同窓会

昨日、中学校の同窓会に参加してきました。刈谷市立依佐美中学校分校という、5年間だけ存在した学校です。

いやぁ、とても楽しかったですね。本当はプリン体の摂取量を気にしなければいけない身体なのに、楽しいばかりに基準量を超えて摂取してしまった気がする。地元に帰りやすいお盆の時期に設定してくれた幹事の方に感謝です。

男のほうは腹回りが太くなっていたり頭頂周辺が寂しくなってるやつが多かったけれど(ノリだけ変わってないのがすごかった)、女性陣は若々しかったなあ。しかし、再婚組が、確認できたところでは僕と近藤徹の2人だけというのが、いやはや。

18歳で地元を出たので、東京にいる時間のほうが長くなっているわけですが、やっぱり地元は温かくていいですね。みんな無条件に応援してくれるし。ネジを巻きなおして、もういっちょ頑張ろうという気にさせてくれます。次は50歳かあ。そのときはもうちょっと立派になってますかねえ?

ところで。分校というのは歴史的に見ると、やっぱり特殊な学校だったように思います。高度経済成長(1955年~1973年)に伴って日本全国で激しい人口移動が発生するのですが、トヨタ系の会社が集中する豊田市、安城市、刈谷市などは、圧倒的な勢いで人口が増加しています。ほぼ、倍増。

僕らの世代(1972年生)は、そうやって大量に移動してきた団塊世代の子供に当たります。親が増えれば、子供が増えます。子供が増えれば、とうぜん、教室が足りなくなるわけです。そのために行政は慌てて各地に小学校と中学校を建て始めますが(たとえば豊田市では1971年~86年で中学校が10校増加)、刈谷市では教育委員会の予想を遥かに上回るスピードで地域に人口が流入してきます。昭和63年には工場地域に近くトヨタに通いやすい場所に朝日中学校が完成しますが、それまでなんとか昭和58年~62年の5年間だけ乗り切らなくてはいけません。もともと小学校として予定されていた施設を流用した依佐美中学校分校は、予想を超えて膨れ上がった子供をどうにかして収容するための苦肉の策だったわけですね。こうやって、5年間だけ存在する分校が誕生したわけでした。

人の量が変わるということは、社会の質が決定的に変わるということです。具体的には昭和40年頃までは農村的だった世の中が、昭和50年頃から急激に工業的な社会に変化します。僕が小学生の頃は小垣江各地にまだ肥溜めがたくさん残っていましたが、高校に上がる頃には急激になくなっていきました。小学生のころにザリガニを獲っていた沼や小川などは、もはや跡形もありません。(とはいえ、小垣江はかなり開発は遅かったけれども・・)

産業構造の変化は学校文化にもおそらく大きな影響を与えています。もともとの住人と、新しい住人では、子育てや教育に関する意識がかなり異なります。どっちが正しいかということではなく、環境が違うから意見が違って当たり前なわけですが。まあこれは分校に限らず、日本全国(特に都市圏の近郊)で発生していたことではありますが。

なんてことを思わず考えていたのは、職業病だなあ。まあ、これから教師になる子には、社会背景への的確な洞察を持ちながら、一人ひとりの子供のニーズを満たしてやってほしいなあと願うわけですけれども。はてさて。授業では一生懸命伝えていこうと思います。