【要約と感想】岡崎友典、玉井康之『コミュニティ教育論』

【要約】高度経済成長によって日本の伝統的な地域社会は破壊され、学校の機能は勉強だけに矮小化されてきました。いまこそ、学校を中心として意図的にコミュニティを再編成するべきときです。学校と家庭・地域の協働と連携を実現するためには、民間の地域教育人材の養成や学校運営の在り方を再構成するなど、考えなければいけないことがたくさんあります。

【感想】放送大学のテキスト。学校と家庭・地域の連携について基礎・基本を身につけようと思って読んだわけだけど、なかなか奥行きが深い領域だということが分かった。

そもそも「コミュニティ」という言葉自体が議論の対象となっていることは興味深い。日本では伝統的な地域共同体が高度経済成長を経て機能しなくなったため、その問題に実践的に対応しようとしたときに、アメリカの先進事例を参照するという形で「コミュニティ」という概念と用語が広がり始めたということのようだ。だから、この領域では、「地域共同体」と言った時には旧来の自然発生的な村落共同体をイメージし、一方で「コミュニティ」と言った時には人為的に創造したり再編成したりする対象としてイメージされる傾向にあるようだ。

なるほど、それはいいとして、じゃあ「コミュニティ」ではなく「市民社会」じゃダメなのか?という疑問は拭えない。人為的に創造したり再編成するならsocietyやassociationでも良さそうなものだが、それではダメで、communityでなければならない理由が大きな問題となる。テキスト内では、「association/community」の相違を「特定の利害関心による組織体/多様な関心・欲求と包括的な組織体」(13頁)とは説明している。理念的にはそれでいいとして、じゃあそんな包括的な組織体を人為的に作れるものかという。生の領域がほぼ全て市場化された現状においては、もはや生を「包括」できるものは市場でしかないんじゃないかという疑問。communityの創造を目指した結果、結局はassociationの束に頼ることになるだけではないかという疑問。あるいは、市場化された生の領域を意図的に排除したものを単にcommunityと呼んでいるだけじゃないかという疑問。根源的には、それでもcommunityという概念にこだわり続けなければならない理由は何かという疑問。この疑問に本書は答えてくれないわけだが、それは本書のせいではない。

岡崎友典、玉井康之『コミュニティ教育論』日本放送出版協会、2010年