【要約と感想】新藤宗幸『教育委員会-何が問題か』

【要約】教育行政への首長権限の強化は、たしかにある面では問題ではあるけれども、官僚による教育行政支配の酷さと比べたらかわいいものです。教育委員会の根本的な問題は、文部科学省→都道府県教育委員会(事務局)→市町村教育委員会(事務局)→学校長というタテの行政系列を貫く権力構造にあります。文部官僚のナワバリとして機能しているだけの教育委員会は、さっさと解体したほうがよろしい。

【感想】実のところ2015年に地教行法が改正されて、教育委員会制度はかなり根本から変化している。だから教育委員会に関する最新事情を知りたい人には、2013年発行の本書はまるで役に立たない。逆にそういう事情を踏まえていれば、2015年の教育委員会改革時点で何が問題とされていたかが分かり、そして改革の結果をチェックして是非を判断する視点を得られるところに、本書の現時点での存在価値がある。

本書が強調しているのは、教育に対する官僚支配の根強さである。官僚は、民意とは無関係のところから国家権力に絶大な影響を与えるところに問題がある。本書も、文科省が教育委員会の事務局を通じて権力を貫徹する様を細かく描いている。そして官僚機構に対抗する軸として、本書では民意で選ばれた首長の権限強化を打ち出している。教育委員会を解体して、首長権限の下に教育行政を一本化することで、官僚支配を脱する道を示している。もちろん首長のやりたい放題に歯止めをかけ、教育に民意が反映する仕組みを伴う必要があると釘を刺しているわけではあるが。
教育の世界での文部官僚と政治家の間の主導権争いは、教育委員会制度の在り方を軸としながら、様々な局面で何十年も続いている。ここ近年は、露骨に表面化している。加計学園問題のような下世話な例を避けるなら、たとえば第一次安倍政権と第二次安倍政権下で、それぞれ「道徳の教科化」に関する議論がどうなっているか、比べてみるとなかなかおもしろいかもしれない。中央教育審議会と教育再生会議の温度差に、官僚と政治の間の意識の裂け目を見るのは容易だ。

さて、官僚支配の酷さを訴える本書の主張に納得して、仮に教育委員会を解体して首長に権限を一本化することで官僚支配を脱するとして。しかしそれが教育を良くするかどうかについては、本書が描くほど自明ではないようにも思う。官僚支配を手放しで肯定するわけでもないが、同時に首長権限の強化が無条件に教育を良くするとも思えない。そこには「教育の専門性とは何か?」をめぐる問題が関わってきて、私自身の立ち位置や利権も絡んでくるので、極めて厄介な問題ではある。

何を言うにしても、ポジション・トークになることを覚悟した上で。2015年の教育委員会改革で「総合教育会議」なるものが誕生した。どんな働きが期待されているのか謎の組織ではあったが、ここ2年の間、各自治体に設置された総合教育会議で様々な議論が行われ、具体的な形が見えてきたようにも思う。それを表面だけ見れば、官僚支配をある程度脱して地域独自の教育政策を打ち出せるようになっている感じは確かにある。総合教育会議がどこへ向かおうとしているのか、しっかり現実の動きを観察しておく必要がある。
一方で新たな形(たとえば学校評価とか教員養成などをテコとして)での官僚支配も健在のように思う。実際のところ、教育の世界、官僚支配のせいでそこそこ息苦しいんじゃないですかね。こんなに事務書類ばっかり大量に書いていて、本当に教育は良くなるんですかね? 本書は、官僚支配に対する嫌悪感を助長する上では、間違いなく役に立つのだった。

2015年の教育委員会改革に関して、文部科学省自身がその意義を説明するパンフレットはこちら

新藤宗幸『教育委員会-何が問題か』岩波新書、2013年