【要約と感想】藤田英典編『誰のための「教育再生」か』

【要約】臨時教育審議会以後の官邸主導による新自由主義的な教育改革、特に小泉政権と第一期安倍政権による教育改革は、教育を破滅させる愚行です。

【感想】本書は、教育基本法改正直後に、教育専門家たちが抱いた危機感が表明されている。2007年段階で「私」と「公」に挟み撃ちになって疲弊していく公教育の姿が浮き彫りにされている。そして残念ながら、その危惧は10年経って現実のものとなっている。

2006年の教育基本法改正から十年、それによるダメージは、ボディブローのようにじわじわと教育界全体に効き始めている。そのダメージを修復しようとしたのかどうか、第二期安倍政権は幼児期から高等教育までの教育費無償化を閣議決定したらしいけれども、場当たり的に金をバラまいても、ダメージは回復しないだろう。というのは、ダメージを喰らったのは「私」と「公」の間にあった「教育の公共性」の部分だから、いくら税金を投入して「公」の存在感を増したところで、「公共性」の回復に結びつかないからだ。教育費無償化の対象となった幼児教育と高等教育は「公共性」よりも「私」の利害を反映しやすい制度設計(商品化されたサービスの自由選択制)になっており、その制度を放置したまま金をバラまけば、単に「公」のサポートによって「私」が肥えるだけであって、むしろ「公共性」の基盤が掘り崩される可能性だってある。教育に金をかけるとして、どうして義務教育の充実(たとえば義務教育費国庫負担の増加とか)に向かわないのか。本気で教育の「公共性」を支えようとしているのか、疑問でならない。ひょっとして我々の計り知れない深い策が裏にあるのかもしれないが、まあ、教員免許更新講習の顛末を顧みる限り、何も考えていない可能性のほうが高いだろう。
「公共性」を回復するためには、その担い手となる人々を地道に育成し続けるしかないはずだ。が、その中核となる仕事を担うはずの教師は、かえって「私」と「公」の挟み撃ちに遭って痛めつけてられているのである。Amazonレビュー等を見ると、公共性の基盤を喪失して私的利害の観点からしか世界を価値付けられない人々が本書を罵倒していて、なるほど、問題の根が深いことがよくわかる。

藤田英典編『誰のための「教育再生」か』岩波新書、2007年