>の系譜学 近代的人間像の現在と未来』

【要約】哲学と文学で「人間」がどのように観念されたかについて考察した、論文集。哲学で扱うのは、デカルト、スピノザ、ヘーゲル、ニーチェ、マルクス。文学で扱うのは、ゾラ、田山花袋、サン=テクジュペリ、サルトル、カミュ、三島由紀夫、アラン・ロブ=グリエ、安野モヨコ。

【感想】人間というものを考えるときの対立軸として、「普遍性/個別性」「全体性/断片性」「一貫性/変幻性」「単独性/集団性」という図式を描くとして。それぞれの二項対立において、前者がいわゆる近代性の指標であるのに対し、後者は前近代もしくは後近代の指標ということになる。

で、本論文集で示された内容を二項対立図式によって乱暴にまとめると、ニーチェ論文は単独性→集団性、マルクス論文は全体性→断片性、ゾラ論文は全体性→断片性、サン=テクジュペリ論文は普遍性→個別性、三島由紀夫論文は一貫性→変幻性、ロブ=グリエ論文は一貫性→変幻性というふうに、近代的な人間観が無効化(あるいは超克)される姿を描いていると言える。
ニーチェ論文の、弱者を集団人格化して理解する論旨には意表を突かれたけれども、アクロバット過ぎる気もする。要検討。

一方、ヘーゲル論文は、人格というものの自律性と依存性という相矛盾する本質をどう両立させるかという、古代からの難問を扱っている。個人的には、このアポリアは本質的に解くことができないものだと思っている(カント的な意味で)が、見せかけの特異点を消失させる論理構成の在り方に哲学者のオリジナリティが出るものだとも思う。
デカルト論文は、デカルトを近代的な認知枠組みで理解すること自体を疑問視し、中世的な枠組みで相対化することで論点が浮かび上がるように読んだ。しかしまあ、儒教のテキストとか読んでいても思うけれども、近代的な認知枠組みを自ら相対化してテキストに当たることは、とても難しいんだよなあ。

田上孝一・黒木朋興・助川幸逸郎編著『<人間>の系譜学 近代的人間像の現在と未来』東海大学出版会、2008年