教育概論Ⅱ(栄養)-10

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前回のおさらい

学習指導要領の変遷(1)

・1958年と1968年に学習指導要領改訂。
・いわゆるゆとり教育から詰め込み教育へと変化。

逆コース

・冷戦体制と東アジア情勢の変化によって、GHQの方針が転回。中国(1949年)と朝鮮半島(1950年)の情勢。
サンフランシスコ平和条約(1951年)。
池田ロバートソン会談(1953年)
・教育二法(1954年)。「教育公務員特例法の一部を改正する法律」と「義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保に関する臨時措置法」。
・地方教育行政の組織及び運営に関する法律(1956年)。教育委員選出を公選制から首長による任命制に転換。
・学習指導要領改訂(1958年)。法的拘束力あり。特設道徳の登場。
*スプートニクショック:1957年、ソ連の人工衛星スプートニク打ち上げ成功。
*教育の現代化:ブルーナー『教育の過程』。発見学習。「どの教科でも、知的性格をそのままに保って、発達のどの段階の子供にも効果的に教えることができる。」→1968年の学習指導要領改訂。

学習指導要領の改訂(1)つづき

高度経済成長

・1955年~1973年にかけての経済成長。1964年=東京オリンピック、1970年=大阪万博。
・大卒初任給の急激な増加。
・産業構造の転換。農業→工業。3チャン農業。出稼ぎ。
・進学率の上昇。半分しか高校進学できなかった時代から、ほとんど高校進学する時代へ。
・親の権威の低下→教師の権威増大。教育の黄金時代(見かけ上)。
・でもしか先生。
・受験競争の激化。詰め込み教育。
・「ムラを育てる教育」→「ムラを捨てる教育」

学習指導要領の変遷(2)

・1977年と1989年の学習指導要領改訂。
・いわゆる「ゆとり教育」の開始。「個性」の尊重。
*「ゆとり教育」という言葉が意味するものについて、注意しよう。見かけの教育現象ではなく、日本社会で本質的に進行していた自体に目を向けよう。
・1984年の「臨時教育審議会」。

オイルショックと産業構造の転換

・1973年のオイルショック。高度経済成長の終わり。低成長へ。ただし日本だけ早期に復活。Japan as No.1(1979年)からハイテク景気とバブル景気へ。
・重厚長大型産業(石油を莫大に使用する産業、少品種大量生産)から軽薄短小型産業(ロボットとコンピュータ、多品種少量生産)への転換。
・生産主導から消費主導へ=マーケティングと宣伝広告の重要性。
・人材雇用の転換=アウトソーシング。終身雇用から流動的な雇用へ。
・知識観の転換=知識や技術の賞味期限の短縮。暗記型(知識の量)から検索活用型(思考力・判断力・表現力)へ。
・教育観の転換=「まじめ」から「個性」へ。
→1977年の学習指導要領改訂:「ゆとりある充実した学校生活の実現=学習負担の適正化」
→1989年の学習指導要領改訂:新学力観。個性。
・どうしたら「個性」を育てることができるのか?

復習

・冷戦構造と高度経済成長によって教育が大きく変化する理屈を把握しておこう。

予習

・「臨時教育審議会」について調べておこう。