【要約と感想】志水宏吉『学力を育てる』

【要約】学力低下の実態について調べてみると、全体のレベルが下がったわけではありません。できる層は昔と同じようにできますが、できない層が昔よりさらにできなくなったのが実態です。できるかできないかは、家庭の「文化資本」に依拠します。真の問題は「学力格差拡大」にあります。そんななか、格差拡大を食い止めている「力のある学校」が実際に存在します。力のある学校の特徴は、スパルタ式の特訓ではなく、集団づくり・仲間づくりを積極的に進め、学力を手厚く保障する体勢を作ったところにあります。学校にできる仕事は、「社会関係資本」を高めることです。

【感想】見所の一つは、学力低下が実際にはどういう現象なのかを客観的データで示し、問題の本質が家庭の文化資本の格差にあることを示したところ。まあ、本書でも挙がっているブルデューなりバーンスタインなりの論理から容易に予想されていたところではあるが、数字でわかりやすく出てきたのはありがたい。

また、その格差をどのように克服するかが極めて具体的に示されている所も、大きな見所。「学力の樹」という理論と「力のある学校」でのフィールドワークが見事な往還をなして、たいへん説得力がある記述になっている。単にドリルをこなしたり勉強時間を増やしたりするだけで学力が上がるのではなく、「社会関係資本」を重層的に保障することで学力が上がっていくことが、とてもよく分かる。

食い足りないのは、「何のために学力を上げるのか?」が見えにくいところ。本書は、学力向上が善であると前提している。いま学力が落ちているのは、「学力を上げてもいいことなどない」とか「コストに見合わない」という感覚が広がっているからでもある。あるいは、学力が二極化したところで何が問題なのか(むしろ望むところだ)という感覚である。新自由主義の論理は、この功利主義的感覚につけ込んでくる。新自由主義の論理に陥ることなく、全ての子どもが学力を上げるために努力しなければならないことの意味について語る言葉が必要なのだが、そのためにはやはり背景となる人間観とか哲学を真剣に考えなければならないのではないか。本書で「社会性」を育てるという言葉は強調されても、「人格」という言葉が出てこないことが気にかかるわけだ。

志水宏吉『学力を育てる』岩波新書、2005年