教育課程の意義と編成-11

前回のおさらい

・討論を通じた『学習指導要領』の吟味。

賛成意見と、それに対する疑問

■「人格の完成」という目的に対して「資質・能力」の設定が適切である。学習指導要領通りにすれば「人格の完成」ができる。
←「人格の完成」と言うが、どんな社会を目指しているのか?
▼世界の中で生き残り、日本という国を持続させる。そのために、自分の意見が表明できたり、対人関係能力に秀でた人材を育成する。
←具体性に欠ける。実際に教えられない。
▼ディベートやグループワークなので育成できる。そこを工夫するのが教員。教科までいけば具体的な記述になる。
←学校だけでやれと言われてもムリ。

反対意見と、それに対する疑問

■学校と社会との理念の共有ができていない。
←今までできていなかったのでこれからの目標にした。
▼相当の労力がかかる。

■挨拶、マナー、礼儀等を加えるべき。
←社会性という言葉に含まれている。
▼広すぎる。キャパシティ・オーバー。

■教科横断的なカリキュラムは、進学校なら良いが、部活に力を入れているところは難しい。先生の負担が大きい。
←多角的な見方につながるので、進学校でなくても必要。目標にするのはよい。
▼要求レベルを下げるべき。

■社会に通用する能力の育成に力を入れすぎ。道徳的な面での「人格の完成」にもっと力を入れるべき。
←社会に通用する能力とは、人格の完成と同じようなもの。
▼「社会に通用する能力」とは自分を高く売るような、お金の匂いがする。「人格の完成」は自分にベクトルが向いている。

学習指導要領の変遷(0)

教育勅語

・1891年渙発、1948年失効確認(衆議院、参議院)。
・元田永孚と井上毅。儒学主義と近代主義のミックス。

日本近代と戦争

・日本が外国とどれくらい戦争したか、考えてみよう。
・日本の歴史全体を考えたときに、近代の戦争の特徴について考えてみよう。

教育勅語の構造

・段落が3つに分かれている。
・教育勅語には「いいことも書かれている」と主張する人々は、第二段落しか見ていない。しかし、単に「いいことも書かれている」だけで良いとしたら、聖書でもコーランでも論語でもいいはず。なぜ、聖書でもコーランでも論語でもなく「教育勅語」である必要があったのか。
・「日本人」という自己意識の形成にとって重要なのは、第一段落と第三段落。第一段落の理解を抜きにして、第二段落を語ることはできないし、語る意味がない。
・日本神話。天孫降臨。
・第二段落の徳目の全体構成。
・教育勅語を中心とした教育体制の構築。修身、国語、歴史、地理との関係。
・教育勅語は本当に日本の伝統に合致していたのか?

教育基本法体制

・1947年法律第25号。日本国憲法と密接に関係。(2006年改訂)
・日本国憲法が国作りの「理念」を表現しているとすれば、教育基本法は具体化への「方法」を示す。
・「教育勅語」と正反対の理念。

教育勅語の失効

・1948年。衆議院と参議院での決議。何が問題だったのか?
・「主権在君」と「神話的国体観」。

学習指導要領(1947年版)

・「学習指導要領(試案)」。「試案」とはどういうことか。
・法的拘束力なし。
・道徳科なし。
・社会科の新設。「主人公」として生きるためには、基本的人権だけでは不十分。ガイドブックも必要。
・家庭科の男女共修。

復習

・教育勅語の構造を押さえよう。
・学習指導要領(1947年版)の構造を理解しよう。

予習

・「逆コース」という言葉について調べよう。
・高度経済成長について調べておこう。