【要約と感想】苅谷剛彦・志水宏吉・清水睦美・諸田裕子『調査報告「学力低下」の実態』

【要約】しっかり実態調査を行ってみたところ、子どもの学力が低下傾向にあることがわかりましたが、それよりも本質的な問題は、格差の拡大です。家庭環境による格差は、小学校段階から始まっており、学習成果や学習行動だけではなく、学習意欲にまで深刻な影響を与えています。問題の本質は「インセンティブ・ディバイド(意欲格差)」にあります。

【感想】客観的な調査によって学力が「ふたコブらくだ」化したことを示したところは、引用しがいがある。そして同時に、学力に関する本質的な問題が「格差拡大」にあることを具体的なデータを基に客観的に示した点で、ゆとりに賛成にせよ反対にせよ、様々な議論のマイルストーンとなった本とも言える。実際、学力低下論争の過程で、苅谷氏の議論は広く引用され、文部科学省の方針転換にも大きな影響を与えたように思われる。

とはいえ、本当の勝負はここから始まるとも言える。実際に学力が低下し、格差が拡大したことが事実だとしても、どうしてそういう傾向が生じたかについては、様々なストーリーを描くことが可能だ。文部科学省のゆとり的施策が学力低下の原因であるかどうかは、自明ではない。学力低下という実態が先にあり、ゆとり教育はその実態に対する現実的対応だったのかもしれない。客観的なデータだけでは、相関関係を捉えることはできても、因果関係を特定するには至らない。学校の中だけ見るのではなく、もっと広く社会の変化を視野に入れることで、様々な説明様式が生まれてくることになるだろう。
「学力低下」論争は、様々な世界観を背景に複雑な要素が絡み、多様なアプローチが可能だ。逆に言えば、様々な思惑を込めて参入できる分野でもあって、なかなか厄介ではある。本書はその点には禁欲的で、学力低下という実態を客観的に捉え、それを克服する学校教育の在り方を示唆するところまでに仕事を限っている。そしてそういう意味で、様々な議論の起点として機能することになった。

ちなみに、学力の「ふたコブらくだ」化は、本書が示すよりも前、1990年前後には教育関係者の間で知られていた可能性が高いような気がする。というのは、1988年~1991年、私は岡崎高校に在籍する高校生として進路指導を受けているわけだが、学年集会等で示された偏差値グラフは既に明瞭に「ふたコブらくだ」化しており、進路指導担当教諭もこの二極化傾向が全国的に観測され始めたことに注意を促していたからだ。そしてこの二極化現象は、本書で提示されたシェーマで説明することはできない。なぜなら、岡崎高校は愛知県下有数の進学校であり、家庭間格差は相対的にかなり小さいと考えられるからである。そして岡崎高校内における下層は、他の学校では上層に当たるはずだ。全体的に高い学力集団を選抜した上で、その集団内でも二極化が発生してしまうことは、苅谷シェーマでは説明がつかない。(ちなみに1972年生まれの私は、1977年度版学習指導要領による小学校課程を過ごした、最初のゆとり世代である。)
当時高校生だった私は、学力の「ふたコブらくだ」化の理由について、わざわざ電車通学までして広域から集まってくる学生(相対的に意欲が高い)と、岡崎市内から自転車通学する比較的狭い地域を出自とする学生(相対的に意欲が低い)との落差が生じたものと理解していた。調べたわけではないから、本当のところは分からない。が、電車通学していた私自身としては、高いコスト(金のみならず時間や労力も)をかけてまで通っているのだから、これで見返りが与えられなければ馬鹿馬鹿しいという思いは、確かにあった。他の電車通学組がどう考えていたかは分からない。

苅谷剛彦・志水宏吉・清水睦美・諸田裕子『調査報告「学力低下」の実態』岩波ブックレット、2002年