【要約と感想】奈須正裕『「資質・能力」と学びのメカニズム』

【要約】新学習指導要領は、本物の学びを実現するために、教師の教えの向上を目指しています。

【感想】とても分かりやすい。新学習指導要領が何を目指しているのか、ものすごくよく分かる。現役の教師だけでなく、学生にとっても読みやすそうだ。教員採用試験対策にもいいんじゃないか。

特に良いのは、文科省が立場的に書けないようなことが、本書ではしっかり書かれているところだ。具体的には、これまでの教育が産業社会に従属してきたことの明瞭な指摘である。本書は明瞭に「そもそも近代学校とは何だったのかという根本的な問題も含めて考えていきたい」(34頁)と問題設定し、「近代学校の終わりの始まりという地点に、今、私たちは立っています。」(106頁)と見通しを立て、「近代に学校が発足して以来、学校は産業社会の要請に応えてきたのであり、いわば「従属」してきました。」(111頁)と言い切った。新学習指導要領の背景にありながらも文科省が本文には書けなかった本音が、ここにある。
教育が経済に追随してきたという屈辱的な過去は、文科省自身が書くわけにはいかない(いわゆる官僚の無謬性)わけだが、この過去に対する洞察が欠けていると、どうしてポスト産業社会になって教育を変える必要があるのか、とても分かりにくい。新学習指導要領が分かりにくいのは、そのせいだ。本書のように過去を踏まえた上で新たな展望を示すのであれば、どうして教育が変わる必要があるのか、説得力が増す。これまでの教育は賞味期限が切れたんですね、ということが分かる。近代が賞味期限切れとなっている具体例も豊富で、なかなか説得力が高い。

それから、背景にブルーナーの復権があるという記述も腑に落ちた。これも学習指導要領そのものに書くわけにはいかないところだ。学習指導要領自体は、「深い学び」に関して、各教科の「見方・考え方」を重視する方針を打ち出しているものの、奥歯に物が挟まったような微妙な言い回しに終始していて、分かりにくい。ブルーナー・リバイバルって明確に言い切ってもらえれば、なるほど、となる。例の「どの教科でも、知的性格をそのままにたもって、発達のどの段階のどの子供にも効果的に教えることができる」ってテーゼが「見方・考え方」という言葉に凝縮されているということだ。

が、極めて分かりやすいぶん、新学習指導要領の胡散臭い部分も浮き彫りになる。具体的には、「教育の論理」と「社会の論理」が予定調和するという楽天的な見通しが、胡散臭い。本書は「社会に開かれた教育課程」を論じるところで、教育の原理を突き詰めていけば、それがそのまま社会が必要とする資質・能力の育成に繋がると言う。本当か? いや、本当なのかもしれない。しかしそれが本当だとしたら、実は教育が完全に経済の植民地になって同化が完了したということを意味するだけかもしれない。
その疑いは、学校運営のPDCAサイクルを「C」をテコにして管理しようとする文科省の姿勢と相俟って、増幅する。実際、新学習指導要領では、「学校評価」についての記述が増幅している。結局は学校や教師から「自発的な努力」を都合良く調達するためのテクノロジーが発達しただけではないのか。あたかも予定調和しているように見えるだけで、実は単に植民地化されただけではないのか。

まあ、その吟味と対決については、本書が背負うべき課題ではない。別のところでしっかり俎上に載せればいい。本書の役割である「新学習指導要領の理念の解説」に関して、とても分かりやすい良書であることには変わりはない。教育課程論の参考書として指定しようかと思うくらいだ。

奈須正裕『「資質・能力」と学びのメカニズム』東洋館出版社、2017年